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予定のない休みの日が苦手だった。

休みの日が苦手だった。正確には、「予定がない」休みの日。
朝からずっと家にいて1日中パジャマでゴロゴロ過ごす。そんな絵に描いたような休日を過ごしてしまうと、私はひどく落ち込んだような気分になった。その1日を死ぬほど無駄にしてしまった虚無感が襲ってくる。

なんでだろう?

私以外の人は、みんな誰かとどこかへ出かけていて、充実した1日を過ごしていると錯覚していた。そんなわけないと、頭のどこかではわかっているのに許せなかったのだ。

大人になり働いてからは、土日が休みの仕事じゃなかったから、誰かと予定を合わせて遊びに行くことはそんなに多くはなかった。そもそも、休み希望が月に3日とか4日くらいしか書けない。他はいつ休みなるか分からないのだ。誰かとどこかに出かける約束ができるのは、月4日までと決められていたよーなもんだった。平日の昼間に予定が合うのは、同業者くらい。ひとりで買い物に出かけたり、映画を観たり、割と気ままに過ごすことが多かった。心のどこかでほっとしていた。誰かとどこかへ行く約束をしなくても「不自然ではない」ことに。

20代から30代前半頃まで、サラリーマンの友人は、土日といえば誰かと飲みに出かけたり、買い物や映画、カフェ巡り、美術館やら個展やらイベントに行くなど、「週末の予定は2ヶ月先まで埋まってます♪」みたいな生活をしてる人が多くて(これも半分くらいは妄想な気がするけど、実際に誘うとそんな返事が返ってくることも多かった)平日に休みが多かった私はどこか疎外感を感じつつも、自分は毎週末どこかに出かけるなんて疲れるし、平日はどこに行くにも空いてるから、私にはこっちの方があってるんだなって思ってた。思えば、どこかでそんな友人たちのことを羨ましく思っていたと思う。

30代前半の頃、ちょうど結婚する前までの2年間、シェアハウスに住んでいた。3階建ての1軒家、6人で住めるシェアハウスだった。そこに4つくらい年下のサラリーマンの男の子が住んでいた。彼女もいて、友人も多そう。会社は(話を聞いてる限り)限りなくホワイトっぽい。リア充だった。そんな彼だけど、時々ものすごく怠惰な休日を過ごしていた。昼過ぎてから「寝てました〜」ってリビングでばったり出くわしたと思ったらその日は1日中、家着でゆっくり過ごす。そんな日が時々あった。もちろん彼女や友人、会社の人と出かけたり、実家に帰ったりもしてたけど、なんとゆーか彼はかなりマイペースに自分の時間も楽しんでいるのが印象的だった。時々、そういう日を敢えて作ることでガス抜きしてるような、そんな感じだった。予定がない、怠惰な休日を過ごすことが苦手だった私にとって、進んで楽しんで怠惰に過ごしてる彼の存在は結構ショッキングだった。同時に「あ、いいのか」と自分で勝手に背負っていた荷物を降ろせたような瞬間でもあった。

シェアハウス(しかも一軒家)の生活は、とても不思議だ。別に詮索する気なんて一切なくても、なんとなく相手の生活がわかってしまう。私も彼に「はるなさんていつも麺ばっか食ってますよね」って言われたのを思い出した。家族とは違う誰かの生活を、こんなに近く感じることはそうあることじゃないと思う。だからこそ、どんな人と住むかが結構重要で、私はわりかしそれに恵まれてたから2年も住めたんだと思ってる。

話を戻そう。

私はこの出来事をきっかけに「予定がない休日を過ごす自分はかわいそう」みたいな気持ちがあったことに気がついた。そしてそれはなんでだろう、って考えた時に、子ども時代の記憶が蘇ってきた。

うちは父親が土日にほとんど家にいなかった。社会人野球をしていて、その練習のために家を空けていたからだ。当然だが、「家族で出かける週末」みたいなものはほとんど記憶にない。試合がある日は1日中いないけれど、練習だけの日はお昼には帰宅する。父は、自分で生ラーメンを作って缶ビールと共に食して、その後は自分の部屋にこもって昼寝をしたり、マンガを読んでたりする。母もパートに出てたりなんだりしていて、夕方までいないことが多かった。私にとって、週末ってそんなに楽しいものではなかったように思う。中学に上がり、仲のよい友人ができて週末も遊びに誘ってもらえるようになってから初めて「週末の思い出」ができたように思う。てか、それまでなにしてたんだろ?週末。あ、マンガとか小説とか書いてたなぁ。ノートに。

それに、うちの実家は北関東のど田舎なんだけど、とにかく週末に気軽に子どもだけで遊びに行くような場所がなかった。マックができたのも中学生になってからだった。だから大体ともだちの家にばっかり行ってたんだけどね。
その影響なのか、大人になってもどこかしら出かけないといけないような気持ちになっていたのは、その頃の欠乏感なのかもしれないな。今も週末にやってるイベントに足を運んだり、用事もなくショッピングモールを徘徊することで、妙に満足感を得ている自分に気が付く。

親が悪いとかそういう話じゃなくて、(単純にうちの両親は週末に家族でどこかに出かける、みたいな価値観は優先度が低かったんだろうなと思う)子どもの頃のことって、こうして自分の中で凝り固まったなにかを作ってしまうことがあるんだろうなぁと思う。
それに気がついていくと結構面白いんだよね。人間ってひとつひとつの経験で今があるんだなぁ。全ては繋がっているんだなぁということを痛感するのだ。

予定がない休みが苦手。その理由に気が付いた今でも、それは変わらない。ただ昔と違うのは、それはそれでいいじゃないか、私はそういう人なんだと思える。どうすれば自分がご機嫌でいられるか、1日を楽しく過ごせるか。予定のない週末に向けて、そんなことをノートに書き出してみようかなと思う木曜日の昼下がり。


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