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介護施設から見える”おうち時間”の価値


”おうち時間”、”STAY HOME"・・・・

2020年の流行語にノミネートされそうな言葉達

振り返ると私は、この”おうち時間”の価値を
この約10年介護施設という環境で仕事をしてきて
感じていたことに気づいた。



以前の私は「家でゆっくり過ごす」ことが
すごーく苦手だった。

スケジュール帳はびっしり予定が詰まっていないと
誰かにアポをとりにいく生活で、
夜の0時前に家に帰るなんて勿体無いと思っていた。(そんなに詰め込んで何していたって、
遊んでいただけなのだけど)

介護の現場で働き始めてからも、
最初はその性質は変わらなかった。

自分が働く時間のなかで、
いかに入居者さんに食事を取ってもらうか?
レクリエーションの時間をより多くの人に
長い時間提供できるか?
プランに沿った記録を何件書けるか?
やるべきタスクをどれだけこなせるか?

そんなことばかり考えて仕事していた。
動けば動くほど先輩は評価してくれ、
頼られるようになり、仕事のやりがいとやらを
勘違いしていた。



今では、生活の中でゆっくりと流れる時間を
楽しめるようになった。
「くらそび」の考え方は
介護施設における本質だとも思ってる。
去年の事業計画にはテーマとして「くらそび」を
入れているくらい。

*「くらそび」とは、「暮らしを遊ぶようにたのしむ」の略語で、私が愛用している通販サービスフェリシモの中のライフスタイルマガジンのタイトルです。


きっかけは、1年目の秋頃、
一人の入居者さんに出会ったことだった。

その方は上半身麻痺で腰から下以外は
自分の自由が効かない状態なので、
日常の些細なことでも誰かに頼む必要があった。
「カーテンをあと5cm閉めて欲しい」
「TVの音量がうるさすぎる」
「手の位置がずれたので直して欲しい」・・・。

今思うと、当たり前のお願いなのだけど、
当時の私に効率が悪いと感じてしまい、
いつも最後に、
「あと他にお願い事はありませんか?」
と丁寧なようで冷たい言葉を放っていたと思う。
「ないです」と言わせることで次を呼びにくく
させてしまっていた気がしてならない。

これを繰り返していくと、
大体頼まれることがわかってくるので、
言われる前に先に終わらせてしまうようになる。
そしてトドメに、
「あと他にお願い事はありませんか?」
そんな決め言葉にして部屋から退室する
そんな日々が過ぎていた。

でも、きっとそんな私の感情なんて、
私以上に60年も生きてきた人にはお見通しで、
そんなことはお構い無しに
何度でも呼び出しをしてくれた。


ある夜勤の日の夜、
もう全ての用事が済んだはずなのに、
呼び出し音が鳴った。

すると、
「ここでね、私と話をして欲しいの。」と一言。
「この人は何が言いたいんだろう?」
そう思いながら、昔の友人の話、家庭の話、
好きだった音楽の話、大事にしてる価値観の話
いろんな話を夜勤のたびに聞くようになった。

当時の施設は一旦みんなが寝静まると落ち着く
時間があったので、その時間を有効活用出来る
一つの時間の使い方だと思っていた。


そんな日々を数ヶ月過ごし、
その方の人生を一部かもしれないけど語れるくらい
までに知れてきた頃、こう言われたことを覚えてる。

 

「みんな私の部屋には沢山きてくれるし、
他の入居者の人より私は用事を頼んでいて、
時間を使ってもらってると思うの。
だけどね、何でもないこんな話をしたいの。
一緒に空を見て月を眺めたり、
今日のあの人はどうだったなんで、
どうでもない話をしたいのよ。
私の部屋で何もしなくていいから、
ゆっくり時間を過ごして欲しいの。」

(正確にいうと構音障害を持っていたため
どこまで正しく聞き取れたかは不確かですが
こんな感じのことを言っていた、という程度です)


正直、当時すぐには咀嚼できず
本当の意味でその方の言っていることを
理解できたのはいつだったか記憶は定かではない。
今でもどこまで出来ているかはわからない。
でもずっと、自分の心のどこかに残っていた。


モヤモヤしたものの正体を理解できていない頃、
祖母の家に母親と行った。
祖母は好きだったけど、
弟も従兄弟もいない祖母の家に行っても、
何もすることがなくて楽しみかというと
そうではなかった。
当時の家から片道2時間弱の場所にある
祖母の家に半年に1回くらいは顔を見せる、
それは孫の仕事の一環だと思っていた。

祖母の家では、母親が差し入れを持ってきて
「お茶にする?紅茶にする?コーヒーにする?」
そんなことを言ってお菓子を食べる。
最近スーパーでは野菜が高いとか、
家の近くにスズメがよく来るようになったとか、
そんなたわいもない話をする。

それが一通り終わると、近所を散歩しながら
図書館に借りていた本を返しにいく。
いつもの鉄板コース。
祖母の歩行速度は私の10分の1くらいで、
以前の私は先に行って戻ってきたりしていた。
仕事で歩行介助をしていた影響か、いつの日か、
祖母の歩行速度に合わせられるようになってきた。


そうすると、見える景色が変わってくる。

今まで何とも思わずに通り過ぎてきた道に、
いろんな発見があった。
道端に咲いている花の名前や、
実は食べられる草のこと、
耳を澄ますと聞こえてくる鳥の鳴き声、
季節によって変わる雲の形、
街並みの変化から見える人々の暮らし、
そこから知らない人の気持ちまでも
慮る優しい気持ち・・・。


なんて心地いい時間何だろう。


祖母の姿から、
ゆっくり身体に染み込ませるように
暮らしていく楽しみを教わった気がした。

そう考えると、
介護施設で出会う高齢者の人たちの多くは、
心地いい時間の過ごし方を知っていたことに
気づいた。


毎日飲むお茶にこだわって丁寧に淹れて味わう
庭で咲く草花を愛でたり昨日との変化を喜ぶ
風の音や通り過ぎる子供の声に耳を傾けたり、
大切な誰かのために季節の便箋を選んでお気に入りのペンで手紙を書いたり…。


そんな日常の心地よさを
どう言葉で表したらよいのだろう…

何とも平和で愛おしくて心が満たされている感じ
これって言葉が見当たらなくてもどかしい…


5分も歩けばお茶は買って手に入るし、
イヤフォンから音楽を鳴らしながら
足早に道を通り過ぎてしまえる、
誰かに何か伝えたければ一本電話んかければ済む話
かもしれない。

それでも、
暮らしの中にちょっとした”余白”がある
そんな生活の心地よさを知ってしまったから、
忙しなく過ごしてしまいがちな人たちが
このコロナを機に"おうち時間"が強制導入され
生活を見つめ直すきっかけになったらいいと思う。

何だったらその心地よさにはまってしまったら
介護施設で働いてみるのも有りかもしれない。

長くなったけど、今日のまとめ

新しい生活様式って感染予防の観点以外にも
沢山あるよねって話。




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