見出し画像

源氏パイのこと


この間、外を歩いていて何処からともなく漂ってきたペンキの匂いを久しぶりに嗅いだ。ペンキの匂いで私の頭によぎるのは、
「源氏パイ」だ。


私が3歳の頃のその日、実家は外壁の塗り直しをしていて、ペンキの匂いが家の中にも漂っていた。
その頃の私は朝起きたらまず母を呼ぶのが日課で、その日も目が覚めると布団に入ったまま「ママー!ママー!」と母を呼んだ。
しかし母は中々現れない。
しばらく呼び続けると、玄関のドアが開く音が聞こえて、寝ていた部屋の襖が開いた。
反射的に母だ!と期待したのだが、雨戸が閉まっていてまだ暗い寝室の中から私が見たのは、背中に朝日を浴びて、逆光で顔も見えない知らないおじさんの姿だった。


「ママ、今来るからね」


ギャン泣きである。


私が母を呼び続ける声を聞いた塗装屋のおじさんは、所用で少し家を空けた母がまだ戻らないので気を利かせて私に声をかけてくれたのだが、寝起きに母かと思いきや逆光おじさんが現れたもんだから、当時の私のパニックたるや相当なものである。
そして戻って来た母におじさんが、「声をかけたらびっくりさせてしまって、、」と申し訳無さそうに謝るのを母に抱っこであやされながら背中で聞き、気が付いたら手に握っていたのが源氏パイであった。
おそらく私の機嫌を取り戻す為に母が私に手渡してくれたのだろう。
あの時の涙のしょっぱさと、源氏パイの外側のカリカリ甘い部分の記憶が、ペンキの匂いと共に今も蘇るのだ。

2021.5.24

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?