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埋没林をめぐる冒険/3日目

2024/05/04

午前5時ごろ同室の女性(別の二段ベッド)が支度を始める音でぼんやりと覚醒する。相変わらず下のベッドで寝る中年の女性は規則正しくいびきをかいている。昨日深夜、私はこの人のいびきで目を覚ました。彼女の呼吸と共にいびき界隈ではそこそこ大きい音(いびき界隈???)が背中から聞こえてくる。ううー女性を割り当てられたことの数少ない利点の一つにいびきをかく女性が男性と比較して相対的に少ないことが幸いだと思っていたのに…だからこそ女性専用部屋を必ず選択するのに…こんなことも起こり得るのか!!

仕方がない、これも経験であるし、誰にだっていびきをかく自由はある。私の寝相と寝言もかなりひどい(らしい)し、彼女のいびきを責めたところで改善するわけじゃない。と思って理性的に眠りに付きたかったけど、やはりイライラして何度も寝返りをうった。5時から1時間モゾモゾして6時に起床して身支度を済ませる。寝返りを打ちすぎたせいか、腰の調子がおかしい…十和田神社に行く前に入念にストレッチをする。

天気は曇り。気温は12度。秋口のよう。湖畔の舗装道路を歩いて10分、神社に到着する。朝早いけれど、夫婦らしき参拝客がすぐ私の前にいる。追いつきすぎないよう距離をとりつつ参道を歩く。樹齢80年は超えていそうな立派な杉が踏み固められ、綺麗に落ち葉が掃かれた道にリズミカルに聳え立つ様は清々しく、いい場所だなと思う。道の脇の草むらにはこれから葉を広げようとするシダが生えていて、その有機的に畝った形が面白い。特に注意書きは書かれていないけれど、道の脇の崖からは何かのきっかけで岩がゴロリと落ちてきそう。本殿に辿り着くとお賽銭を忘れたことに気づく。ま、いいかこういうときは丁寧にお邪魔したことを詫び、立ち去るのみ。ニレイニハクイチレイ。立派な本殿の隣には1/3サイズの熊野の分社と稲荷神社がある。眠かったし、朝ごはんもまだだったから面倒でそのまま通り過ぎ帰路につくとどうも頭のいつものあたりがズキズキとする。最初は低気圧のせいかな、と思ったけどその痛みはあまりにも唐突だから熊野か稲荷さんが腹を立てていると解釈し、戻って謝る。
丁寧に拝んだので1.2分かかったと思う、その間に案の定頭痛は消えていた。庭のブルーアイスを切ったときも姫路の処刑場に行った時も頭が痛んだので、自分の頭には目に見えない、耳に聞こえないものに対するセンサーがあるのだと思っている。

昨日の残りの弁当を運転席で食べて新郷村へ出発する。冬の間は通行止めになっている山道(454?)はつい5日前に開門したよう。山頂付近には残雪。ラッキー。うねうねと曲がる道を登っていると気温も下がるが、雲が晴れていき日がさしてきたので気持ちがいい。2度車から降りて写真を撮る。いつの間にか、腰の痛みも消えている。ストレッチのおかげか、神のおかげかわからないけど。風に吹かれてぐるぐると回る小型風力発電機の影が道路にさし、美しい。

9時ごろ新郷村に着く。キリストの里伝承館の開館時間が9時。めっちゃちょうどいい。一人旅は適当に動けることがいい、だがスケジュール通りに進むことの気持ちよさを感じることもまた事実なんだよなあ。

駐車場から坂道を上がると伝承館の脇にキリストとその弟イスキリの墓がある。直径3mの盛り土の上に白くペイントされた十字架が中央に伸びている。正直言って嘘やんなあと思うが、正直言わなくても誰も本当だとは思っていない上で、荒唐無稽なストーリーを信じることを楽しんでいるのだと思う。伝承館は雑誌ムーがプロデュースしており、サングラスをかけた編集長が新郷村の伝説を説明する胡散臭い動画が入り口でエンドレス上映されている。硬いベンチに座って真面目に鑑賞する。青森はキリストの墓があるだけではなく、ピラミッドの発祥地でもあるらしい。フーン。私の他にも続々と客は訪れる。新郷村以外にも青森、東北地方に関するオカルト系の逸話にも触れており勉強になる。ゴーストツーリズムともダークツーリズムとも異なる奇妙な観光体系だな。

40分ほど滞在して八戸に向かう。近い。Tくんとは駅近くのセブンイレブンで合流した。あって早々、単焦点レンズ3本持ってきてカメラのボディを忘れたことを告白された。ばかじゃん。昨日は夜遅くに帰ってきて、朝準備したらしい。そりゃあ忘れ物の一つや二つはあるんだろうけど流石に斬新すぎたのでめちゃ笑う。この前、温泉の回で気づいたけれど彼はかなりうっかりしている。そしてうっかりしていることは自覚しているし、対策も講じているのにも関わらずなお間抜けである。(それでいうと私は対策を講じない間抜けかもしれない)彼の声がちょっと掠れていて話しにくそうなので、大丈夫か?と聞くと、よくこうなるんですとの答え。鼻炎に加えて大変やなあと思う。

家にキャップを忘れたことに気づき、セカストに向かうも全然いいのなくて少し残念。Tくんセカスト知らなくて面白い。最初は、いや聞いたことはあります、って言い張っていたけど、交差点で右折する時、なぜか急に素直になって知らないことを認めていた。すでにこの二日で日焼けで顔パリついてて辛い。一生このままだったらやだな。帽子、なくて困り果ててしまう類の物品ではないが快適な旅行の続行のために大事。

まずは六ヶ所村の原発関連施設を目指して太平洋側を北上する。駐車場で出会ってからこの二日間の沈黙を穴埋めするかのように喋ってしまった。さみしかったんだな自分。遠く右側には海岸線、左側には鉄の風防を置いていきながら、1車線(だけど幅の狭さは感じない)道路を飛ばす。事前にTくんに対して運転の意思の有無は確認していなくて、運転したくなさそうであればまあ自分で運転するか、と考えていた。運転して10分くらい経った頃(?)、彼は自分で三日間分保険に加入して運転代わります、佐藤さんは疲れているだろうし……と言い出す。自分が始めた旅行だし、気を使わせていたら悪いなと思い、Tくんが運転したいならはいりな〜と返すと、食い気味に返事が来たので安心して、保険に入ってもらうことにする。そうして三井住友の保険に入ろうと試みているらしいのだが、めちゃくちゃ苦戦している。詳細は忘れたけど、支払い方法やら条件やら一つの問題をクリアするたびに次の問題が浮上して10数分助手席で困っていた。普段は落ち着いた喋り方だけど、インスタントなアクシデントに対してはちょっと大きな声を出したり、身振りが大きくなるので、運転しながら横目で見ていると面白い。

途中で国だか、県だかが所有する公営BBQ場の駐車場に車をとめ、一面新芽の草原とたんぽぽを眺める。防風林の隙間から砂浜が見えるが、時間もあまりないので200m離れた海岸へは向かわず、トイレに行って出発する。この駐車場をたつ時、ようやく彼は三井住友の運転保険の登録システムに見切りをつけることにしたらしく、PayPayに乗り換えますと宣言。確かに今まで短期間の保険はPayPayばかりだったなと思い、同意する。彼が無事保険に入ったので、運転を養鶏場の入り口で交代する。施設の柵のところに見慣れぬ茶色い鳥がいることに気づき「レアそうな鳥」と呟く。Tくんは座席の調整中にも関わらず、どこですか?と拾い上げて聞き返す。この人は本当に丁寧な人だなと思いつつ鳥のとまっている場所を教える。

いくつかの集落をぬける。道の左側には耕作地には見えない原っぱが延々と続く。60〜80kmぐらいのスピード、小さい文字は読めなかったのだけれど「ラムサール 仏沼」という看板を数回通り過ぎる。検索するとラムサール条約に登録されている湿地が近くにあるらしい。ラムサールってラムサール条約でしか聞かない。気になるねえと呟くとTくんはじゃあ寄りましょうと力強く返してきた。入り口らしき細道ではなく、100mほど手前の細道から草原に侵入する。少しガタつくけど、不安になる程ではない。前の車の轍も残っている。緩やかな上り坂に砂色の轍が続き、地平線に消える様子にどうしようもなくワクワクする。幅の細い草と茶色に枯れた背の高い草、左500m先にはこんもりとした森が繁茂している。ここでもたんぽぽが花をさかせている。車を降りると、見渡す範囲に人の影はなく、たださまざまな色の植物が弱い風に吹かれてなびいていた。道路側、つまり後方の空から飛行機がゆっくりと斜めに横切り、一直線の雲を残していった。天国みたいだなあとTくんが笑いながら呟いている。本当にそうだねと返す。本当にそうなんだよなあ。市丸とオガツヨの大島旅行を思いだす。2人の旅行も天国みたいだったらしい、この旅行もそれぐらい楽しくなるといいなとその時に考えていた。この景色を前にしてTくんはカメラを忘れたことを悔しがっている。レンズ3本も持ってきて忘れるのってどんな気持ちなんだろ。間抜けだ。ここが青森じゃなくて、fujiのカメラが流通している地域だったら彼は買っていただろうな。

Googleマップに掲載されている細い道を辿り、十字路で右折する。彼は軽自動車の小回りの良さに感動して、嬉しそうだった。いつも車に乗ると言ったら、この車なので私にはピンとこないけれど、確かにこの狭い道を普通自動車で曲がろうとすると苦労するかも。右折した先は整備の具合が悪く、さらにガタガタとする。彼は道の真ん中の盛り土と草の加減、盛り土の高さが車高にヒットして進めなくなることを心配している。車に乗った経験が多いとそういうことも心配できるのか、全く思いつかなかった。まあ、スタックしてもそこまで抜け出し困難な状況には見えなかったので、進めなくなったら後ろから押せばいいんだよと返す。深刻さがわかっていないため、やや能天気すぎたかもしれない。数百メートル進み、元の道路に戻るため、右折。その先には正規の入り口となるべき小道があり、簡単な説明が書かれた看板とパンフレットが入ったプラスチックケースがある。パンフレットを開くとこの沼はオオセッカという絶滅危惧2類、スズメ目の小鳥の繁殖地らしい。オオセッカの写真はさっき養鶏場で見かけた茶色の尾羽が長い鳥ににている。真偽は不明だけれど、さっき見かけた鳥はオオセッカである可能性がたかい。嬉しい。この鳥を浅地は知っているだろうか。

元の県道に戻る。走り始めてすぐにまた左手に沼?池?のようなものが木立と防風柵を掻い潜って目に映る。あーとかおーとか口に出すと彼が寄り道しますか?と聞いてくれる。多分彼もじっくり見たいのだろうけど、なんか言わせてるようで申し訳ないな、と思う。沼の近くの工事用に固められた路肩に止める。工事の結果、雨水か地下水が染み出して溜まったのか、元々砂地に水をたたえた池だったのかわからない。流線型の岸辺は砂地の地層が見えて、綺麗だ。水に浸っている箇所から最上部の乾き切った砂の色のグラデーション。風がふくと細かく漣がたつ。空の青さとは異なる緑青色の池は本当に不思議だ。波打ち際の近くに寄りたくて足を踏み入れるとズブリと沈み込む。慌てて足を引き抜くけど靴下ギリギリまで砂に浸かる。笑いが込み上げる。間抜けである。Tくんもウケている。本当に幸せだったと思う。車に戻って土をはたき落として靴下を脱いでサンダルに履き替える。車の旅でサンダルがあると便利。勧めてくれた母親に感謝。

この地域は本当にたくさんの沼があるようで、六ヶ所村に程近い地点で左側に沼を見つけ、またまた寄り道。道路をペタペタと歩くと、通り過ぎる車が大げさくらいに距離をとって避けてくれる。キャンプにでも行くのだろうか、重装備のバイカーの姿を見つけて「ああいう行商人みたいなバッグに憧れる」と話すと、彼も目をキラキラさせながら同じことを思っていました!といつもより大きい声で話す。私も声がデカくなる。本当に楽しい。沼はただの沼だったんだけど、ただの沼をじっくりと見る機会は少ないから、貴重。沼に行くために寄り道をして、バイカーを見てあの瞬間があったのだから本当によかった。

さらに北上。次は右側に新緑の木々のアーチに囲まれた小道を発見し、迷うことなく彼が右折する。仏沼ほどの道幅だが、木々と草に囲まれているため、冒険のようで楽しい。100mほど進むと小さなクルマだまりがあってあおい軽自動車が一台とまっている。小さな崖を下ると、そこは小さな入江になっていた。向かいには砂地の島があって浅瀬が続く。お爺さんが右端で釣りをしている。砂浜は牡蠣の殻と流木混じり。満潮時水に浸るであろう流木の下部にはフジツボがびっしりと生えている。歩くたびに牡蠣の殻を踏み締め、そこに穴の空いたサンダルを履いているとやや不安だった。白色に脱色された流木が象の骨のようで墓場。お爺さんは何を釣っていたのだろう。

Tくんとは楽しいを共有している。本当に楽しいのだ、彼といると。気になる場所と状況に行った/陥った時の感情が似ている。似ていると楽しい、のは今互いに見ている/存在しているものがどれほど最高なのかお互いの反応を反射して確認できるからで、反射した輝きは私たちの中でどんどん大きな光になる。なんだかポエティックな表現になっているけれど、そんな印象というか、私たちキラキラしていたのは多分そういうこと。彼の素直さにも助けられている。私も大概感情的に素直な人間だと思っているのだが、彼の素直さはすごい。愛情を持って育てられた犬のような素直さ。身体から楽しさを滲ませて、キラキラした視線をこちらに向けてくるので恥ずかしくなって目を合わせられない。照れてしまう、そうか、今あなたは私と生きている時間と場所を共有していてそんなに嬉しいんだね。よかったよ。と感じる。照れて彼の横顔しか見れていないので、そういうときの真正面の顔が上手く頭の中で思い出せない。

六ヶ所村に至るまでの道は綺麗に舗装されていて、道幅も広い。村に近づくにつれてその理由が明確にわかる。原発関連施設や自衛隊施設の多いこと多いこと。濃密に国家と関わる地域の道路には潤沢な予算が出るのだろう。村の街地に入ると干潟にかかる道路を渡る。Tくんはもうすでに干潟を散策すると決めているようで何も言わずに海岸脇の駐車スペースに駐車する。一台だけとまった軽自動車の中にお爺さんが入っている。

干潟は生死不明の巻き貝で覆われていた。彼らがはった後の軌跡は縄文土器の縄目。干潟に続く階段があるので逆グリコやろうよと誘う。Tくんがチョキで勝つ。近づく。私がグーで勝つ。近づく。私がチョキで勝つ。砂地に足を踏み入れる。サンダルに空いた穴から泥が滲み出てくる。私の負けだ〜と思って諦めて素足サンダルのまま浅瀬に歩いていく。Tくんは笑っていて楽しそう、私も楽しいよ〜と心の中で返しながら干潟を観察する。車に戻って買っておいたミネラルウォーターで泥を洗い落とす。その様子を見てTくんが父親がでっかいポリタンクを実家の車に積んでいて、という話をしてくれた。自分からディティールのある家族の話をすることが珍しいのでどういう出方をしようか迷ったけど、やっぱポリタンクいいねという論点に落ち着く。

15時ごろになるとやや日は傾きつつあって夕方の序章の雰囲気になってしまう。八戸で出発してから立ち寄った場所が全て寄り道なので時間は当初の予定(それもギリギリカツカツの予定)より押していてちょっと焦り始める。Googleマップの営業時間を見て勘違いしていたが、今日泊まる予定の薬研野営場は17時受付終了だった。まずい。今から猿が森のヒバ埋没林を見に行って尻屋崎の牧場を見てむつ市の薬研に17時までに辿り着くのはどう頑張ったって無理だ。そうした状況にある旨を彼に伝えるとうーんでもなんとかなります!とすごく元気に返されたので、そっか!じゃあなんとかなるかなと気を取り直す。

ヒバ埋没林は県道から集落に入ってさらに200mほど進んだ先の駐車場に車をとめ、さらにさらに歩くと見ることができる。車をとめ、スニーカーに履き替えて小走りで林の入り口に行く。林道から一段低くなった右手の土地に、おそらくナラの木立の足元に黄緑のスギナが生えている。視認できる限りそうした植生が広がっていて、その奥から15時30分ごろの透き通った陽光が差し込んでいる。スギナが風に揺れている。2人でしばし立ち止まって見惚れる。しばらく進むと小さなクリークがあってツヤツヤした葉をもつ植物が生えてている。ハッとするほど綺麗なもんだから写真を撮る。橋の先には埋没林に関する説明がきが書かれた看板があって、2人でへーとか言いながらさらに林の奥に進んでいく。林の中の道は人の進んだ轍はかすかに残るだけで、まだ生々しい木が折れて道を塞いでいたりして、整備はされていないようだ。このまま進んだら自衛隊の土地とか、砂丘とかに出ちゃったりしてと冗談を飛ばしていたら本当に自衛隊の道路まで行き着いてしまった。てか埋没林はどこなんだ。世界の霧のログもあるし、明るいし迷っているわけではないけれど埋没林はもうここにないのかもしれない。不安になったけれど、もしかしたら看板の左手につづいていた川沿いの道にあるかもしれないから来た道とはまた別の道のうっすらとした道を通って戻ることにする。あとでTくんから聞いたところによるとこの時、すでに薬研野営場までギリギリの時間だったらしく、ただ今ここで急かしてもいい結果にはならないと思って胸にしまっていたらしい。あと埋没林が見つからないような気がしていたらしい。さらにさらに言えば野生動物との遭遇を心配していたらしい。今思えばその時の彼は口数が少なかったけれど、私はそんな不安を抱えているとはつゆ知らず、能天気にも、運転して疲れちゃったのかな?と思っていた。

粛々と川に向けて歩く。10分ほどで川が見えてきた。目を凝らすと見ると川の中にでっかい木の柱が刺さっている。もしかしてこれが埋没林……でもあんまり期待はせんとこうと思って近づくと本当に埋没林だった。看板をしっかりと読まないからこういう遠回りが起きる。けれどもあー埋没林に出会えないかもな、と一旦気持ちが落ち込んでから現れる埋没林の姿は格別で、感動。大人2人がやっと両手で囲めるぐらい太い幹の存在感は圧倒的で人為的な建造物かと思わず疑ってしまうほどの不自然さ。駐車場に向けて川沿いを歩くとカーブを描く小川の中に次々と埋没木は現れる。およそ800年前のヒバが水に浸かりながら目の前に現前する事実にクラクラしながら、すごいね、すごいねと言い合いながら歩く。

駐車場までの帰り道、せっかくなのでツヤツヤの植物が生えているクリークに立ち寄る。澄んだ水が静かに流れる中、ツヤツヤの植物(のちに水芭蕉と判明)が群生している。あまりの綺麗さに息を詰めて写真と動画を撮る。根元にはマスカラにカラーチップのような形の何か(調べるのが面倒)が数本生えていて、その真っ直ぐさが綺麗。

駐車場に戻るとすでに日は傾いていて、Googleマップでも車のナビでもキャンプ場の受付時間である17時には間に合わない試算になっている。正確にどのタイミングで判明したのか忘れたけど尻屋崎も牧場のゲートが15時30分で閉まることがわかっていて諦めた。くそ〜時間管理できない、でもきっとギチギチに行程通りに管理していたらこの日の幸せを十二分に得られなかっただろうからこれでよかったんだと思う。薬研につくのはナビ上では17時20分、どうしたって間に合わない気がするけど、飛ばせるだけ飛ばして16時50分ぐらいにキャンプ場に懇願の電話を入れることに決め、Tくんに運転を任せる。運転が上手い人というのはスピードコントロールが本当に達者だ。集落を通り過ぎる時には、法定速度ちょい上ぐらい、人影も車も少ない県道では100kmまで一気にスピードを出し、車を追い抜いていく。そんな運転でも流石に猿が森から薬研まで1時間で到着するのは難しくて、キャンプ場に嘆願の電話を入れる。電話に出たのはおじいさんとおじさんの間にいるみたいな人の声で、快く遅刻も受け入れてくれた。

キャンプ場に着くと受付料金を払って説明を受ける。お風呂入りたい?なら今日はここしか空いていないよと近くの老人福祉センターをおすすめされる。老人福祉センターに外部の人間が入っていいのかとちょっと混乱するけど19時までだし、そのままキャンプ場を出て向かう。福祉センターの受付はまたもおじいちゃんで5月だというのに、部屋の中で灯油ストーブを炊いていてその香りがチケットと共にこちら側に流れてくる。風呂にはシャワーと5人入ればいっぱいになるような浴槽があるだけ。でも清潔感があって、シャワーの水圧も高くて満足。砂埃を被った頭を入念にお湯で流していたら、60、70代くらいの女性が「背中流しましょうか」と声をかけてくれた。どうやら親子で来訪しているらしい。恐縮しつつもここで断るのも失礼に当たる気がして、図々しくもお願いする。緑色のポリタオルで泡を立てて、ゴシゴシ強めに背中を擦ってくれる。背中を流すっていうけど、これは実際こするっていう方が正確な行為だよなあ。右肩甲骨下の大きなできものの痕は擦らないように避けてくれている。そういう優しさがありがたい。擦り終わるとその女性は直接両手で簡単に揉みほぐしながら、世間話。女性とその娘さんは薬研の近くの大畑町の出身、娘さんは今は東通村に暮らしながら車でむつ市の仕事場に通っているそうだ。子供もいてGWの今、故郷の大畑に帰り、同じく薬研でキャンプをしているらしい。飛び上がるように熱いお湯にも水を入れて良いと教えてくれたり2人のおかげで老人福祉センターの温泉を楽しむことができたと思う。帰り際におすすめの夜ご飯屋を聞くと「きんぱ」という寿司屋兼定食屋を教えてくれた。お風呂から出て待合室に向かうとTくんはソファで姿勢良く寝ていた。

きんぱは街に降りて、すぐのロードサイドにある和風レストランだった。元は寿司屋だったが、色々なメニューを増やしていくうちに今の業態になったようで、悩ましいぐらい魅力的なメニューに満ちている。老人福祉センターではTくんはあまりお腹はすいていなそうだったがメニューを前にして、食欲が出たようで結局ちらし寿司の並とミニ中華そば、私は天ぷら付きざるそばと筋子の海苔巻きを頼む。どれも本当に美味しかったけど量が多くて少し苦しくなる。でも美味しいご飯を食べられることは幸いで、美味しいねと話し合う。

キャンプ場に戻ってから明日は早いけれどまだ眠くなくて、LEDランタンを持ってキャンプ場の外に散歩をしにいく。野生動物が怖い。300mほど進むと街灯も星の光も届かないほどの樹木に覆われたゾーンに辿り着き、怖くなって帰る。クマが道の真ん中に鎮座しているような妄想が捗ってしまいマジで怖かった。Tくんは進むか戻るか迷っている私を横から眺めていた気がする。

あまりにも星が綺麗だから帰りの道路で寝転んで星を眺める。背中が痛いし、冷気が登ってくるから車に戻って星を眺めることにする。Tくんが持ってきたレジャーシートの上にcolemanの寝袋を敷く。北斗七星しか知らないから星座はそれだけしか表現できないんだけど、たくさんの星……こういうことがあるたびに本格的に星を覚えようと心に決めるのだけれどいつも早見表をうっすら見ただけで終わってしまう。流れ星が2回、一瞬で通り過ぎる。研究室でうどん食べたいって言った時にちょうど通り過ぎたので叶うかもしれぬ。綺麗だ。寒くなってきたのでさらに寝袋をかけて22時40分ごろまで空を見上げる。あったかくて眠くなってくる。危機感を感じて中へ。車の中で落ち着いてからも、今日1日が本当に楽しかったことを2人で確認し合ってしまった。今の所人生で一番楽しい旅だと思う。Tくんを旅行に行きたい人として選んだ目に間違いはなかった。この人とならきっと楽しいと思ったことが実現したことが嬉しい。ずっと日記を書きながらニヤニヤしている。修学旅行の消灯後の部屋のように盛り上がったけれど1時間後には流石に眠気と明日の朝に対する危機感が湧き、2人とも沈黙のち就寝(少なくとも私は)。


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