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ポール・ルヌアールを知ってますか?

Auguste Renoirオーギュスト・ルノアールではありません。
19世紀フランスで活躍した素描画家Paul Renouardポール・ルヌアールです。美術史家Linda Nochrinリンダ・ノックリンが1989年に出版した「絵画の政治学」の第6章「ファン・ゴッホ、ルヌアールとリヨンにおける職工の危機」にこの名を見つけて感慨に浸った次第です。最近文庫がでました。
↑タイトル画「酒場」素描39.3x54.6 東京国立博物館蔵

何故、東博に作品があるのか?

東博で2006年にこんな展覧会をやっていたんですね!残念ながら見逃しました。

ノックリンによると、ゴッホはルヌアールの素描を高く評価していたそうで
ゴッホがまだオランダにいる時に描いた初期の絵「ジャガイモを食べる人々」みたいなプロレタリア絵画っぽい作品はルヌアールの影響を受けている可能性が濃厚だそうです。
ルヌアールの素描は版画化されて「イリュストラシオン」という雑誌に掲載されていたので、当時オランダにいたゴッホも観る事が出来たのです。

ファン・ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」1885年 油彩  81.5x114.5cm ゴッホ美術館蔵


ポール・ルヌアール「鉱夫」 銅版画 東京国立博物館蔵 48.0x31.8㎝ 19世紀

東博に所蔵されている作品を画像検索すると、ざっと数えただけで150点くらいありますね(Wikipediaによると197点)何故こんなにたくさん持っているかというと、明治の画商林忠正にいきつくんです。これもウィキに書かれていますが日本に西洋美術館を造ろうという構想を持っていた林がこれらのデッサンが散逸しないために特別室を造るという条件で東京の美術館に寄贈しようとしたからなんです。これは林の死後遺族が意志を継いでやった事です。

ポール・ルヌアール「展覧会事務総長 林忠正氏」石版画 52.0x39.0


何故、私が知っているのか?

こんなマイナーな事実を何故私が知っているのかと言いますと遥か遠い昔に遡ります。当時、都内のとある美術館に勤めていまして、肩書は学芸員でしたが、開館したての美術館で館蔵品の整理や展示、そしてお茶くみに明け暮れていました。まだ学芸員という仕事を認識してもらえてない時代だったのです。
唯一仕事らしい仕事をしたと思えたのがBaronーRenouardという高名な抽象画家の依頼で実現した「バロン・ルヌアール展ー祖父ポール・ルヌアールと共にー」という展覧会でした。そう、バロンさんのおじいさんがポールさんだったのです。
日本にある作品を探して欲しいという依頼で探し当てた東博から作品を借りてきたのです。1981年の秋でした。長い間、日の目を見ずに埋もれていた作品たちが輝いていました。19世紀のパリを写真の代わりに写し取った生き生きとした素描や版画でした。ゴッホも絶賛したこれらの作品の作者が忘れ去られてしまい反対にその当時は不遇を囲っていたゴッホが超有名になるなんて誰が想像したでしょう!
話は変わりますがノックリン女史によると、エドガー・ドガは反ユダヤ主義者だったそうで(第8章「ドガとドレフュス事件ー反ユダヤ主義者としての画家の肖像」)ガッカリですが…彼の描く踊り子達はルヌアールのオペラ座のバレリーナとよく似ています。ドガも「イリュストラシオン」誌から影響を受けたみたいです。

ポール・ルヌアール「お行儀のよい小さなバレリーナ」銅版画 58.0x44.0

ちなみに、今では幻のルヌアール展を開催したのは、ゴッホの向日葵ひまわりの美術館でした。これもまた何かの因縁でしょうか!?
バロンさんから、おじいさんの作品を探し当てたご褒美にリトグラフをいただきました。作風はおじいさんとは全然違います。
バロン・ルヌアールの作品は日本では東京国立近代美術館と国立西洋美術館が所蔵しています。こちらも今のところ残念ながら収蔵庫の中でしか観られません。

(註)ポール・ルヌアールの作品図版はすべて㈶安田火災美術財団 東郷青児美術館(現在はSOMPO美術館)で1981年9月8日~10月20日に開催された「バロン・ルヌアール展ー祖父ポール・ルヌアールと共に」図録よりお借りいたしました。