ちゃんへん.さんの閃きから、直感力を考える

こんにちは。
最近、ちゃんへん.さんの『ぼくは挑戦人』という本を読みました。

ぼくは挑戦人


その中に、課題を抱えていたときに目に入ったことから閃きを得たというエピソードがありました。
「閃き」については、以前、「結晶化」という面から説明しました。


今回は違った面から考えます。
ちゃんへん.さんは、ジャグリングの世界的パフォーマーです。映像でしか見たことがありませんが、ちゃんへん.さんのショーは、アップテンポな音楽に乗せて驚きの超絶技が繰り出されて圧巻です。ちゃんへん.さんのHPはこちらです。



こちらはちゃんへん.さんのプロモーション映像です。

この本には子どものころに受けた壮絶ないじめと差別、ジャグリングとの出会い、世界各地をめぐってのパフォーマンス、プロパフォーマーの現在に至るまでの桁外れのエピソードが怒涛のようにつづられています。ちゃんへん.さんの「長い旅」がずしんと響く、一読をお勧めしたい一冊です。

この本の中で、ある閃きについて書かれていました。
17歳のときにはじめて出場した大道芸のワールドカップでのこと。1日目のパフォーマンスで、難度の高い技も決めて「練習の成果を発揮できた」のに、お客さんの反応がよくなかったそうです。他の人のパフォーマンスではお客さんがすごく盛り上がって投げ銭もたくん入っています。ちゃんへん.さんが他の人たちのパフォーマンスを観察すると、言葉を用いて説明的にパフォーマンスをするスタイルが圧倒的に多かったといいます。
そこで、2日目、3日目はお客さんにわかりやすいように、言葉での説明を加え、テンポを下げ、技の難易度を落としたスタイルにすると、改善の甲斐があってお客さんは盛り上がってくれて、投げ銭もたくさん入れてくれました。
けれども、お客さんにウケるために、自分の持つ高い技術を発揮しないことがどうしても納得できなかったちゃんへん.さん。言葉を使わず、音楽にあわせてノンストップで技を繰り出す自分のスタイルでやりたい、それでお客さんに盛り上がってもらいたい、と悩んだそうです。
3日目のパフォーマンスの後、「何かいい方法はないだろうか」と再び他の人のパフォーマンスを観察します。リンゴ飴をなめながら見ているちゃんへん.さんの視界に、ミキサーを操作してBGMを少しづつ大きくしている音響担当の人の姿が飛び込んできました。その様子を見たちゃんへん.さんは、「あることが閃いた」といいます。
「BGMは、聴いている人が楽しんでいれば、ある程度の音量で流れているところから少しずつ音量を上げていってもなかなか気づかない。パフォーマンスの技術を音量に例えるならば、1日目は、僕は音量をマックスの状態から始めていたことに気づいた」と言います。だったら、「繰り出す技の難易度を、時間をかけてゆっくり上げていったら、お客さんはそれについて来てくれて上手くいくのではないか?」と考えます。最後となるその夜のパフォーマンスでやってみると、これまでのステージをはるかに上回る歓声が響き渡る大成功でした。
このときから、「ジャグリングの進化をたどるように、初歩的な技から応用技に発展させ、時間をかけて技の難易度を上げていく。見ている人は知らないうちに技の発展を追体験している」という、ちゃんへん.さんのショーの構成がつくられていくことになりました。このスタイルは、「単純な発想のようで当時はまだ誰もやっていなかった全く新しいスタイルだった」そうです。
課題に直面してから1日で改善、3日目にはそれによって生まれた新たな課題を解決する方法を閃いて実行、成功する、というスピードはまさにちゃんへん.さんの挑戦力のすごさだと思います。


おさらいになりますが、等価変換創造理論(ET理論)が考える創造の過程は、だいたいこんな図で表せます。

等価方程式(取り除く、取り入れる入り)

簡単に言い表すと、
 
② ある観点において、参考になるものAを見つける。
② Aの中からAに固有のものを取り除いて、ある観点での本質を抽出する。
③ その本質に必要なものを取り入れてBを作り出す。

です。

ちゃんへん.さんの閃きを、この図に当てはめて考えてみます。

ジャグリング等価

ちぇんへん.さんは直感的に「BGMの音量を少しづつ上げること」(A)と、「技の難易度を少しづつ上げること」(B)の中の「同じ」を見抜いて、高い難度の技でお客さんに盛り上がってもらうショーのスタイルを閃いたのです。

「BGMの音量」と「技の難易度」はいろいろ違います。
たとえば、「照明の光量」なら、「音量」と同じように単位(音量はデシベル、光量はルーメン)があり測定することができますし、同じように機械的な装置で量の操作が可能です。パフォーマンスを引き立てる演出ということも同じです。また、基本的にそれぞれ視覚、聴覚という五感の一つで感知します。ですから、BGMの音量から音という具体的なものを取り除いて少し抽象化すれば、照明との「同じ」を見つけることは容易です。
けれども、技の難易度には決まった単位はありませんし、測定できません。技を見てそれが意味することを理解できるかどうかという面もあり、単純に視覚で認知できるというものでもないでしょう。また、BGMや照明はパフォーマンスを引き立てる演出ですが、技はパフォーマンスそのものです。
それでも、「BGMの音量」も「技の難易度」ももっと抽象化すると、レベルの高低があること、そのレベルの違いを人が認識できるという「同じ」を見つけることができます。

ショーを構成する音楽、光、技について、抽象化によって「同じ」が見つかることを図にしてみます(大道芸では照明による光の演出はしないかもしれませんが、比較のため入れています)。

音、光、技の同じ

でも、ちゃんへん.さんは、BGMを抽象化して……などと考えたわけではなく、瞬間的に「BGMの音量」と同じように、「技の難易度」もレベルを少しづつ上げれば、お客さんはその変化に気づかずに、だんだんとハイレベルな技についてきてくれるのではないか?と閃きました。
ET理論的に言うと、直感的に「お客さんの感じ方という視点」で抽象化した「BGMの音量」と「技の難易度」という異なるもの中の「同じ」を見つけたのです。

このような直観力はどうすれば発揮できるのでしょうか。
抽象化とはある観点での本質を見抜くことですが、その観点は自分が直面している課題によって決まります。ですから、課題について深く考えていることは必要です。
それに加えて大切なのは、ものごとを一面的に見ないこと、つまり、今それが置かれているカテゴリーでガチガチに固めて見ないことです。BGMの音量が少しづつ上げられているのを見ても、BGMだけのこととして捉えていては、当然ですが発想は広がりません。
ものごとに1つの面、1つの意味しかないということはありません。どんなものごとも多面的で、さまざまな抽象度で捉えることができます。そういうものとして、ものごとをゆるみや遊びを持って見ていると、上の図で言えば、いちばん上の抽象度の高いレベルで左右に自由に動ける態勢になっています。だからこそ、たまたま目にした情報に反応して、自分の課題に必要なこととの「同じ」を発見することができるのです。それは、たとえば、テニス選手がサーブを待つときに四肢の関節をゆるめた態勢をとり、打たれたボールに瞬時に反応できるようなイメージです。
このようなものの見方こそが直感の正体です。

というわけで、「異なるものの中から『同じ』を見つける力が発想力を伸ばす」というのは、こういう意味もあるのです。





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