「愛がなんだ」を読んで脳内トリップする夜
もう恋をしなくなって数年たっていて
今は幼い息子に完全に愛情方面は占められていて
夫以外の男性に恋心なんてうっかり抱いてしまったらそれはもう、
こんな、会ったこともない他人にまで清廉潔白を求めるような世の中においては重罪確定。
そんな不自由な30代後半が、恋愛すること自体が全くの自由だった頃を思い返したくなるとたまに読み返すのがこれ。角田光代さんの「愛がなんだ」。
あまりにも好きすぎて映画化されたものは観られていません。
相手から電話が来てタクシー乗ってすっ飛んでいってしまう時の沸き立つような高揚感、
相手と居酒屋で向かい合ってメニュウをのぞき込んでお互いに好きな料理を言い合ってその夜の献立を2人で決めていくわくわくした気持ち、
夜道を手を繋ぎながら歩いて、これから始まるもう一つの夜への期待に胸が苦しくなる思い。(なぜか夏の夜の匂いとセットになって記憶されてる)
主人公のテルちゃんの行動や考え方は私とは全然違うから共感できないのに
相手を好きで好きでどうしようもなくなっていく女の姿にはどこか過去の自分と重なるところがあるから
読み返してしまうんだと思う。
そして読み返すたびに、恋を思いだして、みんなどうしているのかなって思いを馳せてしまう。(そんなたくさんいないけど)
恋をしている現役時代には苦しくなるほど欲しかった結婚や子供が手に入った今は
好きな人と薄暗い照明のお店で、カウンターの下でこっそり手を繋いで
顔を見合わせて何時間でも話していたような、
恋愛をしていた頃の自分が逆に羨ましい。当時は早く安定したくてたまらなかったのに。
人間は、今の自分と地続きに見えて、でも決定的に違うシチュエーションを
いつも追い求めてしまう生き物なんだと思ってる。
だから今の私にとっては、こういう恋愛小説を読んで少し昔の自分を羨ましく思うことは
別にやましいことでも、過去を戻りたいとかそういうみじめな思いをすることでもないのだ。
「愛がなんだ」は、読むと恋愛現役時代の自分にタイムスリップさせてくれる
タイムマシン的な作品。だから、新鮮味を保つために、たまにしか読めない。
それにしても、最後のテル子の決断、恋狂いがすごくて毎度衝撃を受けてしまう・・・
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