書くこと

最近、2つの場面で「書くこと」について言及されているのを見かけて、はっとした。noteを更新していないと気付いた。
仕事はまだまだ慣れなくて、そもそも職種が変わったので向こう1年くらいはてんやわんやしているだろうなという気しかしない。
そんななかで、自らの言葉、考えを失ってしまっているような感覚があって、急いでこの画面を開いた。

書くこと、何かを発話することは、筋トレみたいに継続して続けると見えてくるものがある気がしている。私は特に人の考えに流されやすいから、Twitterなどと本当に相性が悪い。画面に垂れ流しされる見ず知らずの人たちの意見を見ているうちに、まるで自分のもののように思えてきて、自分自身の言葉を失う。
この10年、そんなことの繰り返しだったように思う。

留学していた時が一番良い時代に思えるのは、あの頃、Twitterをやっていなかったからなのかもしれないと思うほどだ。Twitterがなければ知り合えなかった友達がたくさんいるし、感謝もしている。でも、Twitterもなく、常に人から自分の意見を聞かれ続ける環境に身をおいていた留学時代は、これまでの人生のなかで一番自分の意見を持っていた時期のように思う。

でも今の私にはあの頃の私のように、ある日突然Twitterのアカウントを消すようなことはできない。Twitterで繋がる世界と切り離されることが、怖いのだ。
あの頃の私は、なぜこんな怖いことを軽々とやってのけたのだろう。
きっと、それよりも今目の前にある関係性や日々に集中しようという気持ちが強かったのだろうか。実際、あの頃のアカウントで繋がっていた友人たちとは別のSNSでつながってはいるものの、もうあまり交流はなくなった。けれど、Twitterを続けていても多分交流はなくなっていたような気もする。

スーさんが、捨てないと入ってこないと言っていて、それはモノだけでなく、時間や人間関係にも言えるのではと思う。人間関係は捨てるというよりは、一時的に距離を置くとかだと思うけど。

どうしようかな、Twitter。
そして、そろそろ本当に行く国を決めて、行動に移し始めなくては。

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