見出し画像

もう、嘘をつかなくてもいい

 四日前に二十二歳になった。当日は雨が降っていたけど、誕生日なのでゆるした。この一年に免じて雨だって楽しんでやりますよ。大きくなったのでね。

 去年の今頃の自分は今よりももっと暴力的な人間だったな、と思う。望んだ場所を手に入れた達成感からか、一人暮らしの自由さから来る全能感なのか、そういう錯覚で自分の外側を塗りつぶして新しい自分になれたような気がしていた。全てを理解し受け入れてもらえることこそ至高のコミュニケーションで、きっとそうできない自分にはそれが必要ないのだと思っていたし、一人きりでいいから大学も楽しかった。

 話すことを覚えたのはいつだったか、初めて先生の前で泣いた日かな。私がおかしいと思うことや悲しいと思うこと、話して泣いたら先生がティッシュをくれて、私が泣いたのは全然授業に関係のないことだったはずだけど私がずっと一人で悩んでいたことで、貴重な休み時間を私のために消費して、それなのに「またいつでも来てください」って言ってくれた。いつもいつも、「また話しましょうね」って私が部屋を出る時に言ってくれて、なんの嘘もなく「はい」って言えるのが嬉しい。学校の先生をちゃんと好きになれたのは初めてかもしれない。

 それからは少しずつ自分の考えてることを話すのが怖くなくなってきて、noteを始めたり(noteを書くのは、人の前で泣いているのと同じ感覚)、話すから、また考えられるようにもなった。一人で考えていると最初の壁でいつも立ち止まっていたのが、横に立ってくれている誰かが、壁を壊したり抜け道を教えてくれたりするようになった。「考える」ってこういうことだ、って実感があった。楽しい。最近は、(少し悔しいけど、)ひとりで家の中にいる自分よりひとりで外に出かけている自分の方が、ちょっと好きだったりする時がある。
 ただいつまでも話し方が幼い感じがあって、それはどうにかしたい。本当のことを話そうとするとき、私の言葉はいつも幼稚で、記号になりきらない、拙いものになっていると思う。多分抜けきっていない暴力的な部分を隠して、それでも本当のことを言うためにはそうするしかないって思ってるのかも。もっとわかりやすい方法を知っているのに、わかりやすさで人と自分を傷つけるのが怖いんだろうな。少しずつでいいから、そういうところも上手くできるようになりたいな。

 あとは、バイトを始めて、バイトをやめた。半年は我慢しようと思っててそれをクリアできたのでとりあえずはよし。でもやっぱり本を読んだり映画を見たり美味しいご飯を食べたりするにはお金は必要だし、本も作りたいし、どこかでまた始めなきゃいけない。そうだ、本を作るので。
 夏休みがかなり楽しみ。頑張りたいなあ、後から振り返って「あれは頑張ったな」って言えることが本当に無いから、そういうのが欲しい。楽しみだ。楽しみがあるのはいいし、なきゃいけないと思う、ね。それが生きる理由でしょう。

 自分がなんのために生きていくのかずっと不思議だったけど、おそらく今それに一番近しいものが、本を作ることと、研究すること(考えること)だと思う。それが本当にそうなってくれたら嬉しい限りだけど、それは私の頑張り次第か。進路のこともやっぱり考えなきゃいけないと思いつつ、もし大学院に行きたいって言って「就職したくないだけでしょう」って言われたら否定できない気がしている。もちろん選択ってそういうことだし、究極的には「だから何?」なんだけど。それでも、「これがなきゃやってけない」っていうくらい自分にとって大きいテーマがそこにあるって、それくらいのことは言えるようになりたいと思う。それも頑張りたい。頑張りたいよ!!


 悲しいこともちゃんと書いておきたいけど、最近は悲しいことも考える材料になってしまっていて、悲しいことのまま置いてあることがあんまりない。自分が全然駄目なやつだとかそういうのはあるけど、それも正直慣れてきたし、どこかで頑張るしかないことも、頑張れなくても別にいいってことも、わかってるから。結局は自分のために生きるんだって。

 ただずっと悲しいのは、やっぱりみんなで幸せになんてなれないのかもしれないなって思うこと、私がいつも誰かを殺しながら、私も誰かに殺されながら生きてしまっているということ、それをそろそろ諦めなきゃいけないと思ってしまう時があること。
 でも結局のところ私が求めてるのは世界平和だし、そうでなきゃ生きてる意味がない。世界平和なんてそんなものあるわけないって思うくらいなら、今すぐに死んでしまわなくてはいけない。私の体が動物として生を求める本能と、歪んだ世界とそれを否定しきれない自分への嫌悪感の折り合いを、私は世界平和に見つけるしかない。もう誰も泣かない方がいいけど、みんなでじゃなきゃ幸せになりたくない。こんなに幸福な場所でこんなこと言ってるのはずるいけど、それでもやっぱり、考え続けなきゃいけない、私のために。


 少し前まで、私の正義は悲しみ続けることだったと思う。昨日までの自分を、私だけは絶対裏切らないように。
 でも今は、前に進みたいなとも思う。もちろん忘れないことは絶対、それだけは絶対やめないで、それでも、弱いままでも生きていくなら、明日はなるべくいい日になるといいなと思うから。それで、誰かの明日もなるべくいい日になるようになんて、もし自分にもそんなことができるならそれはめちゃくちゃ良いなと思うから。だからちょっとだけ更新しました。

 二十二歳の、いまの私の正義
 迷うこと、選ぶこと、後悔すること
 疑い続けること
 信じられるものを探すこと
 です!

 人生なんてずっと怖いんだろうけれど、楽しいと思える時間が少しでも長くなると良いね。弱い奴なんていらない社会の中でどうやって自分を生かすのか全然わかんないままだけど、私のためでいいし、それが正解だよ。
 好きな人も音楽も本も映画もたくさん出会えて良かった。少しは頑張れた日もあるはずだし。誕生日になるたびに自分が自分に置いていかれてるみたいな気持ちになるけど、年齢なんてただの数字、今何を考えてるかの方がずっと大事!
 忘れないでね。私のため!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?