2024/4/2 帰って帰る、場所
久しぶりに帰省したら、姉が編み物を始めていた。相変わらず会話は少ない。親にお金を出してもらって学生をしていると、働いている姉のことを何かと優先するのは当然のように思える。ずっとだけど。ずっとだなあ。
実家に帰ると、母はいつも「おかえり」と言ってくれる。私も、実家に「帰る」という表現をつかう。家が二つある、と思って、ちょっとだけ変なきもちになる。どこにも帰れないような気もする。
本をつくったことは言わなかった。就職の話は少しだけした。どうせ働くなら出版に関わる仕事がしたいけれど、「優秀な人材」なんて目指したくない。下手に商業の世界に入って、本を嫌いになりたくない。手を動かすほうが向いている気がするから、印刷とか製本とか、そっちのほうがたのしそう。うだうだ話していたら、母が言った「いいやん」という言葉がいつもより少し嬉しそうに聞こえた。
早く、母としてのこの人を手放さなくてはいけないのだろうなと思う。子と親ではなくただ家族になって、母に、自由を返さなくてはいけないと感じる。よくわからない。恥ずかしいのかもしれない。
「母はたぶん私がどれだけ駄目になっても助けようとしてくれるから、私は『飢え死にしてもいいから好きに生きたい』みたいなことができない。ちゃんと収入を得て、それでいて私らしく大丈夫でいる方法を探さなきゃいけない」と、カウンセリングで話したことがある。母に、「産まなきゃよかった」と思われるのが一番怖い。
半年ぶりくらいに会った友達には、本が出来たことを伝えた。「読みたい」と言ってくれた。新年度が始まって、これで同い年の友人はほとんど社会人になった。保育園からの幼馴染も。みんな「働きたくない!」と言いながら、ちゃんと大人になっていって、かっこいい。働いているのが大人というわけではなくて、うまく言えないけれど、いつもみんなが先を歩いているように思う。
人より長めに学生をしているのがうしろめたく感じることもある。そうさせてもらえる家庭環境とか、甘えた態度とか。
何かに必死になりたいけれど、そうできる体力がない。研究をがんばりたいとあれだけ言っていたのに、春休み中は本づくりにばかり時間を使って大学のことは全然考えなかった。言い訳ばかりうまくなる。
海の空気を吸うときだけ、自分でいられるような気がした。いつから、海が帰る場所になったんだっけ?
目指すところが無いのは怖いね。けれど、自分が向いている方向をいつも確かめて、考えつづけるだけ。
とりあえず一人暮らしの家に帰って、今日もバイトに行く。死なないために生きるのではなくて、まだ死なずに、ゆっくり生きる。
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