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かけてほしかった言葉を、かけられる親になりたい

「良い子だねぇ~」
「良い子でいるんだよ」


娘や息子に向かってその言葉をかけられる度に、
どうしても心の中がチクっとする。


"良い子"って何なんだろう。
この問いが、私の中に生まれます。

なんの悪気もなく言っているのは分かる。
何の悪気もないからこそ、違和感を感じるかもしれない。
言葉が良くないわけでもない、
傷つけようと発せられている言葉でもない。

それでも受け取る私が違和感を感じるのは、私自身が”良い子"という言葉に縛られて生きてきたからだと思います。




「良い子だねぇ」
そう言われて育ってきました。
きっと誰もが一度は言われたことがあるんじゃないかなぁ。


○○したら"良い子”になれるよ
○○できたから”良い子”だよ
○○ちゃんは”良い子“だね


小さい頃の私は、良い子でいると褒められて、
“良い子”は褒め言葉でした。

良い子って言うのは
そのままの私じゃなくて、いつも”条件付き”


子どもながらに周りを察することが得意だった私は

「良い子でいなくちゃ」
「良い子にならなきゃ」

そう思って、日々のいろんなことを選択する子どもでした。
だって単純に、褒められたら嬉しかったから。


だけどだんだんと周りの目を気にして、周りに褒めてもらえるような言動が正解だと思いこんで、私がどうしたいかなんてそっちのけになっていってしまって。。。

いつの間にか私は”良い子“の枠の中に入れたら安心して、良い子じゃない自分に×をつけるようになりました。



「あなたは良い子だったよ」
今でも言われるけれど、良い子って何だろう。



過去は変えられないけれど、
もっとのびのびと生きたかったなぁと思います。

今思えばだいぶ”良い子”って言う言葉に押し込められて生きていたように思うんです。
周りの声かけがよくなかったとかそういうことを言いたいのではなく、子どもだったからこそ疑問なく受け取ってしまっただけ。それを「良い子でいることが全てじゃないかもよ、、?」って気づけるタイミングが私は大人になるまで来なかった、それだけのこと。



だから、今の私は”良い子”という言葉を使いません。
それは、

何かできるから良い子でもないし、
もうすでにそこに居てくれるだけで良い子だし
良い子でもそうでなくても、
どっちでもいいから。

“良い子”っていう枠が必要ない。
っていう考えだからです。


でもその反面、難しいなとも思います。

娘や息子に対して「良い子」とは伝えないけれど、
何かができたらやっぱり褒めてしまうから。


できないことができるようになったら
「すごいね!」って
お手伝いしてくれて嬉しくて
「ありがとう!」って

それが良くないわけではないと思うけど、
それが結局
「なにかをしたら褒めてもらえる、喜んでもらえる」
”条件付き”になってしまうのかなぁって思ったりする。

だからよく「過程を褒めること」なんて言うんだろうなぁ
なんて思ったり。



正解はありません。
だからこそ「どう伝えていくか」だと思っていて。


そう言う褒めるシーン以外で、
「あなたがいてくれたらそれでいいよ」って
どれだけ伝えて
感じてもらえるだろう。


私が伝えたいのは、
何かができるできないじゃなく
「あなたがいてくれたらそれでいい」

それが、太くて丈夫な根っこになって
大人になっても自分を支えてくれる
自信になってくれるだろうなって。

これは、私がかけてほしかった言葉なんだなぁとも
思ったりするんです。

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