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人間ヴェルディ

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彼の音楽と人生、そして その時代
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第23章:イル・トロヴァトーレ 吟遊詩人 1852〜1853年 38〜39歳

ヴェルディとストレッポーニは1851年から1852年にかけての冬をパリで過ごした。秋にブセットを立つ前から、彼はすでにイル・トロヴァトーレ(吟遊詩人)の作曲を始めていた。リゴレット初演の1ヶ月後の4月、彼はナポリのカンマラーノから、スペイン語の戯曲、「エル・トロヴァドール」の筋書きを受け取った。彼は気に入らず、すぐに彼自身が書いた筋書きを送り、こう書いた:貴殿のような才能を持ち特異な人物に、こう書くのを許してほしいが、もしこのオペラに斬新さと奇怪さを入れなければ、やめた方がい

第22章:ブセットでの生活1851〜1852年 37歳〜38歳

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第21章:「リゴレット」 1850〜51年:37歳

初めての方へ:ジョージ・マーティン著、萩原治子訳の「人間ヴェルディ:彼の音楽、人生&その時代」の第1部と第2部は公開済みで無料です。著者については第5章の、翻訳者については第6章の【翻訳後記】をお読みください。

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第20章:「ルイザ・ミラー」と「スティッフェリオ」 1849~1850年 35歳~37歳

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人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (19)

著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 予想通り、1849年2月9日、ローマ市の人民議会は、法王領の政府体制は憲法に基づいた共和党政権で、ローマを首都とすると宣言した。議会ではこれを実現させるために、法王の複雑な政治的権利を無効にする決定で乗り越えた。将来、牧師や司教や法王自身も、もしローマに戻りたいということであれば、そのときは彼らも、他の市民と同様、一人一投票権と定め

人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (18)

著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 パリに戻ると、ヴェルディは初めて、ストレッポーニと同じ屋根の下に住み始める。夏の間、彼らはパリ郊外のパッシーに庭付きの家を借りる。1867年にストレッポーニがマッフェイ伯爵夫人に書いた手紙に、郊外に家を借りることは彼女のアイディアだったと書いている。彼女は庭いじりが好きで、それに静かな環境はオペラ作曲中のヴェルディにとっても、静養に

人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (17)

著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 ヴェルディがミラノに戻った1848年4月頃の、政治的攻略の駆け引きは苛烈で、深刻だった。「あの5日間」中に、マンゾーニを含むミラノの政治的リーダーたちは、ピードモント王国のカルロ・アルバート国王へ援軍要請の嘆願書に署名をした。それは現実の中、常識的な方向だった。ラデッキーの軍をミラノから追い出したといっても、その存在が消えたわけでは

人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (15)

著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 オペラ「群盗」初演のためにパリ経由でロンドンへ( 1847年 33歳 ) ロンドンで予定された「イ・マスナディエリ(群盗)」の初演は、ヴェルディにとって、最初のイタリア国外の初演公演だったので、彼自身、いつも以上の興奮ムードに浸っていた。ロンドン市にとっても、初めてイタリアン・オペラの巨匠を迎えるという同様の熱狂的ムードがあった。

人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (14)

著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 ご挨拶: いつもご愛読いただき、ありがとうございます。 この10月10日はヴェルディの誕生日で、生誕210年となります。 また私にとっては、この連載を始めて、ちょうど1年になり、お祝いしています。まだこの先は長く、かなりの月数が必要です。今後共よろしくお願い申し上げます。  オペラ創作のビジネス面と「マクベス」 (1846〜18

人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (13)

著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 ガレー船(苦役)時代、その2(1845 - 1846: 31歳から32歳) 1845 年の冬は問題が多かった。ヴェルディ自身の演出による「エルナニ」公演というスカラ座からのオファーを断った理由のひとつは、ナポリのサンカルロ劇場との新作オペラの作曲と演出の契約がすでに入っていたことがあった。初演は6月に予定されていた。時間はすでに十

人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (12)

著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 ガレー船(苦役)時代、 その1 (1844―1845 : 30歳から31歳) ヴェニスでの「エルナニ」の初演大成功の後、ミラノに戻ったヴェルディは、その後「ガレー船時代(苦役ということ)」と自ら表現した時期に入る。1839年の「オベルト」初演以降、彼は毎年1作のオペラを作曲してきた。不幸な結果になった第2作目の「一日だけの王様」

人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (11)

著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部  ヴェルディアン・オペラの確立期 ヴェニスと「エルナニ」 (1843―1844: 29歳から30歳) 「ロンバルディア人」の後、次の新作オペラ作曲を、ヴェルディはヴェニスのフェニーチェ劇場と契約した。フェニーチェ劇場は当時、そして現在も、イタリアで最も重要なオペラ・ハウスの一つ。カルロ・モチェニゴ伯爵が率いる理事会は、1843~1844年のカーニバル・シーズ

人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (10)

著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 この本で著者、ジョージ・マーティンはヴェルディの充実した87年の生涯を41章に亘って綴っていて、それを4部に区切っています。それぞれの部に副題はありません。私がつけるとすれば、第一部は「おいたち」と「初期」。今回始める第二部前半には「ヴェルディアン・オペラ確立期」にしたいと思います。 第二部 ヴェルディアン・オペラの確立期    ミラノの新しい友人たちと「ロンバルディ

人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そして その時代(9)

著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第一部 本人が語った「ナブッコ」初演までの様子 ヴェルディは一生涯、自分と周りの人々のプライバシーを厳しく守ってきた。彼が68才の時、ベルリーニの生涯に関する記事を送ってきた友人に、「なぜ、音楽家の手紙を掘り出して、とやかく書くのか?音楽家の手紙は常に急いで、簡潔に、気遣いなしに書かれ、さらに何が重要かも示していない手紙が多い。それは音楽家は作家として名を残そうなど、