時々行ったり来たりする
時々感情が行ったり来たりする時がある。
人生で、自分が決めた道に迷った事はない。失敗しても、あの時私の判断はそれにしようと決めたのだから、それはそれで次に進めばよいと。
違う道を選んでいたらどうなっていただろうと、一瞬考える事はあっても、今の進んでいる道が偶然のような奇跡のようなものだから、それなりに大変であるけれど楽しい日を過ごしてきた。
手術をして癌と言われて症例がまだあまりないと言われた時、まっさきに頭によぎったのが仕事ができなくなる、人生終わる。
世の中には休業手当やら社会保険で賄われる事を周知しようと流れてくるが、法人であっても一人親方。貴方だから仕事を頼んでいるという付き合いが殆ど。仕事に穴をあけたら自分の仕事がなくなる。それを悲しみ泣いていたことは医師も看護師もいまだ知りもしないだろう。
5年の。もはや刑期という言葉のほうがよいのだろうか、それがもうしばらくで終わる。
ただ、それでも今日など、仕事ではないプライベートの会議でも、特に責任が大きい事などには、昔のように積極的な言葉をどうしても発することができない。逃げ道をいつの間にか作ってしまう自分がいて、心のなかでは、一歩踏み出して積極的に動くだろうに、と。
此処で数年ぶりとなる友人たちが偶然ながら次々と遊びにくる。
お友達付き合いは狭い自分が、重なると、なんかもしかしたら神様がお別れの機会を与えてくれているのかなとか。
実はちょっと体調が不調で、おかしいなと思う症状がでているのだけれど
なんだかもうどうでもよくなって、ネットで調べるキーワードは癌の進む速度。5年~10年とも書かれているのを見ると、自分の年を考えると、別にもういっか、と。仕事を縮小していって、すぐに対応しないでもよい程度に他の人に渡しやすい状態にしあげてと。
親が2か所も癌が見つかりただ高齢だから何もしないで日々暮らすのを見ると、親孝行として親を看取るまで生きていられればそれでよいかと
そう、特に今日のような来年度のことを考えて話し合いをしている時
そんなことを思う。
思うのだけれど、一方で、こうやりたい、あれもやりたい、もうちょっとステップアップした仕事をしたい、プライベートで社会の現実的な問題解決のために本当なら動きたい、
でも
人に迷惑をかける事だけはしたくないのは誰でもそう思うのではないだろうか。
知り合いで、癌に白血病にと、30代から発症して、ただ大企業だったから、年単位で休職できる事ができ、その後復帰して、結局、また数年後には再発して、亡くなったのだけれど
雇用する側の立場として自分はいつも考える。社会保障といわれるが、雇用主としたら、それが義務だと言われるが、そこまで保障をするのは仕事に見合う勤務をしてもらえなければ、大赤字であり。
それがわかっているから、すべての事に対して、権利だから、誰もがなる病気だから、ではすまされない話だと
思っている。
思いあがるなとは言われるかもしれないけれど、自分にしかできない仕事を持つ人ならば、きっと同じことを考えるだろう。
そのスタンスは、だぶん介護にしても何にしても同じであり
権利だからと、私はけして言えない。そんな人も居る。
だから
行ったり来たり、特に不調が続くときは、来たりが激しい、後ずさり。
お願いして手術してみたら、癌でした、から始まっているから
実は医者の見立ても当てにはならないと、本音は思っている。
ただ血液検査とCTとを見て、数値を照らし合わせて正常値ならば異常なし、ぞれで手術前まで1年もやってきたあげくに癌だったのだから
無理でしょと。
自分の身体は自分しかわからないし、しょせん機械作業。
だから、まあ、どうしてもだめになった手遅れの時に、その後を考えるところが医者で病院でと
そう思っているのだけれど、その、それがいつかは誰もが知らなくてわからない事だから
やっかい
いったりきたり
亡くなったもうひとりの親が、がんで手術して、経過観察終わって、2年後に不調でて、病院に行って、心身共に辛くて不安な状態で過ごして亡くなったのをずっと見ていたから
もういっか、と
自分の身体のことは、もういっか、と、もう決心ついているので気持ちは楽なのだけれど
問題が、身体ではない事が、まだ未練があるのか、でも仕事もプライベートも次を考えなくなったら、もう何もやることないしなあ
とか
今日はそんなことがあった
とりとめない戯言、ひとりごと