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♪はる自分史9 家のこと1

私は小学生の頃のことをかなりたくさん覚えています。6年間の出来事をすべてひとまとめにすると長大になってしまうので、おおまかに学校、地域、家のことに分けて綴っていこうと思います。

1.運動苦手

低学年のころは、いろいろ下手でも遊びには入れてもらえました。でも自分でも運動が苦手なことに気づき始めて、だんだん恥ずかしくなってきました。

私の他にも運動が苦手な子はいましたが、自転車に乗れないのは私だけでした。

怖がりなことが最大の障害でした。

18インチの小さな自転車は、5年生には余裕で足が地面につくので怖くありませんでした。怖がらなければ案外あっさり乗れるものなのですね。

2.本が好き

父も母も身体を動かすのが苦手。そのぶん子どもの頃から本を読む時間が長かったのだと思います。私が興味を広げそうな本の与え方が上手でした。

3.七五三


父は内村鑑三の教会のないキリスト教に共感していたので、七五三に神社にお参りする気はありませんでした。

子の写真ではお澄まし顔ですが、ちゃんと変顔した写真も残っています。それにしても、なんで靴が赤なのか(笑)

4.曾祖母が来た

曽祖父は祖父が10代の頃に亡くなり、曾祖母は子どもたちが独立してからずっと一人暮らしでした。祖父が長男なので、高齢になった曾祖母と同居を決めたようです。

残念なことに曾祖母は寝たきりになるとほどなく認知症になってしまいました。

5.父へのプレゼント

マスコットのウサギの手に毛糸を通し、ブランコの板を足下につけました。

毛糸は瓶のフタの大きさに切った厚紙に通して結んで、厚紙はフタの裏に貼り付けました。

簡単な工作ですが楽しく作りました。父はずっと自分の机の上に置いておいてくれました。

6.乗り鉄の父

電車好きの父に付き合ったおかげか、私も電車を見たり乗ったりが大好きになりました。私の家族はあまり電車に興味がないのが残念です。

7.富士山大好き

線路が伸びる方向に、小さいけれどくっきりと富士山が見えました。富士山が見えると母はいつも大喜び。

「こんなにきれいに見えるのに、なんで他の人は立ち止まって見ないのかしら、もったいない!」

母に同意です。

8.鰻好きの父

父は今でもこの時のことを残念そうに話します。残ったごはんだけ食べるのはお腹が苦しくて大変だったそうです。

9.曾祖母が同日に亡くなる

そんな偶然が!と思うような出来事でした。父の実家での母の立場を悪くしないよう、父はとても頑張っていたと思います。


家のことはまだまだ続きますが、noteは一旦ここまででまとめます。

今覚えていることを残しておきたくて、かなり細かい記憶までツイートしました。特別なことはなにもなく、見てくださった方から「自分もそうだった」「自分の家も同じ」とリプをいただくこともありました。

もっと年数が経って私がいろいろ忘れてしまった時に、このnoteを見返して思い出す助けになればと思います。

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