![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55079583/rectangle_large_type_2_e423366e8cfdac7b9e5f813fae2f8035.jpg?width=1200)
♪はる自分史9 家のこと1
私は小学生の頃のことをかなりたくさん覚えています。6年間の出来事をすべてひとまとめにすると長大になってしまうので、おおまかに学校、地域、家のことに分けて綴っていこうと思います。
1.運動苦手
♪はる自分史230 家のこと①
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 1, 2021
小学生になると周りの友だちと自分を見比べるようになる。私は身体を動かすのが周りより苦手。両親も子どもの頃から身体を動かすのが壊滅的に苦手だった。私と一緒に身体を使う遊びを一切やってこなかったし、できなかったのだ。しかも私は一人っ子。#自分史俱楽部 pic.twitter.com/UafwDy5C0i
低学年のころは、いろいろ下手でも遊びには入れてもらえました。でも自分でも運動が苦手なことに気づき始めて、だんだん恥ずかしくなってきました。
♪はる自分史231 家のこと②
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 2, 2021
真っ先に困ったのは自転車。補助輪を外しての練習で私がひどく怖がったので、父は怒って早々に家に入ってしまった。母は非力で自転車を支える力がない。それきり自転車の練習はしなかった。周りで自転車に乗れないのは私だけだった。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/rIUAGaVKF1
私の他にも運動が苦手な子はいましたが、自転車に乗れないのは私だけでした。
♪はる自分史232 家のこと③
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 3, 2021
自転車は父が何度か練習に誘ってくれたが、そもそも練習が怖いし怒られるのも怖いので応じなかった。ますます怒られた。しまいに父も呆れて誘わなくなった。それきり5年生まで自転車に乗れないまま過ごした。#自分史俱楽部 pic.twitter.com/jhCnud8pg9
怖がりなことが最大の障害でした。
♪はる自分史233 家のこと④
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 4, 2021
5年生のある日。庭に放置された錆びた自転車を見て乗ってみようと思った。小さい自転車にまたがり家の前のゆるい下り坂を何度も下ってみた。倒れないで下れる。慣れてきたので平地でペダルをこいでみた。乗れた!うれしくて家の周りの道をなんども周った。#自分史俱楽部 pic.twitter.com/kp6oKtuqdt
18インチの小さな自転車は、5年生には余裕で足が地面につくので怖くありませんでした。怖がらなければ案外あっさり乗れるものなのですね。
2.本が好き
♪はる自分史234 家のこと⑤
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 5, 2021
父が児童文学全集(全50巻)を買ってくれた。母はこんなにたくさん読めるのか疑問だったが、父曰く「たくさんある中から好きなのを読めばいいんだよ。全部読まなくても」。毎月2冊ずつ届いた。全て赤い表紙のハードカバー。挿絵があるので読みやすかった。
#自分史倶楽部
♪はる自分史236 家のこと⑥
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 6, 2021
児童文学全集にはちょっと変わったものも収録されていた。古事記、ギリシャ神話、御伽草子、ペロー童話、シェイクスピア物語、弓張月、太閤記。すべてだいたい同じくらいのページ数でまとめられている。いろんな分野に興味をもつ入口になったと思う。#自分史俱楽部
父も母も身体を動かすのが苦手。そのぶん子どもの頃から本を読む時間が長かったのだと思います。私が興味を広げそうな本の与え方が上手でした。
3.七五三
♪はる自分史237 家のこと⑦
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 7, 2021
7歳の七五三は神社へのお参りはなし。家で記念撮影をするため黒いベルベットのドレスを買ってくれた。ドレスに合わせて私が選んだ靴はなぜか赤😅撮影小物として父が本物みたいなウサギのぬいぐるみを買ってくれた。#自分史俱楽部 pic.twitter.com/BIQjRmWFhT
父は内村鑑三の教会のないキリスト教に共感していたので、七五三に神社にお参りする気はありませんでした。
子の写真ではお澄まし顔ですが、ちゃんと変顔した写真も残っています。それにしても、なんで靴が赤なのか(笑)
4.曾祖母が来た
♪はる自分史238 家のこと⑧
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 8, 2021
となりに住んでいる祖父母の家に曾祖母(祖父の母親)が同居することになった。曾祖母に会うのは3歳の頃以来だったのでとても嬉しかった。祖父母の家で夕飯を食べる日は曾祖母と一緒に台所を手伝った。#自分史俱楽部 pic.twitter.com/g6RkT7UCPy
曽祖父は祖父が10代の頃に亡くなり、曾祖母は子どもたちが独立してからずっと一人暮らしでした。祖父が長男なので、高齢になった曾祖母と同居を決めたようです。
♪はる自分史239 家のこと⑨
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 9, 2021
曾祖母は祖父母の家に来てしばらくして、寝たきりになってしまった。私は曾祖母と遊びたくて、果物の形のビーズをお皿に盛ってままごと遊び。曾祖母に差し出したら、なんと口に入れてしまった。慌てて祖母を呼んだ。なかなか口から出してくれなかった。#自分史俱楽部 pic.twitter.com/QVAPCrdxuD
残念なことに曾祖母は寝たきりになるとほどなく認知症になってしまいました。
♪はる自分史240 家のこと⑩
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 10, 2021
曾祖母が寝たきりになり、ときどき訪問入浴サービスが来てくれるようになった。母も手伝いに行った。でもその他はすべて祖母が担った。曾祖母は祖父母の結婚には猛反対だったらしい。難しい関係の姑の介護をする祖母は大変だったと思う。#自分史俱楽部 pic.twitter.com/5MIEU1d023
5.父へのプレゼント
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 11, 2021
♪はる自分史241 家のこと⑪
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) May 11, 2021
家にあった紙工作の本を見ながら、父の日のプレゼントを作ってみた。ガシャポンのうさぎのマスコットを空きビンに入れて「ブランコうさぎ」。父はぜんぜん嬉しそうなリアクションをしなかったのに、今までずっと捨てずに持っていてくれた。#自分史俱楽部
マスコットのウサギの手に毛糸を通し、ブランコの板を足下につけました。
毛糸は瓶のフタの大きさに切った厚紙に通して結んで、厚紙はフタの裏に貼り付けました。
簡単な工作ですが楽しく作りました。父はずっと自分の机の上に置いておいてくれました。
6.乗り鉄の父
♪はる自分史278 家のこと⑫
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) July 21, 2021
父は子どもの頃から電車が大好き。ちょっと変わった電車があると母と私を連れて乗りに行く。でも旅行は嫌いなので、近くの電車を1区間だけ乗って帰ってくる。最寄りの常磐線で最後の電気機関車が走った時も、夜なのに1駅だけ乗りに行った。#自分史倶楽部
♪はる自分史279 家のこと⑬
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) July 22, 2021
北総開発鉄道が開通した時にも家族で乗りに行った。当時の終点は小室。駅を出ると原っぱばかりで何もなかった。昭和54(1979)年の開通当時から自動改札に自動精算機。JR東日本の自動改札導入は昭和62(1987)年。#自分史倶楽部
♪はる自分史280 家のこと⑭
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) July 23, 2021
次に乗りに行ったのは成田空港までの直通特急スカイライナー。当時は京成上野⇔京成成田までノンストップ。本当は実家の方が成田までの距離が近いのに、わざわざ逆方向の上野に出て乗車。帰りは国鉄の成田線。こちらはローカル線なので時間がかかった。#自分史倶楽部
♪はる自分史281 家のこと⑮
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) July 24, 2021
JR常磐線特急スーパーひたちデビュー時。すでに大学生になっていたけれど両親に付き合って乗りに行った。松戸~我孫子間。普通車に乗っても12分の距離なのにわざわざ特急券を購入して乗車。はたから見たらバカバカしいけれど、両親は楽しそうだった。#自分史俱楽部
♪はる自分史282 家のこと⑯
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) July 25, 2021
父はプチ乗り鉄なのに、自分が運転する車以外はほとんど酔ってしまう。飛行機にも船にも乗ったことがない。名所旧跡には興味なし。「自分が住むところの周りのものさえ知り尽くしていないのに、遠くへ見に行く人の気が知れない」という頑固者。#自分史俱楽部
♪はる自分史283 家のこと⑰
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) July 26, 2021
家族旅行で電車を使ったのは小2小3の夏休みの2回だけ(内房線)。電車の窓から海やトンビが見えてワクワクした。行った先は房総半島の千倉町(現・南房総市)。泊まった民宿では、朝食も夕食も魚。魚は苦手だと思っていたけれど、おいしくて残さず食べた。#自分史俱楽部
電車好きの父に付き合ったおかげか、私も電車を見たり乗ったりが大好きになりました。私の家族はあまり電車に興味がないのが残念です。
7.富士山大好き
♪はる自分史284 家のこと⑱
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) July 27, 2021
最寄り駅の駅舎から富士山の方向に線路が6本通っている。さえぎる物がないので遠くの富士山がよく見える。母と一緒の時は改札を出ると必ず富士山が見える窓に行った。見えると2人で大喜び。ちなみに私たちの他に立ち止まって富士山を見る人はいない🤣#自分史俱楽部 pic.twitter.com/B5HZclf4sX
線路が伸びる方向に、小さいけれどくっきりと富士山が見えました。富士山が見えると母はいつも大喜び。
「こんなにきれいに見えるのに、なんで他の人は立ち止まって見ないのかしら、もったいない!」
母に同意です。
8.鰻好きの父
♪はる自分史285 家のこと⑲
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) July 28, 2021
父は鰻が大好き。牛久沼沿いに通称「鰻街道」がある。鰻屋さんが何件もある。なんども鰻を食べるためだけに約1時間ドライブした。最初のお気に入りのお店は今はない。2件目は今も頑張っているみたい。また食べに行きたいなあ。#自分史俱楽部#いい活210728💧
♪はる自分史286 家のこと⑳
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) July 30, 2021
最初に鰻街道の鰻屋さんに行ったのは幼稚園の頃。鰻は小骨もあるし食べづらくて、細かくほぐしてごはんの中に埋めた。たれがかかったご飯ばかりを食べて、埋めた鰻はお残し。父は「ちゃんと食べろよ~」と文句を言いつつも内心喜んで残飯処理していた。#自分史俱楽部 pic.twitter.com/XLWV1O1tkr
♪はる自分史287 家のこと㉑
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) July 31, 2021
年に数回は鰻街道に通ったので、小学生になった頃には鰻が好きになった。鰻は全部食べて、ごはんは多すぎるから「パパ食べて」。食べ物がもったいないと言って残飯処理していた手前「鰻がないからいらない」とは言えない父。ガッカリしながら残飯処理。#自分史俱楽部 pic.twitter.com/OYhKpJzWZf
父は今でもこの時のことを残念そうに話します。残ったごはんだけ食べるのはお腹が苦しくて大変だったそうです。
9.曾祖母が同日に亡くなる
♪はる自分史287 家のこと㉑
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) August 1, 2021
隣の祖父母と同居していた曾祖母が、1年半寝たきりの末に亡くなった。なんと同じ日に電車で2時間の距離に住む父方の曾祖母(父の父の母)が亡くなった。父は喪主の長男かつもう一方の喪主の一人娘の婿。通夜と葬儀は両家に顔を出して大忙しだった。#自分史俱楽部
そんな偶然が!と思うような出来事でした。父の実家での母の立場を悪くしないよう、父はとても頑張っていたと思います。
家のことはまだまだ続きますが、noteは一旦ここまででまとめます。
今覚えていることを残しておきたくて、かなり細かい記憶までツイートしました。特別なことはなにもなく、見てくださった方から「自分もそうだった」「自分の家も同じ」とリプをいただくこともありました。
もっと年数が経って私がいろいろ忘れてしまった時に、このnoteを見返して思い出す助けになればと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?