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無題。
久しぶりの日記だ。
このところまただいぶ何やら生きる意気が減退してしまっており、どうもあらゆることが楽しくない。
これも自分のひねくれた性格による自業自得であると思う。
あらゆるものを「だいたいこんな感じだろう」と高を括り、そしてその予想を下回る体験を幾度も経験したせいか、萎えてしまったんだと思う。
何様かと思う。
世界は私が思うほど狭くはないのだ。本当、何様かと。
飽きっぽいのもよろしくない。
ただそんな風に自分を否定し始めたらまた自壊してしまうきっかけを作ることになるので、ほどほどにする。
ほどほどに、飽きっぽいのはよろしくない。
EVE Online、これは少し楽しい。
広大な宇宙を体感できるゲームだし、この広い宇宙に人間が織りなす社会が網を広げていると想像すると楽しい。
そう、少し楽しいのだ。
ストリートファイターV、これはアプデが来た。
使用キャラのかりんは特に追加の遊び無し。
それどころかお咎めを受けて主力技の幾つかがナーフされている。
ストVは、メンタルが壊れる原因を作ってしまう傾向が強く、今の不安定な私には耐えられないと判断して一旦またやめることとした。
確かにやめなければうまくはなる。
しかしそれが「続けられなくなってやめては、再開しての繰り返し」だとどうだろう。
本当にうまくはなるだろうか。
たぶん答えはイエスで、しかしそれにはそれだけの長い時間がかかる。
その時間を支えるほどのモチベーションと心を維持できるかというと疑問だ。
いつかまた精神が回復したら再開するかもしれないが、またしばしの別れだ。
ギルティギアストライブは、これもアプデが来た。
新キャラクターのテスタメントはまだGGがドット絵の2D格ゲーだった頃からの復帰キャラだ。
そういう意味では、御津闇慈と同じポジ。
闇慈復活の頃は大いに心が湧いた。
テスタメントについては私は元々思い入れのあるキャラでも何でもないが、そのビジュアルや動き、カットワークの演出、そしてテーマ曲がどれも素晴らしく美しい。
個人的に定義する美しさとは、たぶんだけど、痛みと優しさ、闇と光、横と縦。
その隙間に発生するものだと思っている。たぶんだけど。
テスタメントにもそれを感じる。
かなり美しいキャラクターと音楽だ。
甘いスイカに塩を振るとより甘くなる、あの感じ。
スイカだけでも、塩だけでも良くない。
闇だけでも光だけでも良くない。
痛みだけでも優しさだけでも良くない。
横だけでも縦だけでも良くない。
昨夜はとあるVtuberの方で、テスタメントをきっかけに初めてギルティギアストライブをプレイするという方の配信があったので、覗いて見ていた。
元々テスタメントには過去作で思い入れがあったらしく、スマブラ勢とのこと。
途中、私と対戦しましょうということになり、私の8階ミリアで対戦させて頂いた。
それはとても楽しく、自己肯定感に満ち溢れた瞬間だった。
変な書き方だけど、自分のプレイを沢山褒めて頂いたのだ。
相手もまさかプレイ初日であるというのに、素晴らしい動き。
たぶん、すぐに私よりもうまくなると思う。
またやりたいと思った。
今週は、祖母の葬儀の為に生まれ故郷に数日帰ることとなる。
引っ越しの多かった私には、故郷という感覚は希薄だ。
だがその感覚は人に宿る。
故郷とは土地ではなく、人と人との間にある。
そこに時間の概念は意味をなさない。
記憶さえあれば、いつでも、本当にいつでも、振り返り、思い出すことができる。
幼い私と過去の祖母とのやりとりを、俯瞰して振り返るような気持になりながら、昨日は過ごしていた。
願わくば今という時もまた……。
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