見出し画像

繰り返さない。

 もうね、これからは毎週金曜は何もしません。インプットなり自分の時間なりにします。

 じゃないともたない。前もそう言って、その辺は自由にしてくださいと言われたけど、これができないのはもう呪いなのよね。会社員アニメータ11年の呪い。人の前に出勤して、見えるところでアウトプットしないとならないという強迫感。結果、席に居るだけで何も生み出さないなんてことはあった。というかその時の職場辞めるときはもう本当にそうだった。

 メンタルをやられ、頭痛と吐き気、手の震え、指に力が入らずマウスクリックも困難、瞬間的記憶維持の困難、椅子に座ることもできず横になって倒れるだけ、強迫感、不安感、自死をかすめるイメージ。

 今回もその入り口に立ったという自覚がある。二度もやるかボケ。繰り返さないぞわたしは。


 今日は妻に、その関係で気をつかってもらって一日自分の日をもらえた。その分妻の疲弊は凄いことになる。それはわかってる。でもそうするしかない。罪悪感が襲ってくる。

 デスストランディングをやった。家のテレビで。

 家のテレビはそこそこ大きいタイプだけど、これでずっと映画見たりゲームしたりはしたかった。だが娘が嫌がるのと、娘が遊びたいもの、見たいものだけを見るためだけの装置になってしまった。こんなのはもう娘の私物でしかない。

 そのテレビでデスストをやる。最高に気分がいい。

デスストランディングの植生や岩などのテレインに対するこだわりは圧倒的。雨は降るし妖怪や賊は現れるが夜が来ないので、そういう意味ではのんびり一生安心して散歩し続けることができる。
でもテントが張れて焚火ができて肉が食えたらやっぱりよかった。

 デスストは、ただ散歩するだけ、歩くだけで楽しいのが最高にいい。VRでもこうあるべきだ。歩くことがそれだけで楽しみにできるというものを、わたしはつくりたい。歩くということが困難であるからこそ、これはVRに必要なことだ。歩くためのある程度の解決法は、多少はアイデアとしては持っている。まだ誰も意識してやっていないものだと思う。自身のある仮説。たぶんどこぞかの研究室はやってるってのをみかけたことがあるから、理屈を認識してる人はわたし以外にもいるだろう。

 写真を撮る機能が充実しているのは実はちゃんと使ったことがなかったので、驚きがあった。これは凄い。自分もやりたい。

 というかなんでデスストがVRじゃないの? わたしは憤慨する。

 小島さんがVRゲームつくってるっていう噂があるけど、つくってないはずないでしょう。最近のVRへの注目と同行、そして過去作における、VR的な示唆に富んだ表現やアプローチ。このひとがVRやらないなんて勿体ない、と思うくらい、やって当然だと思う、わたしは。

 小島さんがVRでオリジナルを出した時、またひとつVRにひとが流入する基点が発生する。そのときはまた、大変なことになる。

 忙しくなるぞ。わたしは、それと戦うんだ。わたしなんかが到底かなわない表現者たちがワンサカとやってくる。楽しくなってくるぞ。

最高のカメラ機能。というか写真機能。でも最高であるが故、圧倒的に物足りない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?