アメリカの逆襲 目的合理性と行動的禁欲に憧れるし、まず目的を粗くていいから持て

スターリン批判とか、毛沢東批判ってのは、何がまずいって、カリスマが消えることである。アノミーになる。カリスマは、間違えてもいいけど、間違えを認めてはいけない。それをしなかったからカトリックは、というかローマ教皇は権威を長いこと持っていたし、間違えていいから、認めたらダメだ。認めたらカリスマが消えて、そのために頑張ろうなんて思う人がいなくなる。

で、中国はそれをやったので、急性アノミーになる。つまり、共産主義ってイデオロギーが吹っ飛んだので、人々が生きる目的が飛んだ。それを埋められるのは、生活を物質的に良くしようってイデオロギーであり、なんか日本を彷彿とさせるところがある。で、物質的な豊かさが達成されてアノミーにまた戻るところも同じだろうな。愛国史観とかがあればまだマシだろうけど。

中国が資本主義化するだろう、とかってことは、なんとなくそうじゃね?ってレベルであれば、誰にでも言えなくはない。しかし、小室さんは、こういう社会構造があり、それに対してこういうことが今起こった。従って資本主義化するだろう、で当てている。だから、その考え方がお手本になる。そこを重視して考えればいいのか、もそうだし、もっと抽象度を上げて、構造の重要な部分を把握して推論すればいいのか、もそう。

もちろん具体的にどうなるかはわからない。しかし、本質的に重要なのはここだろう、ってことを見抜くことはできるし、それに対して何かしらの策を講じることで、問題が起こるのを防いだり幸せをある程度安定的に構築することは意外とできる。

中国とソ連はいずれにしても、日米のための巨大なマーケットになると。労働力を安く使う、または、モノを買わせるって形で使うと。これはまさに、資本家が労働者に対してやることだよな。だからその意味で資本主義の歯牙にかける、という言い方も多分できる。

軍事力を考えるためには、兵器の数に稼働率をかけないといけない。
例えば燃料があるか、人がいるか、あるいは兵器が故障することはよくあるが、それを治すための部品や資源があるか、つまり金がある、つまり経済がしっかりしているか、とか。これを兵器の数にかけないといけない。

新兵器は故障する。それはそもそも新兵器って、まだ十分に確かめられていないもの、だから。敷衍して、新しいものは必ず故障する。だから、最初から完璧を取ろうとするな。新しいものは必ずうまくいかないから、後から修正することを最初から計画に組み込んどけ。

逆にいうと、新しすぎる技術より、そんなに新しくない、あるいは開発されてからちょっと経ってる技術を使う方が実際には故障しないので効率はいい。論理的にこうならざるを得ないだろう、ってことは、だいたいそうなる。時間がかかることはあるけど。

日本が国連に入るってのは、非常におかしいよ。国連ってのは連合国機関であって、それは戦後連合国に有利な状態を続けるための組織である。だから敵国条項もいまだにある。敵と味方って考え方がまだあるってことよ。まあそれが根本だから消えたら国連ごと吹っ飛ぶと思うけど。てかアノミーだよな。わけわからんことをやるか、消滅するか。

アメリカは、金を内部に貯めておいてそれで設備投資しよう、っていう考え方をする。日本だったら銀行から金を借りてくる。で、アメリカの方法の弱点は、インフレした時に設備投資ができないってことである。金を内部に溜めてるので、インフレすると価値が下がる。で、大きな設備投資ができず、生産能力が落ちる。ところで、インフレすると賃上げ要求が起こる。物の値段が上がるからね。そうすると、賃金を上げることになるわけだが、それをアメリカの企業は価格に転嫁する。まあそれは、株主に対する配当を落とさないため、なんだけれども、そうするとさらに賃上げが起こり、価格が上昇し、賃上げが起こり、ってスパイラルになる。ところで、インフレは設備投資を殺すので、この賃上げと価格上昇のインフレスパイラルの一方で、生産能力はどんどん古く小さくなっていく。スタグフレーション。物価が上がっても景気が良くならないこと。

比較優位説ってのをイギリスは使って、経済的植民地を増やし、イギリスが没落してくるとアメリカが代わりにそれをやるようになった。で、これは何かっていうと、例えばイギリスが昔、ポルトガルに比較優位を説明して、自由貿易にしたらお互いに得だよってことをまず説明した。それを信じたポルトガルがじゃあ自由貿易にしましょうって言ったので条約を結ぶ。そうすると、イギリスは当時は工業生産力がえげつなかったので、一気に安くて品質の高い工業生産品が国内に流れてきて、ポルトガルの工業生産はぶち壊されて、イギリスの経済的植民地になった。つまり、生産力の違いで相手を潰す、ってのが比較優位を使った経済的植民地の拡大である。

じゃあ比較優位説は嘘だったのか。理論経済学が考えた結果、比較優位は特定の条件の上に初めて成立する、ってことがわかった。つまり、一般ではなくて特殊だった、ってことがわかった。条件ってのは、大量生産のメリットがない、大きな経済構造の変動がない、ってことである。一概に比較優位が常に成立するわけではない、ってことをとりあえず抑えよう。

纏めると、自由貿易ってのは、確かにいいことが起こることもある、が、たまに、相手を全部食い尽くす時がある。なので結構凶暴な制度であって、むしろ日本とかアメリカは自由貿易に反対して関税をかけて自分の国の産業を発展させることでイギリスの植民地になるのを防いだ。

アメリカは日本に対して自動車とかには関税をかけて牛肉には関税をかけないようにしよう、っていう部分的な自由貿易を言っている。でこれはつまり、自分が得意なものに関しては関税をかけないで、そうすることで相手がめちゃくちゃになるかもしれないけどどうでもいい、逆に自分が相手に負けてる産業は相手が入ってきたらメチャクチャにされかねないのでやめよう、って話である。つまり、自分の得意に合わせて自由化しろとかするなとかいう。これはまあ国際経済では普通ってか、それがスタンダードである。

零戦は確かに世界でも最強の部類だった。が、それを作った工場から飛行場までどうやって運んだかというと、牛に引かせた。牛に引かせた?江戸時代かよ。いや、それ以前か。その意味で、確かに部分的に日本は世界でも群を抜いたが、それはあくまで部分的であった、ってところを見失うと大きく判断を間違える。

で、これはいろんな国でそういうことがあって、中国が製鉄所を作ったけど電気が来なくて使い物にならない、とか、そういう話である。つまり、物事の全体を見て、クルーシャルな部分が無いかを常に注意してないと、そういうことになる。

日本が鎖国したのは、日本文化が十分に高くなったし、豊かで自給自足できるから、という理由だった。日本が世界で一番程度の高い人間というか民族だと思ってたので、中国とすら国交をほとんど絶っていた。自分が世界で最も優れていて、世界の中心にある、って、まさに中華思想である。

ただし、ペリーが来たときに、武力で負けてることはすぐに理解したし、江戸幕府ってのは戦争しまくってた戦国時代からやっとできた幕府なので、武力が最終的に物事を決める、ってことをよく理解していた。その意味で、ペリーの黒船を見て、というか軍艦を見て勝てねえなってわかったタイミングで、これを俺たちもできるようにならないといけない、って考えはすぐに生まれたし、理解された。他のアジアの国だと、文化があって、だから軍事力で負けたところでまあいいじゃないか、みたいな太平楽なことを言ってどんどん列強に食われていったわけだけれども、日本の場合は武力の重要さを理解していた。で、開国しようってなった。なのでこの時の目的は国防、というか軍事技術を海外から持ってくることであり、それが終わったらまた鎖国しようと思ってた。ウケるな。可愛い。なんだろうな、自分が一番で、それでいいんだ、っていう。可愛い。

WW2の時に、パールハーバーを報じたアメリカの新聞では、裏切り、とか、神への冒涜、って言葉が流れた。でこれは、アメリカ人は結局のところ、日本に対して育ててやった、とか、弟子だ、とかそういう、要は下に見た感覚があると。

他者の判断構造を読む、ってところがどうしても日本人は苦手であると。でそれを読むためには、相手に聞くか、相手の過去の行動を分析するか、ってところである。相手を読めないってのが、日本人がコミュニケーションでミスる、あるいは判断をミスる大きな理由である。

恩を忘れる、ってのは結構怒られることで、それを日本はかなりやらかしている。外交で。それは例えば、日本が江戸時代あたりに中国とかインドの文化を吸収しようとした時に、原典を読むのがめちゃむずい。誰もできなくて困った、ってところで頼ったのが朝鮮だった。朝鮮の人にいろいろ教えてもらって、それで日本には儒教とか朱子学とか仏教とかがきた。そういう意味で、文化的に日本は朝鮮に負うところが大きい。それを、朝鮮併合したりして偉そうに韓国に向き合うから嫌われる。こいつらは、俺たちがいろんなことを教えてやったのを忘れたのか?と。アメリカとかイギリスに対してもそうである。受けた恩を忘れるなと。受けた恩のおかげで自分が偉くなったり出世したりしたとして、それを忘れる、そしてましてやその相手に対して偉そうに振る舞う、ってのが一番嫌われるからな。

日本の思考様式はモードを転がすことである。これは丸山眞男が喝破している。例えば、戦前は絶対に戦うんだって言ってた日本人が、アメリカに占領されて民主主義にしろって言われた途端に、元から民主主義なのに無理やり軍国主義って言わされてました、みたいな。あるいは、人に合わせて言うことがコロコロ変わる、とかもそう。要は、状況に合わせて自分の主義とか主張とか意見がコロコロ変わる、ってのが日本人である。それはまるで、サイコロをコロコロ転がすみたいに、一貫した思想がなくて、状況によって言うこともやることも考えることもコロコロ変わるのを良しとする。これはまあ、労働共同体でみんなで仲良くずっと暮らす、のためには必要だったのかもしれない。

逆に、欧米人は原則主義である。これはアメリカ、もっと遡ればヨーロッパでは聖書があって、それに書いてあることが正しいとされた。しかし、そこに書いてることの解釈を巡って、俺はこう解釈するけどあいつは違う解釈で、それはつまりあいつは悪魔に誑かされてるんだ、ってことで酷い殺し合いをしたりしている人間である。つまり、聖書を根拠に自分はこう考える、っていうことをお互いに言って、それが同じじゃないからって戦争をしてた人間である。そういう人間にとっては、自分にとって何が正しくて、何が正しくないのか、ってことを一義的に定義して、画一的にそれに従って生きていくってことが普通である。うーん、どっちがいい、とかではないと思う。と思うが、俺は前者は気持ち悪いんだよな。なんでなんだろうな。

体系的な原則なんて、日本人には存在しない。そうだよ。だから、宗教もイデオロギーもない。物事を論理的に考えるのがいいんだ、って発想は、それを必要とする地盤が欧米にあったからそれが発達したってだけで、まあギリシャからなわけだけれども、でも別に、日本では論理的に判断するよりも、みんなで仲良く、の方が大事だった。普通に豊かだしね。正しさ、とか、効率、とか、そんなことを考えなくても、雨が降り、土地が豊かで、米が穫れ、みんなで生きていけた。

国家の3つの仕事ってか機能は、軍事、外交、法と治安の維持である。でも、それの全てを江戸幕府はやらなかった。鎖国して対外戦争も外交もしなかったし、内戦もなかった。法と治安に関しては、そもそも法律がなかった。まさに、みんな仲良く共同体、が一番成立してた日本人的な時代だったのではなかろうか。

アメリカは確かに、今はもう宗教国ではない。キリスト教を信じてない人もいる。が、それは別にどうでもよくて、それよりも大事なのは、宗教を信じていた時の思考様式が今も大衆の中に残ってる、ってことである。表面的に宗教を信じてるか、ではなくて、宗教だろうがなんだろうが、個々人が自分の中に正統性としての論理体系を持っているか、これである。これが、日本人のモード思考様式と対比された時に、鮮烈である。

日本人はモード思考様式である。だから、勢いを作って乗せて仕舞えば、あとはやってくれる。それはもう、重々承知してます。俺何もしてないのに全部やってくれてるもんな。

科学ってのは、こうじゃね?に対して、実験して確かめる、ってことを繰り返して、より精密なこうじゃね?を生み出すって作業である。神が作った世界を知りたい、という考えのもとに。で、大事なのは方法であって、世界の何を対象にするか、ってのは別になんでもいい。科学で大事なのは、キチンと実証して積み重ねてく、ってことである。

論理と数学においては、実証は必要ないが、その代わりに公理主義でのモデルビルディングに終始する。まあモデルビルディングって意味ではどの科学もそうか。んー、数学は唯一、完全理論である。公理主義によるモデルビルディングである。他は、事象に対してこうじゃね?をかけて検証する、ってことの繰り返しなので、元々何かが存在するか、ってところが違うかな。

社会契約説が成立してるとどうなるかっていうと、国家はみんなで契約して作ったものだ、ってことになる。だからまず作為の契機が発生するし、つまり、所与じゃなくて恣意的に変更できるものだって意識が生まれる。さらに、国を自分で選ぼうってなる。自分で生まれた国が大事ってのはわかるが、その上で、自分が生きたい国を選んで生きればいい。つまり、フランスって国が成立してる契約が気に入ればそこで生きればいいし、アメリカって国が成立してる契約が良ければアメリカで生きればいい。好きに国をその契約で選べよ、って発想がある。

まず神との契約があり、それが原型となって人間同士の契約が生まれた時に、近代社会は成立する。てか、それは、欧米で成立して、それを日本が真似しようとした、ってだけのことなんだけれども。

WW2に負けたのは、アメリカはあまりに強大で、それに勝てるわけない、と言うのであれば、日清戦争とか日露戦争で、圧倒的に日本より大きい清とかロシアに日本が勝てたこと、あるいは、ベトナム戦争でベトナムに負けたアメリカについてはどう考えるのか。小さい国が大きい国に勝つ、という事例はいくらでもある。だからこそ、でかいアメリカに挑んだから負けた、というのは論理的じゃない。だって、でかいロシアには勝てたんだから。ベトナムがアメリカに勝てたんだから。

早く動くってのは、色々わからないことも多いし、プラスになるのかもわからない。だからこそ、誰もやらないので、価値になりうる。

戦争に関して、どうしても戦わないといけないなら、自分の軍事力を小さく見せておいた方がいい。そうすると、実際に戦った時に、相手に不覚のダメージが入る。逆に、どうしても戦いたくないなら、自分の軍事力を実際よりも大きく見せる。そうすると威嚇になって相手が引く。まあ、目的によって見せ方を調整しなさい。

目的に対して、これは始まりであって終わりではない。これめっちゃかっこいいな。目的合理性に対して、どうしても俺は憧れるんだな。そのための行動的禁欲に対しても。何かのために全てを集結させる、全てを統制する、ってのが好きなんだな。

俺が誰かに圧勝したなら、なるべく相手に優しくしなさい。それで俺を弱いと思う奴はいないから。

外交ってのは、自分に有利な契約を結ぶためのプロセスである。なので、最初はふっかけるものである。それがそのまま呑まれたらラッキーだし、呑まれなくても割と近いところでに落ちればラッキー。この辺りは、アラブとかでの交渉しての売買に似ている。日本はハルノートをそのまんま受け取ったので、キレて戦争になったけど、違うって。あそこから話し始めるのであって、落とし所が決まってたわけじゃない。あそこから話し合うんですよ。

圧倒的に力の差があって、それをひっくり返すために思い切った賭けをする場合には、負けた場合は考えなくていい。負けたらおしまい、それだけだから。

自らの行動を問い続ける。これができるからアメリカは強い。問うためには目的があるし、目的を持たないなら、どうにもならない。どこにもいけない。どこに行こうって意思がないならね。流されるのみなり。

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