偏差値が日本を滅ぼす 無連帯で底が抜けることと、コミュニケーションは本質的にノブレスオブリージュの受肉行為
禁酒法は、酒を作ると売るを禁止した。でも持ってたり飲むことは良かった。従って、マフィアが酒を作って卸して儲けて、アルカポネが成立したと。
宮台と小室さんの議論を綜合すると、最終的にはアノミー、あるいは社会の底が抜けている、ってところに至る。正統性の欠如、って言ってもいい。いやむしろ、正統性はどの社会においてもいつの時代においても初めからなくて、あったのは、正統性がある、って勘違いだけである。かつ、さらにそれを深く抉って、アノミー、あるいは正統性の欠如の原因は無連携であると説く。いてぇなあ。
日本とヨーロッパは地縁、アメリカは宗教。コミュニケーションによって認識が歪んでいる状態こそが、人間にとって正常な状態である。人間的状態である。
キリスト教は神の理論に沿って理性で全てを再構築する。俺がやってることも同じです。理性での再構築。
権威の存在の認識、つまり、正統性の根拠がここなのだ、っていう認識がすごい大事で、それを失うと何が正しいのかわからなくなる。父親が物事の善悪を決める、と子供が思っとくと、子供の倫理観が維持される。正統性を父親に置ける。何が正しくて何が正しくないのか、ってことに対して社会的に適合した形で納得できる。もし正統性を社会に還元しようとかするのであれば、正統性を失って子供の倫理は消滅する。
教育はノブレスオブリージュを叩き込む以外のものではあり得ない。何か、何でもいいからお前はこれが優れている。だからそこに責任を持て、これな。恋愛と一緒や。君はここが優れてる、素晴らしい、そうやって言い聞かせて、その方向に相手を展開していくこと。
優れている、が故に使命がある、が故にどんな困難でも乗り越えてやる。ここまでで教育が目指す精神構造であると。だからまずは、優れている、っていう。その上でだからこうしろっていう。それを相手の心に樹立することが、つまり自分は優れていて、故に使命があり、故にそのためには死ねない。
まあ、死なないのは大切な人を支えるため、ってもう書いてあるしな。俺向けの教育は成功したらしい。が、優者感がないな。それは、全体としての優者じゃなくて良くて、部分的にここが優れてる、でいい。であるが故に、万人に教育は行える。
教育ってか人間関係全般はこれだし、それを成立させるために俺は優者であるって認識を持たないといけない。それがあり、使命を感じ、困難に勝てると思う、が故にミメーシスを起こせる。優れている、って意識を持て。他者より全人格的に偉いわけじゃない。何かで優れていて、それに優れない人がいて、であれば俺はその分野で貢献する必要があり、その立場と責任がある。俺の得意は何か。それぞれに得意はあり、でも俺の得意が得意でない人はごまんといる。としたら、俺はその得意を持って生まれ、環境も大いに与えられ、得意に含まれるかな、であれば、俺の得意を得意としない人のために俺は働かないといけない。
俺はある分野で優れていて、であれば、その優れている力を優れていない人のために使うべきである。自分は偶然に優れ、であればそれを社会や他者に還元する立場と責任がある。そうみんな思って社会は回ってくんだよ。その思想を個々人に受肉するのが教育であり、俺は一般にコミュニケーションだと思う。
ひたすら賢い人を追う。これしかないし、分析が生きるのはこれだろ。
結果はダメだったけど努力したからいいよ、の時と、努力の有無に関わらず結果を出さないとダメだよ、の時がある。仕事は基本的に後者だよな。
群衆とか愚昧に喋らせると世の中は悪くなり、無駄な苦しみが増える。馬鹿は喋るな。分析して法則を出し、それを使って世の中を良くする。その業務に無能を関わらせるな。これはまあ、宮台とか小室さんとかが共通に持ってる怒りな気がするな。結果を出せないってことは他者に多くの迷惑をかけることであり、その度が酷いのであれば死んで詫びろと。言うならそこに至れよ?ってことだな。
最初は天皇。で、それはイスラム教のアッラーとかキリスト教の神だと思えばいい。彼らが普通の人間になります、っていったら共同体は崩壊する。
で、そうやって日本で正統性が、あるいは権威が崩壊したのが戦後に天皇が現人神宣言をした時。で、そこで起こった急性アノミー、つまり正統性崩壊とそれに次ぐ倫理の崩壊は地縁的共同体における連帯によってカバーされた。が、高度経済成長でこれも破壊された。そしてそれを昨日集団である会社が一時的に共同体性を包含することで一時的にカバーしたけど、最近になってそれもできなくなって、機能性が共同体性を排そうとしている。結果、アノミーが起こる。つまり、権威が消滅し、倫理が崩壊する。
正統性の根拠としての連帯をどこに求めるか、で、受験は友人をみんな敵に回し、会社も合理性の追求に伴って共同体性を排せざるを得なくなる。宗教もねえ。故に連帯は消失し、広くアノミーに至り、故に倫理が消失する。実にそうだと思うよ。ただそれで暴動とかにならないのは、まあ渋谷とか勢いがあればなるけど、基本的には攻撃性がないから、いつ死んでもいい、みたいなことになる。倫理観がない状態でも、静かだからまあなんとかなってる、みたいなね。憤懣がなければとりあえず大丈夫だが、勢いが加わると、もうきついだろうな。
社会構造に由来して倫理観が希薄になり、何をしてもいい、と思うようになる。受験とか就活とかね。で、そこを一旦受け入れるのであれば、社会に整合性のあるノブレスオブリージュをコミュニケーションを通して叩き込むしかない。気が遠くなるな。までもそれしかない。それしかないわ。が、効率悪すぎるので、社会構造を変えてくしかない、が、スパイラル入ってる感じもするんだよな。まあもうちょっと勉強しようか。
んー、小室さんって、ふざけたノリですごい本質的であるが故に面白いことを投げてくるし、正直俺はこの人のレベルまでいけるかわからない、ってか多分いけないので、この人の考えてることをとりあえずそのまま一回なるべく頭の中にぶち込みたい。その上で、分解して作り直したいなと。まずは打ち込む。可能な限りたくさん。楽しいしね。