もう勝ってるけど、より楽しくなれる、って仮説の目的を置いて、もっと点を取ろう

俺は、本当はもっと楽しい人生があるかもしれないのに、それに気づかないで手を伸ばすことさえしていないのかもしれない、っていう感覚だな。人生はつまらないものだと誤解して、人生を生きるのかもしれない。もっと楽しくて活躍できる人生があるのかもしれないのに。

完璧にやれ、って言われてない。完璧にできるようにできるだけ頭使え、って言われてる。頭の使い方なんて知らないし、完璧にできるとも思ってないし、ただ、もっといい方法ないかな、ってことを常に考えっぱなしでいろ、ってことだと思うんだよな。それならできるかもしれないよな。

俺は今、つまらないと思ってる。仕事も、プライベートも。本当にわずかな楽しさがあって、それがあれば人生はそれでいいんだ、幸せな人生なんだ、って思ってる。そうかもしれない。その通りなのかもしれない。それはそれで、文句を言うこともなく、幸せな人生なのかもしれない。そうなのかもしれない。つまらない時間が長いけど、その中に少しの楽しいことがあって、それで十分幸せな人生なのかもしれない。確かにね。それでいいのかもしれない。てか、そういうものだと思う。

だけども、もしかしたら、もっと楽しい人生があるのかもしれない。俺は、楽しい人生を諦めてるのかもしれない。もしかしたら、もっと楽しい人生があって、仕事でも楽しくて活躍できて、プライベートも楽しいことがたくさんあって、つまらない時間なんてほとんどなくて、お金にも困らない、親も友達もみんな幸せ、そんな、楽しい事づくめの人生があるのかもしれない。そんな人、周りにいないけどな。

だけど、とにかく、そういうことが可能なのかもしれない、と思うんだ。そして、だから、つまらないことを諦めてる、って言われて、イラっとしたのかもしれない。としたらね。それは、あるかわからない目的だよ。数学の解の存在が証明されてない問題と一緒で、そんな人生はないのかもしれない。でもさ、そしたらそれはそれで、いいじゃないか。だって、今のままでも十分楽しいんだから。そんな人生がないって分かったとしても、それはそれで、別に今の人生で十分幸せだな、って思うんじゃないかな。


だとしたら、どうしようか。今の、つまらない時間がとても長いけど幸せな人生は、言っちゃえば、現状だよな。現状は、つまらない時間がほとんどで、でも幸せな人生。

それに対して、俺が今言ってるのは、存在するかもわからない、つまらない時間がとても短くて楽しくて幸せな人生。どうしような。

だからな、このふわっとした目的に対して、俺は、課題を設定して、施策を打てると思うんだ。そして、打ってみたいな、と思うんだ。そんな人生があるってことを、あるいはないってことを、俺はちょっと、突き詰めてみてもいいんじゃないかな、と思い始めてる。

すげえ楽しい人生、って仮説の目的に対して、これが課題って仮説の課題を出して、そしてこれが施策って仮説の施策を出す。そういうことをしてみても、いいんじゃないかなって。だって、それがなくったって幸せな人生ではあるからさ。あとは、余暇みたいなもんというか、どんだけつまらない時間を減らして、楽しい時間にリプレイスできるか、どんだけ活躍できない時間を減らして活躍できるか、だと思う。で、別に、俺がそれをやりたいかって言われたら、別にそんなことはないんだよ。今でも十分幸せだから、別にこれ以上楽しくなる必要性ってあまりない。

だけどまあ、ほんの少しだけ、もしかしたらこれより楽しい人生があって、確かにもしかしたら少しだけそっちの方がいいかもしれないな、という気持ちはある。ほんの少しだけ。ほんのちょっとだけ。それでいいんじゃないか、という気がするよな。

今、俺はすげえ幸せだよ。美味しいもの食べられて、お金の心配もなくて、彼女もいて、家族も俺も健康で幸せで。何にも困ってることがなくて。だから、これ以上の幸せを望む必要性を感じてないよ。ほとんど。ほとんどはね。

ただし、ほんのちょっとだけ、もしかしたらもう少し幸せになれるのかな、という気持ちはあって。で、それに対して、今幸せだからそんなものを求めなくていい、って気持ちだったけど、そう言っていたけど、それに対して、諦めてる、って言われて、カチンときた。カチンときたのは、それは、図星だからだろ。

確かに、もしできたらもう少し幸せになりたいのに、それを諦めてる、それに手を伸ばしてない、ってことに言及されたからだろ。本当は欲しいくせに、手を伸ばしてないじゃないか、って言われて、カチンときたんだろ。

失うものはなんかあるかな。まあ頑張ってダメだったら辛いよな。ああダメかあ、って思う。だけど、別に俺はダメじゃない。優秀だ。その上で、今は幸せだ。俺も俺の周りも、健康で幸せでいてくれる。

俺は今幸せで、周りの人も幸せでいてくれる。だから、現状にすごく満足してる。その上で、地頭もいい。だから、これ以上の幸せを求める必要性は、ないんだよな。

だけど、地頭が良くて、それを活かしたら、もっと楽しい人生があるのかもしれない、ってのは、確かにそうだと思う。で、それに対して手を伸ばさないことを、諦めてる、って言われて、図星でカチンときた。欲しいなら手を伸ばしてみればいいのに、自身が崩れるのが怖くて手を伸ばしてないんだろ、ビビり、って言われて、カチンときた。だってまあそれは、図星なんだよな。

うーん。でもさ、思うけど、俺って今もう十分に幸せで、これ以上望む必要はなくて。そう、必要はないんだよ。だからこっからは、完全にアディショナルな世界で。

頭が良くて、性格も良くて、そんな俺が、もっと幸せになれるかもしれない。それはなんか、不公平な気もするけども。いやでも、そういうのがあるなら、俺はやるだろうな。まあ、失敗して凹んだり自信がなくなったりするのは怖いけど、でもさ、なんだろうな。それって普通のことだし、俺はそっから持ち上がってく能力があるわけだからさ。地頭が良くて、自信があって、性格も良くて。まあビビってはいたけども、

手を伸ばしてみたくて、でも失敗するのが怖くて、今のままで幸せだからって手を伸ばさないでいい理由を言ってた。だけど、確かに、俺の中で少しだけ、手を伸ばしたい、って言ってる俺がいる。もっと幸せになりたい、って言ってる俺がいる。もっと幸せになりたいと思う俺がいる。んだろうな、きっと。

一時的に自信を失うかもしれない。けど、俺は優秀だからさ、本質的に。しかも、失敗したところで、帰ってくるのは今の幸せなんだ。じゃあいいじゃんな。失敗したところで、今の幸せに戻って来れる。今でも十分幸せだから、これでも全然大丈夫。

その上で、もっと幸せがあるかもしれなくて、その仮説の目的に対して、仮説の課題設定をして、仮説の施策を打つ。そういうのができたら、楽しいかもしれないな。

こっからは、アディショナルな世界で、もっと楽しい、って方に手を伸ばすか、って世界になる。楽しさをひたすら追求する世界になる。

だからそのためには、より楽しくなれる、って仮説の目的を置いて、それに対して課題はこれだって仮説の課題をおいて、だからこうしようって仮説の施策を打つことになる。

外れるかもしれないけど、外れたところで幸せではあるからさ。幸せで楽しいよ。今の人生はもう十分に。だけど、その上で、もっと楽しくしようか、っていう、これはなんだろうな。

もう勝ってるけど、もっと点を取ろう、って感覚だな。まあそれでいいか。

もっと楽しい未来がある。そこに貪欲に手を出そう。

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