感情が少ないけど、意思があるからまあいいか
俺はあんまり感情が強くなくて、だからそれで自分で自分が心配になる時がある。
これやりたい!で衝動的に何かすることもあんまりないし、これがめっちゃ悲しい、で大泣きするとかもない。
何かが悲しかったり嬉しかったりすることは普通にあるけどね。
その意味で、なんかもっと、これやりたい!みたいな強烈な感情衝動に突き動かされた方がいいのではないか、とたまに思う。
が、うーん、どうなんだろう。
感情に突き動かされるっていいなと思う一方で、あんまり感情を信じてないところもあるんだよな。
感情自体が悪いとか、感情自体が嫌いとか、そういうことではなくて、単に俺の好みの問題なんだと思うけども。
あんま俺は具体的なものに興味がない。だからあんまり旅行行っても記憶に残らないんだと思うけども。
俺は別に、感情がなくても意思があればいいかなって。
感情は一過性であり、意思は比較的長く残る。
俺はバーを持ちたいし、家族とか友達を大事にしたい。
そのために時間的経済的自由が必要だから、そのために仕事で卓越しないといけない。そのための能力開発は必要だし、同時に、俺は体系的な知識で人を助けることもきっとしないといけない。
俺は、ただ仕事ができるとか金が稼げるってことで止まったらいけなくて、それは必要な駒の1つでしかない。
本当に人を幸せにするってのがどういうことなのか、それは能力開発と結構被ってるところがあるように最近は感じるけれども、とりあえず、実践と理論を重ねていきたいと思ってる。
焦ったところで何が早くなるわけでもなくて、必要な時間は必要である。
だから別に急ぎも焦りもしないけど、あまり多くを無駄にはしたくない、とも思う。
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