適当にやっといて、じゃ駄目。何のためにやるのか、は俺が100%決める。それが責任
見てて思うこと。形から入るのは良くないよ。と思う。ニーズから入らないと、形は決まらないから。
あとは、4人の中でリーダーとか立てたら?最終的に決定する人がいた方がいいし、自分一人でやる、って気持ちを持った人がいた方がいいし。
じゃないと企画は立ち行かないんだな、ってことが、人とやって初めてわかりました。これまで一人でやってたからさ。それ困ることなかった。
俺がやろうとしてたのって、俺を育てる教育なんだよな。
人と進めないと不安になる、って人に、最後はお前1人で決めないとダメだ、って言っても成立しないだろうから。俺と同じタイプの人には刺さるけど、そうじゃないならその育て方はまずいよなと。
先にコミュニティって手段を決めたのがまずいか。
何をしたいかをきっちり決めてからじゃないと、変に気後れして話が進まないんだなと。
ああこれはごめんだな。俺のミスだわ。
やりたいことを定義して、それに合わせて施策を検討する、って流れは鉄則で、そうじゃなくて手段から入るとそれはズレるよね、っていう。
何をやるかじゃなくて、何のためにやるか、から入らないとズレるし、その決定がやっぱむずいのかもなあ。
んーむ。
何をやりたいのか、の部分は俺がはっきり決めて、あとは手段の検討と実行です、に入ってから人を集めないと駄目だな。
何をやりたいのか、何の困り事を解決したいかの議論を複数人でやると壊れる。
そこはめっちゃ尖らせて、揺らがないといけないものにしないといけないから。
まあ100%揺るがない、とかはないけど、そう簡単には崩れない、くらいに練っておかないと。
何をやるか、って手段の部分は、選択肢を出して検討して実行すればいい。
でも、なぜやるか、ってのは、人と議論して決まるもんじゃないな。
そこはすごい尖らないと。
選択肢を出して決めるとかってより、選択肢を尖らせて、たとえ自分1人だけになっても信じる、って営みだからさ。
どんな困り事を解決するか、を決めて、そっから先は人と話せるよなと。だって、手段を出して、大事なものから全部やればいいじゃん。
まあ結局、「やりたいことは?」って聞いて、「これやりたい、一人でやらせて」ってくらいの人がいないんだよな。なんかみんな周りを見て、こうかなこうかな、みたいな。
それじゃ、誰もやりたくないことが爆誕してしまう。
だから、俺はこれをやりたい、ってのがある人が、ガーっと進めて、そのプロセスで人を巻き込む、ってのが、唯一絶対解なんだろうな。
まあそうだよな。
でも、それに巻き込まれることで、自分もこうなりたい、と思って、そこから自分がやりたいことを言うようになる、はあると思う。
それが本質的な教育なのかなと。
つまり?
適当に上手くやっといて、じゃ駄目なんだな。
ちゃんと職務設計しないと駄目。
【何をやりたいのか、の部分は俺が独断ではっきり決める】これがマジで大事。
手段の検討と実行です、って段階に入ってから人を集めないと駄目だ。
そして、それに巻き込むことで、自分もこうなりたい、と思ってもらって、そこから自分がやりたいことを言うようになってくれたらいい。
それが本質的な教育だと思う。
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