いつの間にか嵌る枠を脱して流れに実直になること

枠に嵌るとすごく疲れるし、不自然になる。

枠に嵌ってるってわかると、そうやって嵌らなくていいよって一次反応を否定できて、だってコミュニケーションは計画不可だから、ってのが基本的なロジックだけど、そうやって否定すると枠に嵌るって一次反応から逃れられる。

誰かとのコミュニケーションと捉えてもいいけど、世界とのコミュニケーションを探る、って考えた方が見える幅は大きいな。

気付かないうちに嵌る枠、一次反応、無意識的な文化社会的プロトコル、に気付き、廃する。その上で世界との自然なコミュニケーションを探る。

それだって文化的な枠なんじゃないか、ってフレーム問題に終始するけど、でもそれは、何となくこうだな、って感覚で終止符を打つ。

めっちゃスピリチュアルっぽいが、言ってることは、楽に行こうぜ、っていう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?