教育の本質

前に書いた、小室さんの本を読んだのだが。

200ページくらいの中で、本当に鮮烈なのは多分、10ページくらいなんだよな。

それで何も問題ないと思うけど。

親は、特に父親は、子供にとっての権威でなければならない。

つまり、子供に対して何が正しくて何が間違っているのかを決める存在でなければならない。

権威っていうのは正統性の根拠である。

正統性ってのは、何が正しくて何が悪いか、ってことである。

権威とは、正統性の根拠、つまり何が正しくて何が悪いか、何をしてよくて何をしてはいけないかを決める存在、ということ。

だからね、父親ってのは、子供に対して、何が正しくて何が正しくないのかを叩き込む存在でなければならない。

まずここまでが1つ目の要点。

もう1つの要点が、正統性はノブレスオブリージュによって決められなければならない、ということ。

ノブレスオブリージュとは、優者の責務、とかって日本語に訳されたりする。

つまり、父親は子供に対して、お前は選ばれた優れた存在であり、だから人とは違うんだ、努力しなければいけないし、責任があるんだ、だからこれはやっていいけどこれはやってはいけない、これはお前にとって正しいけどこれは間違っている、という教育をしなければいけない。

これはめっちゃ、本質的だと俺は思うんだよな。

そしてね、ノブレスオブリージュって、本来はフランスの貴族が対象の言葉だから、金持ちとか優秀な人に使われてた言葉なんだけど。

でもね、小室さんはそこを広げるんだよな。

つまり、ノブレスオブリージュとは本質的に、他とは違う、という差異によって発生するんだと。

だから、必ずしも優れている必要はないんだと。

これめっちゃ革新的だと思うんだよな。

例えばユダヤ人は、賎民としてめっちゃ罵られたり、嫌がらせをされまくった。

で、その結果、自分たちはこんだけいじめられて、でもそれは神の采配なんだ、ということで、自分たちを神に選ばれた選民だ、と認識するに至った。

つまり、ユダヤ人は今世界で活躍してる訳だけれど、彼らにとっての動機は、彼らにとってのノブレスオブリージュってのは、めちゃくちゃ差別されたり迫害されて、いじめられた、ってことなんだと思うんだよね。

つまり、自分はこんなに酷い目にあった、だからこそ巻き返してやる。

これで十分、自分は他の人とは違う、という認識と責任が立つ。

ここに、ノブレスオブリージュは、人より劣っている、という条件でも成立する。

要は、普通の人と自分はここが違うんだ、っていう、差異の意識があれば、ノブレスオブリージュは成立する。

だから小室さんは、全ての教育において、本質はこれだ、と言っている。

ノブレスオブリージュを叩き込むことが、教育であると。

つまり、全ての教育とは、お前は人とは違うんだ。だから選ばれたものであるし、であるから責任があるし、だから努力もしなきゃいけないんだ。

これが、教育の本質だ、と小室さんは言ってるのね。

で、俺はこれにめっちゃ影響を受けていて。

というか、本当そうだな、と思うんだよね。

君は辛い経験をした。

それはもちろん大変なことだし、そこから立ち直るには多くの時間がいるだろう。

でもだからこそ、君が立ち直り、活躍することで、君と同じように苦しんでいる人たちの希望になれる可能性が、君にはあるんだ。

それは俺にはできない、苦しんだ君だからこそできることなんだ。

だから、今は辛い過去に沈んでいてもいいけれど。

でも、そこから起き上がってきて、人々の希望になって欲しいんだ。

もちろん起き上がるために、俺も手助けはするよ。

こういう教育を、俺は展開したいんだよな。


夢物語じゃん、と思う人もいるかもしれないけども。

今朝新聞で読んだ話を紹介しよう。朝日新聞ね。

イスラム過激派に支配されてる地域で、女性が売られる事態が多発している。

で、それをなんとかしよう、とりあえず被害にあった女性を保護しようというNPOがある。

でね、実際に被害に遭って、そこに保護されている女性の話が載っていて。

彼女曰く、

「今この地域では、女性には権利がなく、私は大変苦しんだ。

今はNPOに保護されて、自分と同じように苦しんでいる女性がたくさんいると知った。

将来は医者になって、苦しんでいる人たちを助けたい」

と。

これもまさに、ノブレスオブリージュだと思うんだよな。

彼女は別に、社会的に恵まれているとか、経済的に恵まれているとか、そういうことじゃない。

むしろお金がなくて、だから親に売られて、そのせいで大変な経験をすることになってしまった。

でも、彼女はそこから、自分は苦しんだことのある人間であり、そして同じように苦しんでいる人がたくさんいて、だからその人たちを助けたい、という形に進展してるんだよな。

苦しんだ経験が彼女にとっては他の人間との差異であり、それがまさに、彼女に責任と努力をさせるに至っていると。

俺はこれは、すごくいい話だと思うけどね。

まとめると、自分は人とは違う、という意識から、自分の社会における責任とか、使命みたいなものを感じる。

そしてそれに向かって努力する。

この、差異の自覚、自分は他の人とは違う、という感覚から生まれる責任感のことを、ノブレスオブリージュという。

差異はなんでもよくて、自分は優れている、でもいいし、自分は苦しんでいる、でもいい。

それが、普通と違うならなんでもいい。

それを植え付けることが教育の本質であり、そしてまた、俺が苦しんでいる子供達に行いたいことなんだよな。

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