見出し画像

夢 2024/10/28

夜。

俺が街の中を歩いて帰っている。

知らない街のようでもあり、知っている街のようでもある。

脇道に逸れて月を見上げ、ら行のア音の活用を考える。

誰かに教えているようでもあった。

また、誰かにテストされているようでもあった。

少し考えてから、月が上らむ、月が上らず、と考えたところで、場面転換。

学校の教室で、俺がテストを受けている。

他に生徒がいたかどうかは分からない。

古典のテストだが、思い出せずにストレスを感じている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

解釈

まず連想から行くか。

なんで月なんだろう?

古典を考えてるのは、その日にとりかえばやについて河合隼雄が書いた本を読んだからかな。

完了型について考えていた記憶があるんだよな。

未来のことについて考えていた、のかな。

なんで脇道なんだろう?

主な道よりも落ち着く感じはするよな。

怖いってよりも、自分の場所って感じがする。

そこで月か。

そして古典?

んーむ。

テストをして、ストレスか。

ここでも古典か、教科はランダムじゃなくて、なんか意味があるんかもな。

でもまあ要は、言葉の問題だと思うんだよな。

ということは、意識の問題か。

言語で分化できないストレス、かなあ。

まあでも、帰り道で、しかも夜でしょう?

だから、何かが終わろうとしている、あるいは収束しようとしている感じはあるよな。

そして月でしょ。

明るい満月だったんだよな。

ということは、希望の象徴とか、闇の中に光を見出す、みたいなテーマかな。

その上で、その月について言葉を選ぼうとして見つからないでいる。

ふむ。

ここまで1ヶ月間色々やってきて、いろんな経験をしてきた。

まあ、たいしてたくさんではないけどね。

その中で、徐々に、自分がこういうことをしたい、とか、こういうことに関心がある、とか。

あるいは、この場所を選ぼう、とか。

そういう形で、徐々に、俺の心の中のやりたいこと、みたいなものは見えてきた。

でもそれが、完全に言葉で分割して整理したりとかは、まだできてない。

だから、ラ行が云々とか、助詞選びをしていたのかな。

闇の中に光は見出している。

でもその光を現実にどう実現するか、どんな場所で何をやるか、という最も具体的な部分が決まっていない。

そしてそれにストレスを感じている。

日本語の助詞って、最も現実に近い部分だと思うんだよな。

それで最終的な意味が確定するから。

ふむ、まあそんな感じかな。

違和感ないな。

どこから帰ってきたのか、と言われたら、現実世界だろうな。

逆に最近、ってかここ3日間くらいは俺は本ばっかり読んでて、その中で現実で経験したものを反芻したりしてるから。

その意味で、俺は内的世界に帰ってきた、って感覚なのかもね。

でも、夜でしょう。

ってことは、また朝になるってことも含意してると思うんだよな。

とすると、また新しく朝の夢とかを見るのかもしれないね。

どこかに行く夢。

その行き先とか、気になるけどね。

どんな場所に向かっていくんだろう、とか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?