愛するということ 他者を幸せにする、という目的への段取り

これもう書いたっけ?わからんけど、メモ残ってたから載せとく。


フロム。

2回目だった気がする。

題名は、愛について、とかではなくて、愛するということ、である。これはつまり、愛ってのはまずお前からやることだし、サッカーとか料理とか勉強と同じように、努力して技術を身につけて向上していくものなんだよ、ということを言っている。これはまあそうだと思う。

人と対面した時に、この人にも悩みとか弱い面があってそれを当人が自覚していて、そうであるが故にこの人は愛おしい、とか可愛い、って思えるか、あるいは、何回消すかないやつだな嫌いだ、って思うか、これは結構2択だし、一次反応的に苦手だ嫌いだって思ったとしても、そっから意思の力でいやこの人は結構可愛らしいんじゃないか、って思うことはできる。で、そう思ってる方が楽しいよと。

めっちゃこれ忘れそうだなと思うけど、しかも忘れていいやと思うけど、まず人間の最終的な目的は孤独を癒すことだと。人間は個人だと孤独なので、それをどうにか癒そうとしてきたのが人間の歴史だと。その上で、孤独を癒す方法として2つあって、1つは薬とかセックスとかお酒とか、そういう短期間の強烈な、そして揺り戻しのある方法。つまり、使った後に結構ガーン、、ってなる。一瞬楽しいけど、その後は落ち込む感じ。で、もう1つは、宗教とか規律によって合一を狙う方法。で、キリスト教とかは神が近くにいる、とか、仏教だったら流れの中の一つだとか、そういう形で何かと混ざることを志向するタイプ。で多分、愛ってのはそこに入る。だから規律とかが必要だし、技術の問題でもある。ルールブックが必要になる。

うん、ちゃんと忘れてた。間違ってない気はするけど、あまりに理論すぎる。俺が薬とかやったことあったら忘れないかもね。セックスはそこまで大したものじゃないと思ってしまっているが、それは俺の手落ちだな。もっと頑張らないと。

芸術的な創造によって外界の物質、つまり素材と一体化するらしい。一体感を得るらしい。その意味で孤独を癒すことができると。友達が飄々としてるのはそこからなのかな、と思った。まあただ孤独への対処としては不完全ではあるらしいので、やはり人間との合一を求めるらしい。

マゾってのもそれで、結局は悲しいってか寂しいので、自分から見て強い人間に服従することで自分は強い人間の一部になる、って感覚を得てると。あー、そういう形で、下について一体化するってことなんだなって。まあわからなくはないが、それって別に外部じゃね。どうなの?支配されることでの一体化、なのか?わからんな。

ひたすら感情に追い立てられて富を溜め込んで失うことを恐れるのは、そりゃ全然富んでないよねと。むしろ、人に与える時に自分が富んでいることを実感するし、そのための富だろうと。そりゃそうだ。

他人に対して批判的に入るか、何か美点を見つけようって入るか、それは俺の意思の力でコントロールできる課題だし、明らかに美点を見つけに行った方がいい。で、そのスタンスを常に保つには、美点は何か、ってことを常に考えてないといけないし、そのためには、まず俺の美点は何か、ってことを考えないといけない。で、それでいうと、俺の美点は、そしてそれをなるべく一つの根本的な美点に絞って探すのであれば、多分自己批判的なところだろうな。もっと良くなれるだろう、あっちの場面でもこっちの場面でも、みたいな。自己批判的であること。あらゆることに対して自己批判的であること。betterを目指すこと。それは別に完璧主義ってか、趣味みたいな話なんだよな、好みって言ってもいいけど。超越系なんだと思う。違うかな。違うかもな。

スポイルする、と思って美点を探すか、相手のいいところを見つけよう、と思って美点を探すか。これは異なるのかな。まあ俺のテンションは違いそうだし、後者の方が楽しそうではあるよな。スポイルしよう、って恨みが強いぜ?聞いてる感じ。まあ、そうだね、感情的に恨んでるってか、経験的に、これまでそうだったな、って思ってる感じか。今更怒るとかじゃなくて、そうだよね、って納得とか諦観に近い。さあ、じゃあどんなスタンスで行くのか?正直、まあ、どうでもいいかな。やることは変わらないから。つまり、相手の興味、関心、好き嫌い、利益不利益、そういうものを感知して、そこに合わせてコミュニケーションしていく。相手の課題の解決をする。課題を解決、っていうと全てひっくるめられるからすごいな。相手の好きなことを話させるのも、話したいって相手の不充足感の課題の解決だし、関心があることについて話したいってのも相手が喋りたいことを話したいって課題の解決だし、まあでも、喋りたいことを喋りたい、って不足感の解決ってことに1つ大きく纏って、それを包括して利益不利益って話になってくるか。不足感の解決は利益の1つだもんな。まあいいよ、相手の喋りたいことを喋りたいって課題を解決するために、相手の頭の中を推測する、予測する、推理する、まあなんて言ってもいいけど、とにかくそれをやるんだよ、基本的には。相手を観察して、頭の中の類推、そこから相手の課題の解決、その課題1つは喋りたいことを喋ることかもしれない。観察して、相手の頭の中を読め。そっから相手の課題の解決に入れ。そうやって世の中を渡る、これから俺は。良いとか悪いとか、楽しいとか楽しくないとか、そういう話じゃない。ただ、俺は大切な人を守りたいし、そのためには社会に出る必要がある。だから、そうする、ってだけだ。多数の相手にね。価値なんかないと思いつつも。やるんだよ、常に。

楽しいとか楽しくないとか、そういう問題じゃない。それに、何か小手先の間違ってることをしてるとも思わない。だって、ほんとにどうでも良い小手先のコミュニケーションをして終わりなのか?社会に出て、人と関わって、そして俺は金を稼がないといけないんだ。てか稼ぎたいんだ。だから、社会の中で何か価値がある人間にならないといけない。つまり、他人を幸せにできる人間にならないといけない。それは、俺が気分がいいからとか、倫理的に、道徳的に、人として、善だから、そんなん関係ない。手段として、俺が他人に価値を与えられない人間であるなら、それは俺は俺に敗北してる。他者に価値を提供し、社会に価値を提供し、それ故に金を人よりも稼ぎ、それでやっと大切な人を守れる。だから、社会に価値を提供したり、他者に注意を向けて価値提供して幸せにしよう、って常に頭を回すのは、打算的でも、悪どいことでも、セコいことでも、悪いことでも、ダサいことでも、小賢しいことでもない。社会とか他人を幸せにしていくことが、最も効率的で、最も確実な、俺がやりたいことをやるための段取りなんだ少なくとも俺は今そう考えているし、そうである以上、俺は俺の目的に胸を張るし、それと同じだけ他者を幸せにしようとする全ての俺の試みに対して胸を張る。俺の目的は他者を幸せにすることを経由する。であれば、その過程に対して俺は目的と同じだけ胸を張れる。

最初は人間は赤ちゃんで、そうすると、無条件にただ愛される、ってフェーズを通る。その後、誰かを愛するとか、誰かの欲求が自分の欲求より大事だ、ってことになる。


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