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ツール・ド・おきなわ140km   〜ラストレース〜

 レースが始まる前はあんなにどんよりしていた空がいつの間にか気持ちいいぐらいの青空を見せている。

 それなのに自分は涙を堪えながら、両脚がつって力の入らないペダルを1人で淡々と回しながらエメラルドブルーの海岸線を駆けている。

 フィニッシュまで残り30km、今日のレースとこれまでの日々が頭の中で思わず重なっていた。

ツール・ド・おきなわ

 ツール・ド・おきなわは毎年11月に行われる
国内最大級のレースで全国各地からアマチュア
レーサーが集まり鎬を削り合う。

 50km、100km、140km、210kmの
各カテゴリーがあり、その中でもアマチュア
レーサーの甲子園と呼ばれる210kmは百戦錬磨の猛者たちがハイレベルな戦いを繰り広げている。

 今回は140kmオープンにエントリー。コースは国頭の道の駅をスタートし2度の山岳横断を挟みつつ沖縄北部の海岸沿いを走り抜ける全長140km、獲得標高約2600mの険しいコースとなっている。

やんばる(沖縄北部)を駆け抜けるコース

 脚質がスプリンターで登りが苦手な自分にとっては完全に不向きなコースなのだが、4年前に50kmオープンクラスを走った時にいつかは本格的なロードレースを沖縄で走りたいという気持ちが芽生え、自分の最後のレースとして挑戦することを決意した。

 目標は行けるとこまで先頭集団に着いていって、シード権圏内の50位以内には入りたい。
あとは最低でも完走はしたい。

雨の沖縄

 金曜日に沖縄入りし軽く走ったり、コースを試走したりする予定だったが天気が悪く、前日も本降りだったので観光したり車でコースの下見をして雨の隙間をみて少し走っただけ。

とりあえず美ら海行っとけば間違いない

 そして日曜の天気予報が午前中雨になっている。沖縄まで来て雨に降られるのか、、、

 レース当日はあまり寝れずに4時半に起床。
 すかさず天気予報をチェックするが昼まで雨らしく、路面もウェットで落車も怖いしもう一度コース図と危険箇所を頭に入れながら朝食をとり、
小雨が降っていたので途中まで車で送ってもらう。
 スタート地点から少し離れた道の駅で降ろしてもらいアップがてら自走で向かい、7時半には自転車を並べたが場所は全体の真ん中ぐらい。
 
 スタートまで時間があるので補給を取りつつ同じカテゴリーの犬井さん、山本君と談笑してたら210kmの選手達が通過したので自転車に跨がりスタートの準備をする。

 スタートラインに並ぶ頃には30秒前。

 いよいよレースが始まる。

美しくも険しいやんばるの自然

 予報に反して雨は上がり、時折晴れ間ものぞくが路面はびちゃびちゃなので落車に注意しながら前に上がる。

 普久川の登りの手前にあるトンネルに入るまでで前に30人ぐらい。

 トンネルを抜けコーナーを曲がり1回目の普久川に突入、上がりきれなかったなと思っていると
犬井さんが「前、行くで」と一言。

 犬井さんまじカッコいい。

 自分からするとなかなかのペースで先頭付近まで引き上げてもらう。

 緩斜面は何とかなるが、勾配が上がるとかなりキツく400w前後で踏まなければならない。

 ずるずると集団の後方に下がりながら耐えるものの登りの半分を過ぎたあたりでオールアウトして先頭集団から千切れる。
 実質このタイミングでレースは終わるのだが、気持ちを切り替えて自分の目標を目指すことにした。

今年1番苦しかった登り


 ヘロヘロになりながらも何とか頂上を越えて、安全に下りその後千切れた人達で第二集団が形成された。

 奥の登りあたりで補給しようとしたらマグオンを落としてしまって、この時は気にしてなかったが後悔する事になるとは。

 そして集団は人数を増やしながら西海岸を南下し2回目の普久川を登り始める。
 ペースはそこまで速くないが着いて行くのがキツく感じるし、脚も軽く攣りかけていて補給が上手く出来ていなかったみたいだ。

 ここでも集団から千切れてしまう。

 下りきってからはペースの合う人もおらず、時々グルペットに抜かれるので着いて行こうと
するが、脚も無いしずっと脚もつりかけている
ので着いていけず1人旅。
 勾配のあるアップダウンを繰り返すのでフラフラの脚ではペースも上がらない。

 補給食もほとんど残っておらず、マグオンが
1つとwin zoneのカフェインプラスが2個入ってるジェルボトルのみで、カロリーも水分もミネラルも足りない感じがするし、序盤にマグオンを落としてしまったのが痛い。
 
 ここまで踏めなくなるとは思って無かったし、補給も失敗して両脚は今にもつりそうになっている。

 沖縄まで応援とサポートに来てくれた妻や兄に申し訳ないし、自分なりに努力してきた2年間は
こんなものだったのかと思うと悔しくなってきて思わず涙が溢れそうになった。

沖縄までの2年間

 今年は結婚式と新婚旅行が控えていたので昨年をラストイヤーにするつもりだったが、コロナの影響でシマノ鈴鹿もツール・ド・おきなわも中止になってしまった。
 妻と相談して今年出場することにしたのだが、結婚式の準備もありハードスケジュールになってしまうので、10月に挙げる予定を9月に前倒しさせてもらった。

 また、通常半年前ぐらいから始める結婚式の準備も1年前から取り掛かることによりスケジュールに余裕を持たせてトレーニング時間の確保を目指した。

 年明けからゴールデンウィークまでは順調に
トレーニングに取り組めてFTPや短時間のパワー
も自己ベストを更新出来たし、守山野洲川クリテではC2優勝&滋賀県選手権2位と好成績を残せた。

守山野洲川クリテC2

 しかし、GWあたりから準備が本格化してきて毎週末に打ち合わせや動画作成などがあり、その合間でトレーニングするから休日をゆっくり過ごす時間はほぼ無くなった。 平日も日勤は週2〜3日は残業で定時日は走りにいって休日出勤があると朝練する感じで、夜勤は週3日ぐらい走って、走らない日は炊事や準備したりしていた。

 そうして毎日やる事に追われ続けていると少しずつメンタルが削られてくる。

 6月のレインボーラインヒルクライムが終わってからは練習したくない、というか何もやる気が起きない日が増えていった。

 沖縄までに何かレースに出場できたらモチベーション維持の助けになったかも知れないが、結婚式前に大怪我は絶対避けなければならないので仕方ない。

 練習量も落ちてきてるから、いざ練習するとパワーも下がってるし尚更やる気も出なくなる負のループ。
 走れなかった日は自責の念に苛まれ、ストラバで皆んなが走っているのを見ると何故自分だけ練習してないんだという気持ちに駆られた。

 そんな中でも週末のロングライドと烏丸夜練だけは楽しかった。 

 そんな状態のまま月日は流れて気付けば9月。
あまり乗る時間もなく月間走行距離は500km程度なので体力もかなり落ちていた。

 無事に結婚式と新婚旅行を終えて久しぶりにビワイチしたが、絶望的に走れなくなっていてモチベーションはもはやどん底で、本気でおきなわに行くのを辞めようと考えていた。

 今から頑張ってもベストコンディションの7割程度までしか戻らないだろうし、過去最高の状態でおきなわには挑みたかったから出場することは無意味にすら感じた。
 それでも自分の決めた事から逃げたくない気持ちもあって葛藤している時に兄が

「完璧を求めすぎてる。今から頑張って7割ならそれがお前にとってのベストなんやと思う。」

「自転車に乗りたくないなら筋トレなりランニングなり別のことをすれば良い。行き詰まったら視点をかえてみる。」

 そうアドバイスをくれて、自分の中で気持ちを切り替えて改めておきなわに出ることにした。

 それからは出来る限りのトレーニングをして、週末は練習仲間に付き合ってもらいノンストップライドもした。(これはしんど過ぎて2度としたくない)

沖縄210km3位と国体選手にしごかれる地獄


 そうして8割程度コンディションが戻ってきた状態で沖縄へ向かったのだった。

最後の30km

 やはり8割ではダメだった。なんなら120%ぐらいに仕上げても全然足りないぐらいだと感じた。

 でも今は己の至らなさを悔やむ時ではないし、涙を流すなんてもっての外。

 ただでさえ足りてない水分とミネラルが勿体無い。

 歯を食いしばってとにかく最後まで走り続けるしかない。

 沿道から聞こえる地元の方々の声援に励まされ、時々声援に応えながら走る。
 先頭集団はレースに集中してそれどころではないだろうし、これは千切れた者の特権かもしれない。

 時折、近くの人とローテを回しながら少しずつフィニッシュとの距離を近づけていくと、いよいよ羽地の登りに差し掛かる。

 一緒に走ってた方が脚つってストップしたのでここからは1人で走る。
 残ってる力を振り絞って少しずつ前の人を抜いていく。
 途中のトンネルで脚がつりかけたけど少し伸ばして何とか耐えて頂上へ。残りは5kmのみ。

 あとは無理せず丁寧に下って最後の直線へ。

 前に同カテの人見つけたので最後まで踏んで1つ順位を上げてフィニッシュラインに辿り着いた。

 140kmの戦いが、2年間に及ぶ葛藤の日々が、
9年間のレーサー生活が終わりを告げた瞬間だった。

長い旅路の果てに

 フィニッシュして最初の出会ったのは山本君だった。
 お互いの健闘を讃えたあと練習仲間の活躍を知らされる。
 
 山本君 1回目の山岳賞獲得!
 こふみさん 女子50km優勝!!
 南さん 210km3位!!!

 いやいや、みんな凄すぎるやろ! 
 犬井さんも無事にゴールしてシード権獲得してるし、みんなの活躍がまるで自分の事のように嬉しかった。

 そして待っててくれた妻と兄と合流するが、気が抜けたのかフラフラするし脚はつるし想像以上に身体は疲労困憊だった。

 その後、皆んなと喋ったりセルフ表彰式を見たりしてから自分の完走賞を貰いに行った。

 結果は83位。

 何となくそれぐらいだとは感じていたが、練習仲間が活躍した中で改めて数字にして見ると悔しかったし、トレーニング量や方法、減量も補給も何もかもが足りてないと痛感した。

 でも自分なりの精一杯でやってきたからこの結果を受け止めるしかないし、普久川の登りを自分のペースで走れば後半も体力残せたとは思うけど、最初から勝負を捨てるような選択はしたくなかったから後悔は無い。

 とにかく逃げ出さずにやり切った事だけは自分を褒めてあげたい。

これまでとこれから


 関西国際空港から自宅に向かう車の中でこれまでに走ったレースを振り返っていた。

 良かった成績と言えば

 広島クリテE3 優勝
 舞洲クリテE2 9位
 ツールドおきなわ50kmオープン 6位
 シマノ鈴鹿エリート 4位
 守山野洲川クリテ滋賀県選手権 2位
 守山野洲川クリテC2 優勝

 あとはC3以下のカテゴリーとエンデューロで
入賞なり表彰台なりもちょこちょこあったなと。

 初レースで東近江クリテのC5に出場してローリングスタート(先導車がいてレースが始まっていない状態)で千切れた自分からしたら相当成長したし、1年間だけだったが雲の上の存在だと思っていた実業団レーサーにもなれた。
 
 自転車競技を通して多くの自転車仲間と出会えたことでより高みを目指す事ができたし、いつも良い刺激を貰ってそれが励みになってたと思う。

 強い面々と走って分かったのはアマチュアのトップクラスは強さも練習量も桁違いで、忙しい中でも苦しいトレーニングに打ち込めるメンタルの強さがあるというところ。

 自分にはそれが1番足りてなかった。

 だがそれは自分自身を追い込んだからこそ分かった事だと思う。 

 普段ならそれを反省点として次のシーズンに生かすのだろうが、もうその必要は無いししんどい練習をする事もない。

 これからは走りたい時に走って、走りたくない時は休めるし減量で食べたい物を我慢しなくてもいい。

 ただ、全てを終えて自分は自転車とどう向き合っていくのだろうかと漠然と考えながら窓の外を眺めていた。

最後に

 滋賀に戻ると肌寒くなっていてまた一つ季節が進んでいるのを感じた。
 沖縄にあった熱気や興奮も一緒に冷まされたような気がした。

 レース活動は一区切りついたので自転車だけではなく、将来のことについて色々考えなければならない。

 でもまずは妻と過ごす時間を大切にしたい。
 心配も迷惑も沢山掛けてきたし、辛い時は心の支えになってくれて本当に助けられた。

 苦しみながらも夢中になっていた日々から少しずつ現実に戻っていく。

 それと共に闘争心も消え失せていくと思っていたがどうすれば勝てるのか、どうやってライバル達と渡り合うのかをふと考えている自分がいた。

 どうやら自分の中の闘争心はまだ燃え尽きていないらしい。

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