コミュニティと個人の在り方
コミュニティってどこまでを指すんだろうか。同じ街に、同じ国に住んでいる見知らぬ人までコミュニティと呼べるのだろうか?それとも本当に仲の良い人だけをコミュニティと呼ぶのだろうか。
そんなことを考えたきっかけは、つい先日行ったインタビューの影響だ。今回は、デンマークでリビングラボ運営のノウハウを持つPublic Intelligenceとのインタビューの対話の中から、見えてきた日本とデンマークのコミュニティと個人の在り方について述べてみる。
コミュニティの捉え方
Public Intelligenceはコペンハーゲンから約2時間、1日で世界一長い橋という称号を盗まれたというグレートベルト・リンク橋を渡った場所、フュン諸島にある。Public Intelligenceを訪れた理由は、フュン島にあるスヴェンボー市を『E-health city』として活用した事例についてインタビューするためだった。その詳細は別の機会で報告するが、インタビューの中で「どうやって地域のコミュニティを巻き込んだの?」と聞いたときにコミュニティという概念の捉え方の違いが浮き彫りとなった。
先にまとめておくと、日本はよりオープンな関係を、デンマークはよりクローズドな関係をコミュニティと呼んでいる。
まずは、日本のコミュニティについて考える。「日本のコミュニティはなにか」と聞かれたら、きっと質問される相手や文脈によって答えが変わってしまう。例えば、小学校についての話をしていて、質問者が他校出身であれば自分の小学校をコミュニティと捉えて会話をするだろう。同様に、小学校の話をしていても、質問者が同校の他クラスの人であれば、自分のクラスを一コミュニティとして捉えた上で会話するだろう。
無理やりまとめるならば、日本のコミュニティは広義な団体として捉えられており、見知らぬ人でさえも同じ文脈に所属していればコミュニティと捉えられるという点から、オープンな関係を持つ団体と言える。
それに対して、デンマークのコミュニティは、実際の親密な関係のことを指す。つまり、日本のように見知らぬ人もコミュニティの一部と捉えるのではなく、より現実的でクローズドな関係をコミュニティと呼ぶ。この点は、デンマークがコネ社会と呼ばれる状態に結びつくのではないかと思う。デンマークはよくコネ社会と言われるが、実際にその節は散見できて、アルバイトはほとんど紹介で見つけることができるし、その他においても紹介がモノをいう世界という風に感じられる部分がある。
いろんな国で時間を過ごすうちに、国によって違う国民性などには注意を払っていたが、コミュニティという言葉の概念まで違うものなのかとカルチャーショックを受けた。
将来のウェルフェア
もう一点気になった点は、将来のウェルフェアの在り方について。インタビューの文脈の中で、デンマークでは、1人の人間として年をとっても自立できるような環境や健康=ウェルフェアを目指していると言う話が出た。その一方、日本ではコミュニティを作り上げ、共生していけるウェルフェアを目指しているように感じる。全てにおいてそうと言えるわけでは無いが、自分にとって、福祉センターはコミュニティの中で生活できる安心感を与える場所と言うイメージがある。
この違いには、個人としての在り方に対する考え方が影響しているのだと思う。デンマークでは、比較的若い年から1人暮らしを始めるなど、独立に対する意識が強い。ギャップイヤーやフォルケホイスコーレのように自分探しの文化があるのは、独立に対する意識があるからでは無いだろうか。
どちらのウェルフェアが良いかは、正直わからない。ただ、国ごとに異なる文化や事例を比べることで、見えてくる違いがあることに改めて気付いた。
今回のインタビューは、海外滞在の良さが詰まっていた気がする。その国で、その国の人と話すことで根深い国民性や文化が見えたりすると言う醍醐味が感じられた。ただ、文化や国民性がイノベーションに大きく関わっていることも事実で、そう簡単に他国のイノベーション技術を日本に持って帰ることはできないと言う厳しさも実感したインタビューだった。
やっぱり、まだまだ学ぶことだらけです。
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