人生をかえたムンクとの出会い

 僕が高校生三年生の時の話。
 画商をしてる父に急遽ニューヨークに連れて行かれた。
 一年の半分以上を海外で過ごし、父親らしい事もしないくせに節目節目で口を出してくる父が嫌いで、この時も学校を休み二週間も海外旅行に行かなければいけない事が不満でずっと不機嫌だった。
初めての海外旅行なのでパスポートを取るところからだった。慣れない準備は全部一人で、もうどうにでもなれと投げ出してしまいそうになりながら、どうにか出国の日まで過ごした。
 もちろん飛行機も一緒じゃない。僕はジョン・F・ケネディ空港で待っている父にどのような愚痴を吐いてやろうかと飛行機の中で考えていた。
 しかし、空港に着いて父に会うと、世界に自分の味方は父だけなのではないかと思うようになり、何も言えなくなった。そこからは、言われるがまま後をついていくばかり、自分がどこにいるのかも分からず、まさに身を委ねた状態。
 それでもホテルに着くと安心したのか、また苛立ちが募っていった。夜になりジャズクラブに遊びに行こうと誘われたが断った。もうこのホテルから帰国の日まで外に出ることはないぞと誓ったのだった。
 それでも次の日、セントラルパークに行こうと誘われた僕は、好きな映画にも出てくるその公園を一目見てみたいと誘い出されてしまった。綺麗な芝生や湖よりもアメリカを舞台にした映画によく出てくるスリットの入った大きなゴミ箱の方が印象に残っている。
 その後、近くだからとメトロポリタン美術館に行く事になった。僕はなんの興味もなかったけれど入口に着くと、その荘厳さに圧倒され中に入るのが楽しみになっていた。父は本業ということもあり館内では水を得た魚、様々なウンチクでゴッホやモネといった巨匠の作品を我が物の様に語っていった。正直、この場に誘い出されたと思った僕はまた苛立ちを募らせていたのだが、話が面白いこともあり大人しくしていた。
 ゆっくり廻っている事もあり全部を廻ることを早々に諦めてた父は最後に自身の好きなムンクの「叫び」の前に僕を連れていった。そもそも「ムンクの叫び」というタイトルだと思っていた僕は、作者の名前がムンクだと知って、この作品をもっと知りたいと思った。
 曰く「この絵が歪んでいるのは、当時ペストで家族、知人を亡くしていったムンクが目に涙を浮かべて描いたからだ。止まることのない涙を絵にしたんだ。」と。
 その話を聞き、白血病で母を亡くした直後の僕は、何かが自分に流れ込んでくる様な感覚に陥り、熱が出た時みたく頭がふわふわした。
 父が僕を何の為にニューヨークまで呼んだのかはついぞわかることはなかったが、僕にとっては沢山の経験を得る機会となり広い世界を知るきっかけになった。
 この旅行の後、理系だった僕は文転して芸大に入学した。僕が社会人になってから数年で心筋梗塞により亡くなった父の会社を継ぐに至った事で、未だに父の掌の上で転がされてる様な気がして腹が立つのだ。




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