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花はどこへいった

昨日届いた朝刊に戦火に傷ついた子どもの写真が載っていた。
新聞の中に入って行って 抱きあげて守りたいと思った。
遠い昔の物語ではなくて、いま起こっている現実のことだと娘に説明した。
不思議だ。
小さな自分になって眺めるのと 大きな自分になって眺めるのと また景色が変わる。

海沿いの道を自転車を漕ぎながら、広がる空を見上げて、この空は写真のあの子がいる空に繋がっているのにと思った。

ベランダの朝顔は10月後半になってもまだ花を咲かせる日もある。
一つの種から伸びたツル1本の中に、もう茶色の立派な種になったものもあれば、花が萎んでいよいよバトンをまわそうとするものもある。

夕方、家の中で唄をうたった。

唄える者は唄え。
と言われたことがあったけれど、その意味は、得意なことをしなさいってことかなってずっと思っていた。
でも、そんなに単純なことだけじゃないんだなと、思った。

何度も歌っている私を、娘がずっと見ていた。
朝新聞を見て話したことと私が歌っていること、どんなふうに娘には見えるだろう。

歌いながら私は どんなふうに小さい私と大きい私の折り合いをつけていくんだろう。


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