極端でありたい

多様性の必要性があらゆるところで謳われている。
個々人が生きやすいからという観点だけではなく、組織にとっても合理的に考えて必要だということが認識されはじめているように思う。

そんな中、私は『多様性の科学』という本を読んでいる最中だ。
そこにこんな一節があった。

個人個人は頭脳明晰でも、同じ枠組みの人ばかりが集まると近視眼的になる(中略)
しかし多様な枠組みの集団は違う。(中略)
新たな観点に立ち、それまでとは違った角度から視野を広げてくれる。それが高い集合知をもたらす。
『多様性の科学 画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織』(マシュー・サイド)

優秀だけど似たような人が集まるよりも、多様な個人が集まる方が集合知が高まり、結果組織として高いパフォーマンスをだせるということだ。

私は仕事をしているとついつい「変だと思われたらどうしよう」「すべての意見を包括しなければ」と思ってしまう。
けれど、多くの極端な人が集まった方が良いものができるのだとしたら、
私がやるべきはいろいろな意見を統合して正解っぽいものを作り出すことではなく、
自分が持つ極端な考えや感じ方をしっかり言葉にすることや、自分とは異なる意見を聴いて引き出すことではないか。

そう考えると、自分とは違う考え方にぶつかっても「なんで分かり合えないんだろう」というマイナスの気持ちが「よりよいものができるかも」というワクワクに変わる気がする。

個人の変なところ、極端なところ、そういうものを守っていくことこそが自分にとってだけでなく組織にとっても大切なのだと思うと、わがままかもと思って押さえていた本音ももっと素直に伝えられる気がする。
極端であることを恐れずに、もっと主観的に、もっと個人的でありたい、と思う。

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