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2020/04/05 「考える練習だけしてよう そしたら何かが変わるかも知れない」

「チャーハンだよ〜!」と起こされる。起きるとチャーハンがあった。今年2回目のチャーハン。1回目はマキファインアーツ帰りに玲子ちゃんが教えてくれた中華屋で、3人で食べたチャーシューたっぷりで自分がちゃーしゅーになったきもちになっちゃうおいしいやつ。全然生きてて自らチャーハン食べないんだけど、水曜に仕込んだ煮豚のかけらのチャーシューが入ったチャーハン、とっても絶妙にいい塩加減で、一番最高の状態のイデアみたいなチャーハンですごい。本当に料理がうまいねと言う。美味しくないチャーハン今までの人生で食べすぎてたのかもしれない、チャーハンのことを朝から好きになった。

お昼が過ぎた頃に、今度はドーナツを揚げてコーヒーをいれる。やりたい放題だ。

ふと目に付いたリバーズエッジを読み返したら、最高すぎた。というか、かみの漫画久しぶりに読んだけど、全然違う、画面の味わいの違い、あと、このことが電波的にどこにもつながっていないゆえにつながっているというような気持ち。誰もいない。自分がいる。欲望の方向、逆流、川沿い、二回流される涙、平坦な戦場。起こる比喩全てを感じとって読めることの幸せを以前は思っていたけれど、久しぶりに読んだら、わかんなかった登場人物のきもちがわかった。三人くらい。自分は当時人間じゃなかったのかもしれない、人に岡崎京子ではこれが一番好きだよって、勧めたりしたけど。その時の無神経さを風呂で思い出して、嫌な気分ではない。残酷な部分とか冷淡な部分とか、そういったものが、ないことがよさだと、誰が決めたというんだろうか、と思う。表面的なぺらぺらの倫理観に自ら絡め取られたら終わりだ。

此処彼処(グループ?名)で、ラインをやりとりして、花見をしたいというはなしと、できないねという話と、離れていてもできることをやろうと言う話。

「考える練習だけしてよう そしたら何かが変わるかも知れない」

と阿部さんが書いた、2011年の共作のドローイングを「こういうことやろう」と赤木さんが見せてくれる。なんか泣けるきもちになる。友達に会いたい、いろんなところに行っていろんなものを見たいけれど、それができなくても私たちは、いつだって、考えることはいつだってできる。

ゆきえちゃんとたくさんメッセージして、青木さんのイベントをライブで見た。

バイオリンを練習しつつ録音。うまくいかなくて指がめちゃめちゃ痛くなって、うまくいかなさですごくふきげんになって子供の時の練習の気持ちになって大騒ぎするけど、やめない自分に、頑固だなと思った。4時間半くらいやってて、その間のご飯と洗い物と風呂掃除、全部諒がやってた。サラダは作ったけどそれは自分が食べたいからで、頑固っていうかわがまま。

「もしかしてロックダウンになっても君は仕事が休みにならないの?」と聞いたら「だれかコロナになっちゃわないと休みにならないかも」って最悪のことを言ってた、心配で嫌だ。明日自分は観念して免許更新に行こうとしていたけれど調べたら3ヶ月延長できると読んだ後、外出しようとしていた自分が怖くなった。どんどん変わる状況に、どんどん変わる価値観があって、今のどんどん増える感染者(今日都内140人くらい?)の元々感染した瞬間は2週間前なんだとかで、私が2週間前に催したイベントでもしかしたら感染した人もいたかもしれないとおもうとたまらない気持ちになって、体がしぼむ。もう向こう10日間どこにもいかない。




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