【グッときた文章】白衣の女/20230716

ヴィジー夫人は、女性の落ち着きと優しさの権化のような人であった。静かな生活を穏やかに楽しんでいる様子が、太った穏やかな顔に浮かぶ眠たげな微笑に溢れていた。一生を走り過ごす者もいるし、のらくらと過ごす者もいる。ヴィジー夫人は「座り過ごした」人だった。早い時間にも遅い時間にも、家の中に座っていた。庭に座っていた。思いもかけない廊下の窓辺に座っていた。友人が散歩に連れだそうとするときも、折り畳み椅子に座っていた。何を見るにもまず座っていた。何を話すにもまず座っていた。ごくありきたりの問いに対し、「はい」、「いいえ」と答えるときも座っていた。いつも唇に静かな微笑みを浮かべ、ぼんやり思いに耽っているように首を傾げ、家の中の状況がどう変わろうと、心地よげに手の置きかたひとつ変えず座っていたのだった。穏和で従順で、物静かな罪のないこの老婦人は、生まれてこの方、彼女が活発に動いたことなど一度もなかったように見えた。自然の女神は、なすべきことが多すぎて、同時にいくつもの創造物を造り出す仕事に係わっているのだろう。そのため、女神といえども時には慌てて取り乱し、自分のやっていることの手順が混乱してしまうのだろう。私は密かに思うのだが、ヴィジー夫人が生まれたとき、女神は同時にキャベツを造るのに夢中になっていたのではあるまいか。我々すべてのものの母である自然の女神の心が野菜のことで一杯であったために、ヴィジー夫人のような性格が出来たのではあるまいか。

ウィルキー・コリンズ作 中島賢二訳『白衣の女(上)』岩波文庫 P.78~P.79


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