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20代を振り返ってみる

本日、無事に30歳の誕生日を迎えました。
いよいよ20代とオサラバです。

これからは20代限定の日本酒イベントには行けなくなるし(行ったことないけど)、アンケートに答えるときは「30代・女性」と書くことになります。
きっと、これから体力も落ちて太りやすくなっていくことでしょう…!!

しかし、ネガティブな感情はほとんどありません。
なぜなら、ズバリ、歳を重ねるごとにどんどん楽しくなっているから
きっと、これからもどんどん楽しくなっていくだろうな。

そんなことを考えていたところ、私が大尊敬している株式会社Clearの生駒さんがインスタでこんな素敵なことを書かれていました。

生きることの素晴らしさは、あらゆる経験が自分に積み重なっていくことにある
嬉しいことも悲しいことも、かけがえのない自分自身の肥やしになる。

僕は歳を重ねるにつれ、人や創作物や、あるいは自然の風景などをより美しく感じるようになった。それは受け手である自分自身の感受性や許容量が上がったからに他ならない。

生きるほどに世界を素晴らしく感じることができるのは、いろんな経験をさせてくれる周りのおかげ。謙遜ではなく純然たる事実として。

好きなものはより真剣に、嫌いなものはより鈍感に。
おもしろおかしく過ごしていこうと思います。

生駒さん素敵過ぎます。
私も本当にそう思うし、こういう感性の方が大好きです。

そこで今回は、大きな節目として、20代を振り返ってみようと思います。
今まで何度か自分の年表を作って整理してみたいなと思っていたのですが、色々ありすぎてとても書けなくて。そして今回も、実は途中までは20歳・21歳・22歳…と1年ずつ詳細に振り返っていたのですが、気が遠くなってきたので結局めちゃくちゃザックリと箇条書きで振り返ることにしました。笑

地獄も天国も味わった激動の20代

■20歳〜21歳:チャランポランだった大学生時代
・サークル、バイト、飲み会に明け暮れる日々
・「働く」ということを舐めており、バイト先で怠け倒して毎回怒られる
・自分がやりたいことが分からず、将来どんな仕事をしたいか検討もつかない
・就活を始めるも、挫折を乗り越えた経験が無く、自己PRポイントも無し
・皮肉にも、就活に失敗したことが初めての挫折経験となる

■22歳〜23歳:人生のドン底だった新卒1年目
・平均年齢50歳の零細化学系専門商社に営業職として就職
・正直言って就活負け組、劣等感の塊。「人生終わった」と本気で思う
・一人暮らしをきっかけに自炊にハマり、料理が好きなことを初めて自覚する
・食の仕事なら頑張れると思い、フードコーディネーターを目指し始める
・会社が嫌で鬱っぽくなり、「何も失うものはない」と思い、会社を辞める
・逃げるように奈良へ飛び、料理旅館で仲居として働き精神を鍛える

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奈良での修行時代に毎日食べていた、通称「奈良鍋」。当時の私は立派な料理だと思っていた。

■24歳:フードコーディネーター修行
・飲食店でバイトしながら、フードコーディネーター学校に半年間通う
・フードコーディネーター学校卒業と同時に料理研究家の先生に弟子入り
・先生のもとで、食文化を守ることの大切さや伝統の素晴らしさを学ぶ
・しかし、私の経験値が低過ぎて先生についていけず、3ヶ月足らずで辞める
・人生で一番お金が無かったし辛かったけど、かすかな希望の光だけ見つめていた
・ちょうどこの頃、日本酒と出会う

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こちらはカメラマン志望の友人と一緒に撮影の練習をしたときの写真。
友人とは今では一緒に仕事をする仲です、ウルウル。

■25歳〜26歳:派遣社員をしながら修行を続ける
・貯金が底を尽き、一旦派遣社員としてお金を貯めることにする
・憧れの大手企業でなんちゃってOL生活を満喫
・時間とお金に余裕が生まれ、空いた時間に日本酒や料理の勉強をする
・日本酒のご縁を通じて一気に人脈が広がり、日本酒会で料理を作るようになる
・日本酒バーの週一女将を始め、本格的に日本酒の道に進み始める
・派遣の契約期間が満了した26歳に独立。私生活では結婚。
・日本酒バーの女将をしながらフードコーディネーターの活動を始める
・最初のうちは女将業(アルバイト)の収入が8割以上
・酒蔵を巡るうちに発酵そのものに関心を持ち始める

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こちらは25歳の頃のプロフィール写真。
なぜ浴衣だったのだろう…。

■27歳:ケータリング、レシピ開発、ライターなど色々な仕事をやりまくる
・発酵を勉強するために東京農大の醸造学科に研究生として通う
・少しずつ自分の仕事が増え、レシピ開発やケータリングなど幅広くこなす
・この頃はケータリングやイベントでの料理の仕事が大半
・イベント系の仕事は平日夜や休日が中心なので、夫とのすれ違いが多くなる
・結婚式を挙げ、新婚旅行でフランスとドイツへ行く
・結婚をきっかけに、できるだけ平日昼間に仕事ができる働き方を模索

■28歳:新宿御苑前を拠点に、料理教室をスタート
・拠点を持たない働き方は好きだが、宙ぶらりんなイメージを持たれると気づく
・挙式をきっかけに、一時的に仕事への意欲が減退する
・仕事をバリバリ頑張るか、扶養に入って家庭中心の生活にするか悩む
・悩んだ末、やっぱり人生をかけて食の仕事をしていくことを決意する
・怠けた自分のお尻に火をつけるためにも、オフィスを借りて固定費を発生させる
・定期で料理教室をスタートするも、最初は生徒さんが集まらずに胃を痛める
・秋頃から生徒さんが増え始め、満席が続くようになる
・「日本酒×発酵食のペアリング」が自分の軸となる
・初めて雑誌の仕事をさせていただく

■29歳:料理教室継続を達成、テレビ出演の夢が叶う
・料理教室を1年以上継続し、年間500名以上の生徒様に恵まれる
・ペアリングの監修やイベント登壇、講演、執筆など、やりたかった仕事が増える
・noteのフォロワーさんが1万人近くになる(ありがとうございます!)
・目標の一つであったテレビ出演を果たす
・環境、循環、持続可能性など、食のエシカルな部分に関心を持ち始める
・自然に寄り添う暮らしをするべく、京都へ半分移住することを決意
・目指すは「古くて新しい暮らし」

以上が、超ザックリとした20代まとめ。
こうして振り返ってみると、22歳〜28歳までは結構辛いことばかりで、本当に楽しくなってきたのは最近のことなんです。

自分が好きなことの"核"

一番辛かったのは、社会人一年目かな。就活に失敗し、劣等感に押しつぶされていた上に、やりたいことも無く、友達もおらず、何も希望や救いが無かった。
今考えると、両親が故郷へ戻ったことをきっかけに一人暮らしを始め、そこで料理に目覚めたので、両親が故郷へ戻ってくれて本当に良かった。
ずっと実家暮らしを続けていたら、きっと料理が好きなことに気が付かず、今でも自分が何をやりたいのか分からずにいたかもと思うとゾッとします。
やっぱり、自分の好きなことを知っているって、最強だ

でも、好きなことを見つけたとしても、その「好きの"核"」を知るのには、案外時間がかかるし、どんな仕事のスタイルが自分に合っているのかは最初は簡単に気づけないことだ。
そして、色々なことに挑戦してこそ、その核に近づくことができると思う。

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20代、失敗も山ほどあったし、自分の身の丈にあっていないことに挑戦して撃沈したことも沢山あります。思い出したくないことも沢山あるなあ。

でも、やっぱり、何でもやってみないと分からない。

日本酒バーの女将をやってみて、接客が好きじゃないことを知る。
ケータリングをやってみて、大量調理が得意じゃないことを知る。
イベントをやってみて、周りからイベンターだと思われることが嫌だと知る。

失敗を体験し、その失敗から学び、成功体験を掴む。ひたすら、この繰り返し。
よく年配の方が口にする、「若いうちは沢山失敗した方が良い」という月並みな言葉。この言葉を沢山聞いておいて良かった。この言葉のおかげで、20代のうちに沢山失敗できました。

まあ、最近だってまだまだ上手くいかないことは沢山あるけど、きっとどう頑張ったって20代の頃ほどは失敗できないはず。失敗の経験が沢山あるから、どうすれば失敗するのか少しは分かっている。

そして、20代の頃のがむしゃらな挑戦には終止符を打ち、30代はまた新しい形で挑戦を続けていくのです!!まずは、4月から京都へ。

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まだまだ私にできることは少ないですが、今こうして沢山の素敵な友人に恵まれ、心から尊敬する人が身近にいて、料理教室に通ってくださる生徒様がいてくださることが、とても幸せです。
まだまだ未完成だけど、それはそれで今日は完璧な自分だ。

…というのは、先日感銘を受けたnoteで読んで痛く共感したことです。できるだけ多くの方に読んでいただきたい。

まだまだ書き足りないけど、これから夫と誕生日ディナーなので時間切れ。
上手くまとまらないけど、沢山の人に出会い、挑戦し、失敗し、時に理不尽なことに怒り、ひたむきに生きる人たちに感動し、心が動きまくった20代でした。

総括すると、「心が動いている」ということが、私にとってとても大切なこと。
これからも、ずっと心動く日々を過ごしていきたい。

まだまだ未熟で沢山の方にご迷惑をおかけするかもしれませんが、30代も変わらず楽しく暮らしていきたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。

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