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前編:突拍子も無く、これまでの半生を勝手に振り返ってみます。

※かなり久しぶりの、告知でもレシピでもレポートでもない記事です。半分は独り言です。かなり長いです。

今日は久しぶりに、一日パソコン作業や事務仕事ができる日でした。
フリーランスとして仕事をしていると、自分で何から何までやらないといけないので、具体的な予定が無い日でも、人と連絡を取り合ったり、ホームページやSNSを更新したり、計画を立てたり、情報収集したり、請求や支払いをしたりなど…常にやる事は尽きません。

そんな感じで、いつも通りスタバでパソコン作業をしながら、なぜだか昔のことを思い出しました。
そして、しみじみ「ああ、幸せだなあ…」と感じました。

そういえば、今の仕事に行き着くまでのこと、書こうと思ってなかなかブログに書けていなかったので、せっかくですし、こんな気分の時に書いてみようと思います。
(後記:簡潔に書く予定だったのですが、ついつい書き始めたら止まらなくなり、かなり長いですし、終わりません。お暇な方は、ちらりとどうぞ。)

地獄の就活生時代

2012年、私は大学を卒業し、小さな専門商社に就職しました。

私が就職活動をしていた2011年は、就職氷河期真っ只中だった上、更に3.11の震災の影響もあり、就職活動はかなり難航しました。
そして、正直なところ、私は就活負け組になりました。
もちろん、大学時代ろくに勉強せずにバンド活動と飲み会に明け暮れて、毎日遊び呆けていたので自業自得なのですが…。

思えばこれまで、なんとなく周りに合わせてそこそこ楽しい子供時代を送り、なんとなく勉強して中の上くらいの高校と大学に入り、そこそこ興味のある学問を勉強しながら、ふわふわとした日々を送ってきました。
その頃の私は、「学生という身分を終えると、社会という大海原に放たれる」という現実を全く理解していなかったのです。馬鹿みたいですが、自分が大人になるイメージが無かった。
ある日急に、こんな置いてきぼりになるなんて、想像もしていませんでした。

自分の「やりたいこと」について、初めて本気で考えたのが、就活時の自己分析。
それまで、自分の好きなことや興味のあることは有ったものの、「じゃあ、自分に何ができるか」なんて、考えたことも有りませんでした。
"好きなこと"と"自分にできること"が全くの別物だということは、今では嫌というほど分かります。

大学のゼミでは、発展途上国の開発と環境について研究していましたが、それってどう仕事に繋げられるだろうか??
理想的な進路としては、JICA(国際協力機構)が真っ先に上がりましたが、海外へのフィールドワークやボランティアなど、具体的な活動をしてこなかった私がJICAに入る権利など有りませんでした。正直、恥ずかしながら、海外に転勤する覚悟すら有りませんでした。

自分のやりたいことって何??何のために働きたい??誰のために??
…とにかく考えた結果、辿りついたのが、まさかの「素材」という選択。

私は典型的な、熱しやすく冷めやすいタイプの人間で、色々と好きなことはあるけれど、そこにどっぷりと浸かることが嫌で、一か所にとどまるのも苦手でした。
単純な性格ゆえ、目に見えるものしか信じられないタチで、金融やコンサルやITなどには興味が無く、なんとなく「メーカーに入りたいなあ」というイメージはありました。
そんな自分を分析すると、ものづくりの最も川上である素材メーカーこそが、私のやりたい業界だと気付いたのです。

化学は可能性が無限大。
一つの素材が、例えばスマホの材料になったり、車の部品になったり、キッチン用品になったり、建材として使われたり、とにかく色々な用途で様々な業界の沢山の人の役に立つ。それに、環境に配慮した素材の開発も進んでいるし、水質浄化にも化学は欠かせない。世界の役にも立てるかもしれない。
例えばですが、化粧品メーカーに就職したら、その化粧品を使う人にしか役立てないけれど、化学は色々なものに化けて、誰かの生活の役に立つ。もちろん、化粧品の原料にもなる。
「自分が提案した素材が色々なものに化けて、知らないところで知らない人の役に立っていたら良いな。」そんな思いが、就職活動の軸になりました。

目標さえ見つかれば、猪突猛進。
素材メーカー一本の就職活動が始まりました。

しかし、模範的な就活生が「相手を笑顔にしたい」「"あなただから"と言ってもらいたい」と言うところを、私は「知らないところで、どこかの誰かが笑顔になってくれたら良いなあ」なんて馬鹿正直に言っていたものだから、拾ってくれる会社は一つもなく(笑)素材メーカーは全滅。
「メーカーがダメなら商社に入ろう」と、持ち前の単純思考で素材系の商社を受け、どうにか引っかかったのが、小さな小さな専門商社の営業職。
藁をも掴む思いで、そこに就職することに決めました。

創業100年、平均年齢50歳超。「キラキラOL生活」とはかけ離れた会社でしたが、「仕事内容が何より大切!」と自分に言い聞かせ、いよいよ社会人生活がスタートしました。
人生の夏休み、これにてジ・エンド。

孤独な会社員時代

そして始まった、社会人生活。
やりたいことへの妥協は無かったため、素材を扱うこと自体には、満足していました。プラスチックのことを必死に勉強し、それぞれの素材の耐熱温度や熱伝導率、荷重たわみ温度、耐候性など、知識を深めていくのは楽しかった。
(今考えると、このマニアックな探究心は現在にも通じているかも。)

上司の営業まわりにもついていき、時には地方出張も行きました。
外回りが多かったのが唯一の救いで、会社内には若い人はいないけれど、取引先で沢山の人に出会えるから、それで十分だなと。最初はそう思っていました。

しかし、一ヶ月としないうちに、気が付きました。
大学時代に仲良かった同期の友達は、就職先の会社に新しい仲間を見つけ、頻繁に会える存在ではなくなっていること。
取引先の相手は、所詮は仕事だけの関係であり、プライベートで会うことは決して無いこと。
無名の小さな会社に勤めている私は、社会人の交流パーティーに出かけたって、誰も興味を持ってくれないこと。

「人生の楽しい時間は終わったんだ。」本気でそう思いました。
どうしよう。遊んできたツケが回って、取り返しのつかないことになった。
キラキラした社会人生活を送る友達が本当に羨ましくて、SNSを見るたびに自分と比べてしまい、惨めな気持ちになりました。

毎日遊んでばかりだった大学時代が嘘のような、会社と自宅を往復する毎日。
飲み友達だって、一人もいなかった。

そんな中で、唯一の楽しみが、料理だったのです。

もともと料理は嫌いではなかったのですが、実家では母が作ってくれたので、一人暮らしを始めてから初めてちゃんと料理をするようになり、「あれ、料理って楽しいじゃないか」と気付きました。
飲みに行く相手もいなかったので、仕事から一直線で家に帰ってきたら、いつも色々な料理を作っていました。料理をしていると気分も晴れたので、あの頃の私の唯一の救いでした。
と同時に、「料理って、一番身近なモノづくりだな」と感じ始めていました。

そして、転機となったのが、社会人2年目のある日。
淀んだ空気の社内に居たくないので、逃げるように外へランチに行きました。もちろん、ランチはいつも一人。一人でご飯を食べるのは寂しいけど、会社の外に出るだけでも、体が軽くなりました。
しかし、お昼休み終了のカウントダウンが近づくにつれて、体が重くなり、手が震えて、冷や汗が出始めました。会社に戻ると、更にお腹が痛くなり、冷や汗が止まらず、吐き気を催したので、早退させてもらうことに。(体調不良で休んだことなど一度も無かったのに!)

「どうしたんだろう、風邪かな…」とお腹を抱えながら駅に着いたら、あれ??
すっかり腹痛は無くなり、冷や汗は止まり、吐き気も完全におさまりました。

そこで初めて「やばい、これ限界まできてるな」と体で痛感し、心と体が病む前に、脱出することに決めました。

電撃退社〜試練の修行時代へ

念のため書き添えますが、会社自体は割とホワイト企業でした。
定時に帰れるし、パワハラもセクハラも無いし、お給料は標準的。休みも有給も、きっちり取れます。

しかし、とにかく全員、互いに無関心だった。

うるさいことを言われない会社で、ぼんやりと作業をこなし、定時まで働けば、そこそこお給料がもらえる。職場の人とは極力関わらなければ、トラブルも起きない。”ルーティンな毎日”が、一番疲れない。
朝の挨拶すらしない、淀んだ空気が流れていました。

そのため、当然私に対しても無関心。
直属の上司は比較的面倒を見てくれた方でしたが、「まあ一人前になるには5〜6年かかる世界だからね〜」と、具体的に仕事を教えてくれず、一向に一人立ちできないままダラダラと毎日が過ぎていきました。小さい会社だから、研修制度なんて無いに等しいんですよね。OJTなんて、逃げの言葉で。

というか、そもそも5〜6年後って、30歳間近じゃないか。
一人前になった頃には、ちょうど結婚や出産を考えている年頃だろうし…そこからバリバリ働ける??てか、産休取れるの??というか…そこで会社を辞めたとしたら、その時の私には何が残っているだろう??
化学素材を扱う仕事は素敵だけど、その知識は私生活で役に立つの??私は家族や友達に、何を与えられるだろう??
疑問符が頭をぐるぐる回り、そのまま深く暗い闇に吸い込まれそうでした。

しかし、そんな風に自問自答を繰り返して、考えて考えて、考え尽くしたからこそ、「料理」に可能性を見出しました。

料理は、一番身近なモノづくり。
食材という"素材"を活かして、様々なものが生み出せる。
そして、なにより「食」は、誰にとっても必要なもの。
私も、家族も、友達も、遠く離れた国で暮らしている人も、誰もが一生必要なものだ。そして、そこには文化があり、楽しみがある。
これは、すごく可能性があるぞ。

…となると、当然「料理人を目指す!!」となりそうに見えますが、やっぱり私はそういう人ではなくて。ここにきても、模範解答ができない性分。
料理を仕事にしたい人の模範的な意気込みの言葉と言えば、「食べた人の笑顔が見たい!!」ですが、私の意気込みは、「私が作ったレシピで、どこかの誰かの生活がちょっぴり豊かになれば」…なのでした。

その場で食べて消えてしまうものを作るのではなくて、どこかの誰かの生活に溶け込むような、料理の仕事がしたい。
そこで見つけたのが、フードコーディネーターという仕事でした。

…て、あれ??前置きが長いぞ。
というか、まだ書きたいことの半分も書けていないし、もう夜中の3時だ。わー!!寝なきゃ!!

よし、前半と後半に分けよう!!

ということで、突拍子もなく終わります。。とりあえずここまでにしま〜す!!
一体、ここからどう「しみじみ幸せ」に繋がるか。真相は、また次回。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!!
この後はどんどん明るくなるので、ご期待ください!!

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