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功利主義と「動機としての正しさ」について

本稿では、「正しさ」における動機の問題と功利主義の関係について検討する。題材として新型コロナウイルスの治療薬の開発や、ゴジラと怪獣の戦い、そして政治哲学に関する一書籍を引き合いに出してみよう。

1.レムデシベルと米ギリアド・サイエンシズ社

米ギリアド・サイエンシズ社は1987年に設立された製薬会社である。日本ではインフルエンザ治療薬のタミフルの開発会社として知られている。

2020年1月30日にWHOによる新型コロナウイルスの緊急事態宣言が発せられた当時、同社の株価は64.03ドルだった。同社は4月10日、開発中の新薬『レムデシビル』について、入院中で重度合併症を呈する新型コロナウイルス感染症患者53例を対象とした分析結果を発表した(※2)。同社株価は同年4月30日には84.00ドルに達し、約3ヶ月の間に約31%もの株価上昇を見た。2020年5月1日、米FDA(食品医薬品局)は新型コロナウイルス治療薬として米ギリアド・サイエンシズのレムデシビルに対し緊急使用を許可している。

同社の経営理念(『生命を脅かす疾患の治療に、さらなる進歩を』)に関わらず、同社株式へ投資した投資家はレムデシベルを含む同社の将来性に期待しているだろう。6月30日、米ギリアド・サイエンシズ社はレムデシベルの価格を1バイアルあたり390ドルに設定したと発表した。Newsweekの記事によれば、「ロイヤル・バンク・オブカナダのアナリストによると、レムデシベルの売上高は今年23億ドルに到達する可能性がある」と報じられている(※3)。

レムデシベルの取組みが成功した場合、米ギリアド・サイエンシズ社は社会的に大きな貢献(功利主義的にはプラスの社会的幸福)を行ったという評価を受ける可能性が高い。しかしもともとレムデシベルはエボラ出血熱の治療薬として開発が進められていたし、新型コロナウイルスへの一定の治療効果が発見されるに至ったのはあくまで結果論だったという経緯は気に留めておきたいところだ。

2.ゴジラ対アンギラス

1955年4月24日、東宝制作の映画、「ゴジラの逆襲」が公開された。同作はゴジラが別の怪獣と戦う最初の映画として特徴づけられている。ネタバレになるといけないので詳細は省略するが、大雑把にいってゴジラと同様の水爆恐竜怪獣「アンギラス」を、ゴジラが大阪城付近で死闘のうえやっつけるというあらすじである。アンギラスは「性格は非常に凶暴で、他の生物に対しては激しい憎悪を抱く。(※4)」とされている。人類からすれば(その後ゴジラとの直接対決こそ控えているものの)ゴジラがアンギラスを倒してくれたことに対しては大いにありがたみを感じるところだ。

3.正義は存在するのか~動機の自己利益最大化論

そもそも社会に「正義」なるものは存在するのだろうか? デイヴィッド・ジョンストンは「正義はどう論じられてきたか」(※1)の序章(プロローグ)において、社会正義に対するこうした素朴な疑問について検討している。

「説明のつかないと思われる行為に注目するとき、しばしばわれわれは、詳しく調べれば動機が自己利益であることが判明するだろう、などと考える…動機がもっぱら公共善への気遣いや忘我的な目標であるなどという主張を耳にしても、疑いを抱くほかはない。(P3)」

いわゆる日本人の感覚でいえば「胡散臭い」と表現される、あの感覚である。こうした感覚は概ね世界共通のようだ。アダム・スミスは『国富論』の中で、「われわれが自分たちの食事をとるのは、肉屋や酒屋やパン屋の博愛心によるのではなくて、かれら自身の利害にたいするかれらの関心による。われわれが呼びかけるのは、かれらの博愛的な感情にたいしてではなく、かれらの自愛心にたいしてであり、われわれがかれらに語るのは、われわれ自身の必要についてではなく、かれらの利益についてである。(※5)」と述べている。一人一人の利己的な意思決定の積み上げが、結果として社会全体の幸福を増進するという功利主義的な正義論だといってもよいだろう。

こうした実生活に基づいた洞察は、私たちに「そもそも社会に正義なるものが存在するのだろうか」という問いを投げかける。より詳しくいえば、「そもそも社会に正義(を動機として行動する人間)なるものが存在するだろうか」という疑問である。

米ギリアド・サイエンシズ社はレムデシベルを開発したが、それは彼らの営利追及を目的とした研究開発過程の結果である。ゴジラはアンギラスを打倒したが、それは別に日本人のために遂行したわけではない。端的にいって、これらのケースは「自己利益の最大化を動機として利己的に行動した結果、社会的善(正義)に貢献した」事例としてまとめることができる(社会的善(正義)とは、功利主義的なプラスの社会的幸福と同様の意)。こうした洞察は、日常生活でも調べれば枚挙にいとまがなく見つけることができるだろう。

なぜ人は他人の利他的な行動を素朴に信じず、このように利己的な思惑があると理解しようとするのだろうか。ジョンストンはこうした理解の仕方を、現代人に深く根付いている『合理的選択理論(※6)』という社会科学的枠組みを紹介しながら説明している。個人がある行動をとった理由をもっともうまく説明できるのは、①個人の自己利益の最大化を目的とした目標設定、②個人が入手可能な選択の全体、③個人が直面する状況の因果的な構造、以上の三要素を押さえたフレームワークであるという考え方である。

例えば米ギリアド・サイエンシズ社の場合、レムデシベルを新型コロナウイルスの治療薬として研究を進めるという行動を取ったのは、①製薬会社として新薬をゼロから開発するよりも、開発途中の別の新薬が利用可能であればそれが一番収益性が高い(自己利益最大化目標)、②開発途中の新薬の中で、新型コロナウイルスに有意な治療性を示すものはレムデシベルしかなかった(取りうる選択肢)、③他社からは有効な新薬開発情報が聞こえてこなかった(選択肢をもっとも効果的に機能させる環境)、と要素分解して分析するともっとも納得のいく説明がえられるというものである。

ゴジラとアンギラスの場合はさらにわかりやすい答えがえられるだろう。ゴジラは別に私たち人類を助けようと思ってアンギラスを撃退したわけではない(究極的にはゴジラの内心はわからないが)。ただゴジラの活躍によって私たち人類が助かったことは間違いのない事実だ。

このような視点に立てば、社会正義(以下、単に正義)について議論することは無用といえる。社会とは(自己利益促進の結果としての)個人の行動の集合であり、正義はその集合内の相互関係の中から「結果として」現れてくるものだからだ。正義を動機として行動するとはうさんくさい、むしろ正義について意識過剰に考えて行動すること自体が正義を損なっている、という主張の論拠となる考え方でもある。

動機としての正義、意図としての正義が存在しないとすれば、正義について議論することはそもそも意味のないことなのだろうか。正義とは、結果オーライの言い換えの言葉に過ぎないのだろうか?

4.現代における正義の感覚~転売ヤーへの制裁行為~

こうした正義懐疑論に対して、ジョンストンはいくつかの社会科学的実験の知見を紹介しつつ、合理的選択理論を奉じる読者に対して再考を促している(個別の実験内容は長くなるため注釈にて説明する)。

実験①:共同作業と報酬配分の実験(※7)

実験②:支払いチップの実験(※8)

実験③:愛他的処罰ゲーム(※9)

これらの実験が示したことは、「個人は自分が得をするといえども、不平等な報酬を快く感じない(実験①)」、「個人は相手が誰であれ、同品質のサービスに対しては同量のチップを支払う(実験②)」、「個人は相手がルールを破った場合、自分に不利なコストをかけてでも相手を罰しようとする(実験③)」といった、合理的選択理論からは説明がつかない個人の心理的傾向であった。

特に実験③の「愛他的処罰ゲーム」に代表される心理的傾向は、新型コロナウイルスの影響下にある日本でも確認することができる。

令和2年3月11日に政府はマスクの転売禁止に係る政令を公布するのだが、その直前にあたる3月6日、オークションサイト・ヤフオクでは1億円を上回る高額入札がついたマスク出品が横行した。もちろん出品者自身が億単位の落札を期待していたわけではない。原因は消費者サイドによる高値転売対抗措置で、法外な高額入札をあえて事前に行うことで、落札相場3~10万円程度の入札が行われないよう価格操作と落札妨害が行われたのである(当然ながら落札後、妨害者は注文をキャンセルした)(※10)。

こうした行為はTwitter上では「転売防止措置の名案」、「転売ヤーに対する制裁」、「正義マン登場」などのコメントとともに、Twitterユーザー層には概ね好評のもとに受け入れられた。ヤフオク側もこうした価格操作と落札妨害行為をあえて罰することはしなかったようである。

こうした行為は、自らの利益の最大化のみを行動目標として設定する「合理的選択理論」からは導き出すことが難しい。どうやら人間には正義を意識せず利己的・合理的に行動する側面と、正義を意識し自分にとって不利なことでも行動しようとする二面性が備わっているように思われる。私たちの中には正義が働くべき領域と、正義が働かざるべき領域が不明瞭な仕方で混在しているのである。

ジョンストンは正義を議論する必要性について、以下の通り述べている。

「われわれは、公正の判断を支える根本的な標準を、あらゆる人間が共有するべきだと考えている...いうまでもなく、公正についての判断を支える標準について、人々の見解が一致しないこともままある。けれども…見解の不一致それ自体は、不一致を招くおそれのある客観的な事柄が存在するという想定に基づいている。この想定がなければ人々は、むしろ彼らの差異を不一致ではなく、単に見解や嗜好の分岐として認識してしまうであろう。(P9)」

5.メソポタミアの古代にまで遡る~現代の正義感の故郷を求めて

それでは現代にもこうして深く息づいている、合理性とは別のもう一つの「正義の感覚」は、一体人類史のいつ・どこに由来するものなのだろうか。この正義感の故郷を探るために、私たちは遥か古代、メソポタミア時代のハンムラビ法典にまで遡らなければならない。ジョンストンの言葉を借りれば、

「幸運にもわれわれは…物語を、入手可能な人類史最初期の文書記録を考察することから始めることができる(P11)」のだから。

しかしさらなる検討は別の機会に譲るとして、本稿はいったんここで筆を置くことにしたい。(了)

【注釈】

※1)「正義はどのように論じられてきたか」、デイヴィッド・ジョンストン著、みすず書房

※2)ギリアド・サイエンシズ社HPよりhttps://www.gilead.co.jp/-/media/japan/pdfs/press-releases/04-13-2020/nejm_2020410.pdf?la=ja-jp&hash=AFF6A91D2334AB0CD5D9EFD62D5048D3

※3)Newsweek、2020年6月30日配信https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/125-1.php

※4)wikipediaより、『アンギラス』https://ja.wikipedia.org/wiki/アンギラス#『ゴジラの逆襲』

※5)「国富論」、アダム・スミス著、中公文庫、P26

※6)Weblio辞書より、『合理的選択理論』。合理的選択理論は経済学、自由市場、功利主義と密接な理論的関係性を持っている。私見では、利己的な行動目標は前近代においては批判の対象となったであろうが、19世紀の功利主義の発展以降、社会の幸福につながる利己的な行動目標はむしろ社会的に称賛される思想文化が備わってきたと理解している。このため私たちの常識の中にさえ、合理的選択理論と功利主義的な考え方が浸透してきているのではないだろうか。このような考え方は正義思想史の中では「新時代理論」なのである。https://www.weblio.jp/content/合理的選択理論

※7)実験内容は以下の通りである。『被験者は、「協力者」(実際には架空の人物)と平等だと教えられ、協力者が他の場所で類似の業務を行っているという理由で、工場で単純な作業に従事されるよう指示される。割り当てられた業務を終えたのちに彼らは、共同賃金3ドルをどう配分するかの決定を、協力者の側が行うことを事後的に聞かされる。彼らはまた、彼らも協力者も同様にその業務をうまくやり遂げたことを聞かされる。しかるに被験者は、協力者が総額3ドルのうち、どの程度を被験者に分配するかについて予想を述べるよう促される。結果、被験者は1.5ドルを受け取る場合、もっとも嬉しいと感じ、協力者に好意を寄せるという明白な結果が出た。1.5ドルより高くても低くても、不公平であり嬉しく感じないという回答だったのである。』

※8)実験内容は以下の通りである。『レストランのチップに関する調査についての回答集計結果。質問1:ほとんどの人々は、行きつけのレストランで、10ドル相当の食事を注文してサービスに満足したのち、チップを払う。あなたは、彼らがどのくらい払うと考えるか→平均回答:1.28ドル。質問2:ほとんどの人々は再び訪れるはずのない別の都市のレストランで、10ドル相当の食事を注文してサービスに満足したのち、チップを払う。あなたは、彼らがどのくらい払うと考えるか→平均回答:1.27ドル。』

※9)ゲーム理論における「信頼ゲーム」の実験。A、B、Cの三者からなる集団で、物品を相互に売買することが取り決められているが、売買契約成立後、相手が受け取るべき物品を相手に手渡さないなどの「詐欺行為」を妨げるための有効な強制メカニズムは存在しない。詐欺をはたらく誘因が存在するにも関わらず、ほとんどのプレーヤーは予期した通りに物品を手渡しており、なおかつその移転は売上からコストを引いた利益すらも他のプレーヤーにもたらしていた。このパターンは「愛他的報恩」と呼ばれるが、「愛他的処罰」というパターンにおいては、多くの人々が不公正と思われる行為に手を染めたプレーヤーに処罰を施すことを望んでいた。しかも、彼らにとってコストがかかるとしても、さらに不公正と認識される行為が別な集団におけるプレーヤーの手によるものであっても、処罰を望むのである。かなりの確率で彼らは、それまでの流儀からは逸脱する形であっても、自らが損をすることを厭わなかった。

※10)キャリコネニュース、2020年3月6日配信https://article.yahoo.co.jp/detail/bf4623d4fe26fa51f1dd8d3debcb6db435b8b6d7

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