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【10分でわかる!】西洋政治哲学史講座~主役級の哲学者16人を一挙紹介

「哲学って難しそう」
「政治ってなんとなくめんどくさそう」

こうした二つの悪印象が同時に重なった最悪の学問分野が存在します。
それが、政治哲学です!

そんな政治哲学ですが、今わたしたちが生きる社会は、2千年以上にわたる政治哲学が築いた基礎の上に成り立っています。
政治哲学を学ぶことは、自分たちの社会が「なぜ」「どうして」現在のような仕組みと形になったのか、その理由を知ることにつながります。

「政治ってよくわからないけど、なんとなくは興味あるんだよね。でも小難しい理論を覚えるのはイヤだな...」というあなた。

わかります。
わたしもそうでした。

そんなあなたに今回は『理論ではなく、歴史で学ぶ政治哲学講座』をご準備しました。
10分あれば、西洋政治哲学史2千年の歴史が(なんとなく)わかります。

「でも歴史もめんどくさそう。年号とか、覚えられないし...」というあなた。

わかります。
わたしもそうでした。

というわけで、この講座では政治哲学を『登場人物(歴史的な政治哲学者)』の観点から解説してみました。
全部で16人、一人あたり大体200~400文字。twitterの2記事分に分量を抑えてあります。

『これを読めば、西洋政治哲学史の流れがわかります。』

政治哲学がどこから出発し、どこへ向かったのか? わたしたちの社会は一体何の上に建っているのか?

今回は紀元前から近現代(19世紀)までの期間で区切りますが、大きな流れをざっくり感じてみてみましょう。

【1人目】
ソクラテス。古代ギリシャの哲学者。

鬼神の電波を受信し、自らの知らざるを知り、そこらへんのインテリを論破しまくった結果訴えられ死刑になったヤバい奴。しかし彼の死は哲学をつくった。そしてお弟子さんに恵まれた。奥さんは、怖かった。

ソクラテスが登場するまで、人間が都市(ポリス)に従って生きることは問題扱いされなかった。しかし彼は"人間はただ生きるだけではおもしろくない。善く生きることが大事だ"と説いた。

善く生きるとは何か。彼はそれを『知ることだ』と考えた。なぜ都市に法律があるのか。なぜ自分はそれに従うのか。そのなぜを知り、納得したときに善き生が始まると彼は考えたのだ。

考える人、すなわち哲人が誕生した。のちに知を愛する姿勢は愛知、すなわち古代ギリシャ語でNAGOYAと名づけられた。今日の哲学の語源である。

【2人目】
プラトン。ソクラテスの弟子。

彼の哲学的人生は、尊敬する師を抹殺したアテナイ民主制に対する復讐によって幕を開けた。衆愚政治を恨み、哲学者が王となる社会が理想だと唱えた。

生涯多数の著作を残したが、師匠が好きすぎて本の主人公がほとんど師匠になるほどだった。彼もまた弟子に恵まれた。

【3人目】
アリストテレス。プラトンの弟子。

復讐に狂った師匠とは違い、ポリス(都市国家)を中心に据えた現実的な政治哲学を構築した。彼の主張は主に二つだ。

①人間は言語を持つためお互い意思疎通が取れる点が動物と決定的に異なる。しかししゃべれるだけではただのアホなので、ポリスという外的装置が善き市民をつくると説いた。

②「哲人王なんて実際にはおらんやろ」と師匠の政治思想を批判的に捉えた。実際には統治者が賢いか賢くないかなんていうのは確率論、いってみれば支配者ガチャでしかない。従って彼は「それなら統治者が定期的に代わる仕組みをつくったらええんやで。誰もが統治者になれる可能性があるんだったら、最悪の政治がずっと続く事態は避けられるやろ」と考えた。

統治者は任期を持つことでその権力が制限される。今日的な民主主義的政治制度の芽生えである。

プラトンが提出した「哲学王(賢者による社会支配体制)」と、アリストテレスが提出した「民主制(誰か一人に絶対的な権力が集中しない社会支配体制)」の二つのビジョンの対立は、今日に至るまで政治に関する議論を二分する最重要テーマとして生き続けている。

西洋哲学史は、ソクラテスの死刑をどう反省するか? という問いから始まったひとつの壮大な物語なのだ。

【4人目】
リウィウス。共和政ローマの知識人。

彼は歴史家だった。142巻に及ぶ「ローマ建国史」を執筆した。カエサルが破壊した共和政ローマが懐かしくて仕方なかったからだ。のちに彼が描いた共和政ローマに憧れた近世人が近代社会の基礎をつくる。

政治家だけではなくて、歴史家が政治をつくることを証明した人だった。

【5人目】
キケロ。共和政ローマの政治家。

文人なのにあの最強カエサルのライバルを自任していた。しかしペンは剣には勝てなかった。いや。カエサルがペンも剣も使えるチーターだったのが悪かったのだ。

彼は共和政の美点を説いた。要するに王のいない社会だ。

ちなみに彼はライバルたるカエサルよりも長生きした。人間、生き残った方が勝者なのだ! …と思ったらライバルの子分に謀殺され人生を終えた。人生は終わるその瞬間まで、わからないものだ。

【6人目】
パウロ。帝政ローマのキリスト教父。

ユダヤ人の家に生まれ、当初はキリスト教を迫害するも、ある日突然イエスからの電波を受信し、キリスト教徒に改宗した。このとき目から鱗が落ちたことが今日使われるあの有名な慣用句の語源と伝わる。

巡教に熱心で、キリスト教が世界宗教となる礎を築いた。のちにキリスト教はローマ帝国と政教合体する。パイルダー・オン!

【7人目】
アウグスティヌス。ローマ時代のキリスト教父。

ローマ人だがアフリカ出身。当時のローマ帝国がいかにグローバルだったのかが痛感される(そして植民地出身でも活躍できる社会だった)。

なんと彼は国家は強盗と変わらない(国家強盗説)と唱えた。従って真に権威を持つのは教会だと説いた。教会最強説。ここから1000年におよぶ西洋宗教支配が幕を開ける。

【8人目】
ボエティウス。ローマ末期(6世紀前半)の哲学者。

中世ルネサンス期に知識人は古代ギリシャ哲学書を読み漁ったが、なぜ彼らは古代ギリシャ語を読めたのだろうか? それはボエティウスが古代ギリシャの重要哲学書をラテン語に翻訳したからだ。おかげで1000年後の西洋人はギリシャ語を学ばずに古典が読めた。

わたしたちもボエティウスに感謝しなければならない。

【9人目】
トマス・アクィナス。13世紀の神学者。

1000年以上前に生まれた大先輩・パウロは目から鱗が落ちるほどキリストの威光に敬服していたため、人間はか弱く、罪深い生き物だと考えるネクラだったが、アリストテレス哲学の流れを組む彼は「人間は社会的に生きる価値のある存在だ」と考えたネアカだった。

このため人間が治めるポリス(都市国家)に肯定的評価を与えており、人間社会を規律する制度として法の存在を重要視した。法律って何種類ってあるの? と聞かれると彼は「4つある」と答える。無類の法律厨だった。

彼が心服したアリストテレスは、権力が腐敗しないためには統治者を交代することが必要だ(権力は制限する必要がある)と唱えたことを思い出してほしい。トマスはそれを法による規律に求めた。弱さや煩悩を抱えた人間よりも、法が社会を支配する方がいいんじゃないかと考えたのだ。心の師匠と同じく現実的な人だったのかもしれない。

【10人目】
マキャベリ。ルネッサンス期(15-16世紀)のフィレンツェの政治家。

『君主論』の著者として有名。なんとなく悪役のイメージがあるが、政治哲学的な彼の業績は、国家の概念を大転換させたことだった。国家は王様のものだと思いがちだが、彼は王様よりも『国家そのもの』が大事だと説いた。

王には国内の混乱を整理し秩序をもたらす責任を求め、そのために王は何よりも現実的でなければならないと考えた。つまり彼はデキない王様のための政治ハウツー本として『君主論』を執筆したのだ。

ちなみに彼の「愛されるよりも、恐れられたいマジで」という名言は、Kinki kidsのヒット曲の元ネタとして知られている。

【11人目】
ボダン。マキャベリが死んだ後生まれた人。

彼が生まれた頃、中世欧州は宗教内乱の嵐だった。このため彼は、社会秩序をもたらすためには宗教的権威よりも政治的権威(王)の方が優越するという『主権国家論』を唱えた。彼が生まれる約1000年前に、アウグスティヌスが「国家なんてものはしょせん強盗だ。キリスト教こそが社会を支配する正当性を持つ」と主張したことを思い出してほしい。

国家は宗教より法律よりも強い。ボダンは国家に絶対的な力を与えた。

【12人目】
ホッブズ。17世紀英国の政治哲学者。

当時のイギリスは王権と議会が危ういバランスで対峙していたが、世界最強のスペイン艦隊に攻め込まれる母国を見た彼は「国内で喧嘩してる暇とちゃうで」と考え、王に権力が集中する政治理論を構築した。君主の権力が強かった大陸と違って当時のイギリスは議会勢力が既に一定の権力を有していたから、彼の思想は革命思想だったのだ。のちの社会契約論であるが、詳細はルソーの項に譲る。

彼の社会契約論は、議会と王が持ち合う分割的な権力を王へ集中させるものだった。生涯独身だった。

【13人目】
ルソー。18世紀仏国の政治哲学者。宗教支配の強い時代、「世界と国家なんて神がつくったんやろ」くらいにのほほんと考えられていたが、ホッブズは「国家は市民間の契約によってつくられた。人工物だ」と唱えた。

そしてその支配者は別に王様でええやろ理論をつくり上げたのだが、ルソーは「国家の支配者は市民その人でないとおかしいやろ」と説いた。

キケロが共和政(王がいない政治制度)の美点を説いてから1700年が経っていることに注目してほしい。人類は1700年経って共和政を『思い出した』のだ(共和政を目指す国家のことを『共和国(リパブリック)』といい、共和政を尊ぶ政治精神のことを『共和主義(リパブリカニズム)』という)。

彼の社会契約論は権力を王から市民へ移転させるものだった。この頃から権力の主役が王、議会(政党)、市民の間を頻繁に行ったり来たりするようになる。

【14人目】
ロック。17世紀の英国紳士。ホッブズとルソーの間の時期に生きた。彼は同じく英国紳士(だが生涯独身の)ホッブズ的な王権理解を「抵抗権」という概念を軸にして批判した。

王権の絶対的な権威づけを認めたホッブズに対し「国家が社会契約によってつくられた人工物なら、確かに王様が治めても議会が治めてもええんやけども、市民に不利な政治をしたら即BANしまっせ」というのがロックの主張だ。

この点、統治者は市民であるべきだというルソーの考えとは異なる。ゆえにホッブズ、ロック、ルソーの三人は社会契約論三兄弟といわれる。のちにみんなの歌がこれを表象し、だんご三兄弟という国民歌をつくったことは国家機密である。

愚王を即BANするとどんな良いことがあるのか? ロックはそれを『自然法と所有権』という観点から説明した。

「オオカミが獲物を狙うとき、獲物はまだオオカミのものではない。しかしオオカミが狩るという労働をした結果、獲物はそのオオカミの所有物となった」というのがロックの主張だ。

「人間が社会化される前の自然状態の間、労働が所有権を形成した。そして自然は神がつくったものだから、その摂理(自然法)は当然神聖な正当性を持つ。従って王が市民の労働によって形成された固有財産を侵害することは罰当たりだ。即BAN案件やぞ」。

ロックは王様のジャイアニズムを論破した。この論破王のおかげで、現代に生きるわたしたちは安心して貯金をすることができている。3969(サンキューロック)。

【15人目】
ヘーゲル。19世紀最凶のドイツ哲学者。

彼の政治哲学はフランス革命の反省にあった。市民が革命を起こした結果、恐怖政治の嵐が吹き荒れた。「やっぱり素人には政治を任せられへん」。そう考えた彼は、市民が主役の『市民社会』と市民社会を統治する『国家』はまた別物だと考えて、「やはり国家はプロ(=王)が統治するべきだ」と唱えた。

しかし彼は手放しで王の支配権を許容したわけではない。立憲君主制といって、王といえども法律によって権力の制約を受ける政治体制を理想とした。ヘーゲルによって国家が市民社会の上位概念として位置づけられるようになり、今日的な強大な権力を持つ国家装置が生まれるようになった。

【16人目】
マルクス。19世紀ドイツの知の巨人。

19世紀の西洋は産業革命を経験し、都市のスラム化が社会問題化。今まで15人の政治哲学者を紹介してきたが、先輩たちが構想した社会って…結局ダメやん! と一念発起し革命を夢見るようになる。

彼はこれまでの政治哲学が「階級」と「富の偏り」の問題を解決しようとせず、市民(=労働者)が疎外されているという社会構造を批判した。

マルクス「革命の時間だ! 万国の労働者よ、団結せよ!」🥳

【最後に】
以上で紹介終了になります。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

それぞれの哲学者が何に問題意識を感じ、何を考え、そして次の哲学者が何を考えたのか。
そしてわたしたちの社会は、そうした先達の長い長いバトンリレーの上に成り立っています。

わたしたちの社会は当たり前に構想されたものではありません。誰かがそうである方がよいと考え、そしてそのようになったのです。

なぜそうなったのか、いつからそうなったのか。本稿ではその歴史を一緒に辿ることで、読者のみなさんが政治とは何かについてご興味を持っていただくきっかけになれば嬉しく思います。

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