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ピカソ、か、山田かまち、か。

例えばピカソのような、

ネームバリューが確立されたからこそ
大衆が天才と評価しているような芸術家がいる。

ピカソという名前を伏せて作品を公開すれば、
これは俺でも描けるだろって、
言う人が続出するであろう、そんな世界観。

小さい頃から
並はずれた絵の才能を発揮したピカソは、

その果てに何を見て、
あのような作風に至ったのだろうか。


小さい頃、
お父さんの書斎にあった、山田かまちの詩。
わずか17歳で生涯を終えた彼。

子供の時によく読んでいた文章を、
34歳になった今もう一度読み返して
頭を殴られたような衝撃を受けている。


山田かまちは、

みんながすごいと言っているから私も評価する、

みたいな外部圧力がなくとも、
満場一致で認められる天才なんじゃないかって
ふと思った。

ピカソが天才ではない、という訳でなく。


天性の才能のある芸術家は、
その独自性ゆえに
万人が理解できるものではないんだと思った。

ピカソが良い例で。

そして山田かまちは、
万人に理解されるタイプの天才だったんじゃないかと
そう思った。


どちらが優れているとかいう話ではない。

ただ、
人が価値を置く基準って、
外部評価に委ねられることがほとんどだよねって。


とにかく私は、
山田かまちに会ってみたかった。


彼が17歳でこの世を去ってから、
10年後に私はこの世界にやって来た。


その時差を超えて、
かまちの世界に触れられるのだから、

言葉とは何て偉大でしょうか。

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