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またバイト辞めたってよ。

はい、また、バイトを辞めました。
今度は塾の講師。

4月から始まって、2ヶ月。

教えるのが上手くないこと
言葉や雰囲気で人を判断してしまうこと
恐怖を感じたら、ずっと踏みとどまってしまうこと

どれも自分の弱さでした。

ある日、「教えることができない」と伝えていたはずの教科を、
突然教えることになりました。
なんの前触れも、ありませんでした。

 無理だ。私が理解していないのに、教えるなんてとてもできない。

後から聞けば間違えての配置だったとこと。

その後も、その教科を教えるシフトを組まれていました。

 上司の間違いだったのではないの?
 また、「教えられない」恥ずかしさを感じなきゃいけないの?

疑問と弱さと失敗と…私の頭の中はどんどん困惑で埋まっていました。

シフトの入っている日に、外に出られなくなりました。仕事は、休んだ時の目が怖くて休めませんでした。
 大学に行けない、行ったら間違いなくバイトに行くことになる。もう午後か。やっぱり、バイトは行かなきゃ。

そんな中、母に、
 「お母さん、私バイト辞めたい。」
とやっとの思いで伝えると、、

 「だろうね、気づくの遅いよ〜😂今のアルバイト、効率悪いんじゃない?」

そう、優しく笑って、返してくれました。


 「辞めます。こんなに短い期間で申し訳ないですが、アクセスの悪さと体調が上手く回復しません。」

これだけのことを伝えるのに、ずっと心臓が痛かったことを覚えています。

本当に、怖くて、弱くて、緊張して。
自分の決意を伝えることができた時、すごく嬉しい思いをしました。

 やっと。解放、だよね。

講師としての2ヶ月間、たくさんの生徒たちと勉強をしてきました。
必死に知識を叩き込む姿に、その努力に、胸を打たれました。

それでも、
 神様の愛で愛せない
と難しさも覚えました。

ずっと、子どもと関わることを通して、献身したいと思っていました。
なのに、実は思っている以上に、みんなを愛することができないことを辛く、悲しく思いました。

 このままでは、今まで思い描いていた形で献身することはできないのかもしれない。
と不安は増しています。(知恵を求めています。教えてください。)

「辞めます」の言葉を口にしたときはあんなにも安心したのに、「辞めた」この日は不安だけが重く肩にのっしりと降りてきます。

さて、ここまで読んでいてお気づきでしょうか。
私は、働くこと がとても苦手なのです。
私が働くことに求めている環境とは何なのか。

[イザヤ書 41:17]

  苦しむ者や貧しい者が水を求めても
  それはなく、
  その舌は渇きで干からびる。
  わたし、主は彼らに答え、
  イスラエルの神は彼らを見捨てない。

聖書 新改訳2017

私の心を満たす、愛する主に身を委ねつつ。

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