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171.結局管理下にあることでしか世界は動かせないよねって思うこと

人は変えられないと言います。
まあ、人を変えることはできません。

どの瞬間においても、どんな場面であっても、人は自分で変わるしかなくて、結局誰にも変えることはできないのです。

ただ、変わりたいという気持ちがまず大事なんですが、その気持ちさえあれば、変えることはできなくても変わる手助けや協力はできるんじゃないか、とは思います。

相手がどう出ようと。
自分は自分のできることしかできなくて、自分がどうしようもないことに影響を受けていても仕方がないのです。

管理下にあることを見極める

自分にできることは、自分からの「働きかけ」です。ただそれだけです。

思ったり、言ったり。
伝えたり、表現したり。
聞いたり、考えたり。

その働きかけによって、相手がどう出るかはわかりません。
想定していたことと違う現象が起こることもあるでしょう。
思った通りに事が運ぶこともあるでしょう。

そこに一喜一憂していると、なかなか大変。
目の前の相手次第で自分が決まるようなものですからね。

自分の管理下にあることは何なのか。
何が自分にできることで、何が相手の反応であり領分なのか。

『嫌われる勇気』には「課題の分離」と書かれていました。

それは誰の課題なのか?
誰の責任の行動なのか?

まずはそこを見極めることが大切です。

小さな力かもしれないけど、管理下を広げて世界と人はを動かせる

管理下にないからといって、諦めていては物事何も前進しません。

それこそ、相手のあるがまま、世界の為すがままに自分が動かざるを得なくなります。

管理下にあることを最大限やって、目の前の人に影響を及ぼす。世界にほんの僅かな衝撃を与える。

僕もたくさんの方々の影響を受けてきました。
僕が勝手に受け取って、勝手に学ばせていただいて、勝手に変化しようとして、暗中模索で進んでいるわけです。

管理下にあることを本当に最大限、これ以上何もないというほどまでにやりきっていると、きっと周りに何か与えられることができるはず。

情熱かもしれない。
挑戦かもしれない。
何かを手放すことかもしれないし、願望の強さなのかもしれない。

そういった自分が未熟な何かを携えて、目の前の人や想い、世界に対して最大限管理下をやりきると、届くことがあるでしょう。

ほんの小さな力かもしれませんが。
人一人の影響なんて高が知れているかもしれませんが。

せめて手に届く人たちには、伝わったり、届いたり、与えたりしたい。

誰に頼まれたわけではないけれど。

それが僕の生き方なのだから。
そういうビジョンを掲げようとしているのだから。

自分の中の管理下に留まらず、ビジョンから来る管理下をやりきって、世の中に少しでも良い影響を与えられる人間でいます。

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