考え方のクセ

以前、人と話していた時のこと。

相手の話に対して意見を求められた時、私が「普通はこうなんじゃないかな?」と答えたら、「いや、あなたがどう思うか聞いてるんだけど。」と言われた。

え?私は話に対してちゃんと答えてるじゃん。私の答え方、何かおかしかった?

その時は、相手が不服に思う理由がよく分からなかった。

何がいけなかったのだろう………
それからしばらく考え、あることに気が付いた。

どうやら私は、

世間一般の常識(だと私が思っていること)

を基準に物事を考えているようだ。

誰かに何か意見を求められた時も、「私なりの常識」の範囲内でしか物事を考えられない、というクセがあるのだ。

この背景を考えた時に、思い当たる原因が3つあった。

・「組織の中の一員」としての存在を強く認識させる学校での教え
・「若者」と一括りにする周りの大人
・礼儀正しさや道徳心を強く説いてきた、真面目で保守的な両親

また それらを鵜呑みにし、失敗や批判を恐れ、自己主張をしてこなかった自分にも責任があるのだろう。


「〇〇は、話に芯がないと思うよ。」

これは大学時代のとある友人の言葉だ。
言われた当時は納得がいかず上手く飲み込めずにいたが、勇気を持って(おそらく)意見を言った友人に今はとても感謝している。

私は「普通の人」「常識的に」「世間一般的には」という大きな主語を用いることで、自分の発言に責任を持つことから逃げていた。

そして思考の柔軟性を履き違え、自分自身の意見や考えの軸を持っていなかったのだ。

状況に応じて、主語の大きさを使い分けられる柔軟な人になりたい。また将来子供ができたら、自分の発言に自信と責任を持てる人間になって欲しい。

と、私は思う。

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