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ハボタンがナタネになろうとしてる

 いつもの花壇を見に行ったら、ナノハナだったハボタンが、実をはぐくんでいた。
 よく見ると、サヤの中につぶつぶが見えた。
 季節は移ったけど、パンジーは全開、ナタネはというと、きれいな花壇に白を添えている。

花壇のハボタン
ハボタン、実る!

 がんばれー

ハボタン

 ほらね、ちゃんとハボタン。でもま、いい季節に伸び伸びと育った脇芽は、どっちかっていうと、ブロッコリーとかカリフラワーの苗に似ている。

 ナタネは、江戸時代にも商品作物であり(油が取れる)、肥厚作物であり(畑に鋤こんじゃう)、若い芽葉はおつゆの実になったりした、とても暮らしにやさしい作物だったようです。

 そうそう、江戸時代といえば、先週、地域史できいた話ですが・・・
 幕末から明治にかけてヨーロッパから蚕の卵(養蚕紙)のを売ってくれ、といわれ、大量の卵を輸出(例えば1874年・131万枚)している。
 当時、ヨーロッパの蚕は病気のせいでほぼ全滅、喉から手が出る状態。 

1861(文久元)年頃から蚕種の密輸が始まり 1864(元治元)年には 45 万枚にも及んでしまった

跡見学園女子大学ホームページ

 何時のときかは不明だが、養蚕紙の中に偽物を紛れ込ませた、その手口の一つが、ナタネを和紙に貼り付けるというもので、ご丁寧に着色したものもあったという。すぐ発覚(科学技術があるからね!)、ヨーロッパ全土?を巻き込む不買運動に発展したという。
 後、ヨーロッパの産地が回復(予防方法確立)したため、1880年頃には養蚕紙の輸出自体が下火になり、次は生糸を輸出するようになっていく。

 地域史の勉強会では、もう~~詐欺なんて情けない・・・という結論になった。「調べたくないよねこんなことなら!」
 ・・・確かに。ナタネは悪くないのに。
 オチが暗くてすみません。でも、8時になっちゃったから出かけます

 今日が良い日でありますように

 

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