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剣客商売第13巻 第2話 波紋

 大治郎は、朝も暗いうちに我が家を出て、江戸の郊外の碑文谷・法華寺に向った。往復八里の道。見舞いの品を背負っている。
 法華寺の裏庭の小屋に、老剣客・藤野玉右衛門が病臥中なのだ。

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 切絵図はお借りしています。出典:国会図書館デジタルコレクション
       ではでは。机上ツアーにお付き合いいただけますよう。


地図(画像)

地図1 南千住から目黒区の外れへ・・1日目

 大治郎は、早朝に見舞いの品を背負って、碑文谷へ。往復八里。
 お見舞い、お寺へ挨拶等して、午後一時に碑文谷の法華寺を出立。

地図2 目黒不動へ行く途中に襲われる・・1日目の午後

 碑文谷の法華寺から帰る途中、おはると三冬が好物の黒飴を買おうと思いついて、途中から目黒不動への道へ。×の場所で襲われる。

地図3 曲者1 関山百太郎・・1日目の夜

 (黒ルート)④目黒不動近くの藪で大治郎を襲った浪人二人。覆面ごと顔を斬られた関山百太郎。滞留先は、岩戸の繁蔵の兄⑤桶屋の七助宅の2階だった。七助の女房は手当てし、酒の相手も。
 我慢の限界に来ていた七助は、百太郎の腹に出刃包丁を刺して逃亡(青ルート)<東海道へ出、⑯四谷の弟の家へ>

地図4 曲者2 井上権之助 ・・1日目+2日目

 (黒ルート)④目黒不動の近くで襲って失敗した後、まっすぐ⑬屋敷へ。
 次の日、関山の様子を見に⑥品川宿へ行くも死亡確認。⑦蕎麦屋に入る。
 ここを岩戸の繁蔵に見られた(繁蔵の腕を斬ったヤツ)。繁蔵は⑬愛宕下の旗本屋敷・岡部阿波守の御屋敷に入ったのを確認。
 権之助は上役を斬って逃走中の犯人でもあった。
 繁蔵は、いったん⑯に帰り兄の様子を見、すぐ、⑫傘徳に会いに行く。
 徳次郎は⑭弥七へ報告。弥七は、事態の深刻さから堀同心にお伺いを立てることにした。・・・逮捕の方向。

地図5 翌日・・3日目

 大治郎・・・自宅にいる。夕方に岩井戸の前で汗を流す。
 小兵衛・・・早朝・弥七宅へ。弥七が戻らないので、昼に帰宅。帰りしな、大治郎宅の周辺を見まわる(ちょうど間に合う)
 ➀傘屋の徳次郎と岩戸の繁蔵・・・待合せて愛宕下へ(到着前に井上ら3人は、出てしまっている)夕方まで見張るも、あきらめて弥七宅へ
 弥七・・・堀同心に報告すると、同心は評定所と連絡を取り「待て」と裁可。弥七は午後まで指示を待って(武蔵屋にいなかった)が、愛宕下へ向う(ルート➀とほぼ同じ)。
 犯人・・・早朝から大治郎宅の見張りへ。昼は稽古で数人が道場に来ているため、夕方~夜に襲う予定。だったが、水浴びしているのを見て襲!
 七助・・・岩戸の繁蔵に置手紙して駿府への旅を。

地図6 原因となった事件

 黒ルート:殿様は、高田の馬場で乗馬訓練。次の日に騎馬にて帰宅途中、野菜を負った老爺を打ち据えたことから、大治郎が成敗。
 赤ルート:大治郎。⑰横山正元宅からの帰途、この道へ。

地図データ

 地図のデータ・・本文の書き抜きと参考にした地図を掲載。
 本文抜書中の『51)』等は、文庫本のページ数です。

襲撃(地図1・2)

55)秋山大治郎は、朝も暗いうちに➀我家を出て、③江戸の郊外の碑文谷の法華寺へ。往復八里。
 法華寺の裏庭の小屋に、老剣客・藤野玉右衛門が病臥中なのだ。
 ②小兵衛も気にして見舞いの品を大治郎に託し、大治郎自身の見舞いの品もあわせ、二人分の見舞の品を背負っている。
56)九ツ半(午後一時)帰途についた。
 途中、④〔桐屋〕の黒飴を買って帰ろうとおもいつき、④目黒不動へ近道した。
57)弓鳴りの音と、同時に身を沈めた大治郎、曲者と斬り合う(覆面ごと、顔を斬る)。
58)小道の彼方で通りかかった百姓の叫び声。曲者は走り去った。
 <弓を放った者も逃げ去る>・・・曲者2
59)②鐘ヶ淵に立ち寄った大治郎
「逃げ足の速いのには、おどろきました」

曲者の正体・関山百太郎(地図3)

63)そのころ・・・。
 秋山大治郎に顔を斬られた曲者も酒をのんでいた。
 ⑤北品川宿と南品川宿の境をながれる目黒川に沿って、浜横丁とよばれる道を東へ入り、⑥北品川の旅籠屋〔富士田屋〕の裏手にあたるところの桶屋であった。

 曲者の名を、関山百太郎という。
 階下では、この家のあるじの桶屋の七助がいた。(妻を寝取られた)七助は酔って寝ている関山の腹に出刃包丁を突き刺した。七助は一目散に⑦東海道へ逃げた。関山は七助を追い、階段を転げ落ちて、絶命。

七助は繁蔵の家へ

68)「おい、繁蔵、おい、開けてくれ」
 岩戸の繁蔵は、千駄ヶ谷の松平肥前守・下屋敷の、中間部屋の博奕場から帰ったばかり。⑧四谷の仲町の「貧乏横丁」とよばれている棟割長屋に住んでいる。
※繁蔵は、小兵衛ファミリーの一人(弥七の手下・傘屋の徳次郎の密偵)
70)「匿ってくれるか」
「当たり前だよ」
 桶屋の七助は、繁蔵にとって、四っ年上の「腹違いの兄」ということになっている。
71)父親が死んでから、兄の七助といっしょに⑨板橋で暮した。
72)七助は桶屋を継ぎ、24歳の時に女房をもらった。
 繁蔵は博奕が原因で借金・家出。土地の無頼は、借金を七助へ背負わせ、七助夫婦は⑨板橋から夜逃げした。一時は駿府城下の桶屋へ住み込みではたらいた。女房はこのとき病死した。
73)七助は⑥品川宿で店をもった。
 一昨年に七助と繁蔵は再会した。
 七助が⑩千住の宿場女郎・お米を見受けして『女房にした』と聞かされたのは、去年の春。
74)今年の正月、関山を二階へ引っ張り込んだ。
76)繁蔵は品川へ様子を見に行った。宿役人が調べていた。
77)いったん、東海道へ出た。思案しながら、⑪北品川二丁目の西側にある〔信濃屋〕という蕎麦屋へ入った。

曲者2は、繁蔵の仇敵だった(地図4)井上権之助

 そこで、繁蔵は探していた男を見つけた。
 あわてて繁蔵は外へ飛び出し、街道の向う側の、浜道とよばれている横丁へ身を隠した。
 繁蔵が、貧乏横丁の長屋へ帰ったのは日が暮れてからで、また、外へ出て行った。
80)繁蔵が訪ねて行った先は、⑫傘屋の徳次郎の家である。
「井上権之助を見つけました」
「後を尾けましたら、⑬愛宕下の旗本屋敷・岡部阿波守の御屋敷でした」

81)以前、井上権之助は⑭四谷御門外に屋敷をかまえる千五百石の旗本・織田甲斐の家来であった。
 大崎用人を斬殺し、五十両奪って逃走。
 四谷の弥七は、亡父の跡を継いで四年目のこと。

82)それから一年ほどして、岩戸の繁蔵が⑮千駄ヶ谷八幡宮・裏手の百姓家でひらかれた博奕場で暴れ出したところ、いきなり殴られ、つかみかかるとその腕をスパッと切り落とした。

86)傘徳と繁蔵が愛宕下へあらわれた少し前に、権之助はどこかに立ち去っていた。

88)昨日、小兵衛はおはるといっしょに、橋場で小太郎を遊ばせていた。
 今日は〔駕籠駒〕に寄り、駕籠で弥七のところへ。

89)夕暮時、大治郎は石井戸の前で水を浴び、汗をながしていた。
 手ぬぐいで拭きはじめたとき。
 井上権之助が半弓に番えた矢を引き搾った。
90)その傍らに、これも覆面の二人の侍。

 ちょうどそのころ・・・。
91)傘徳と繁蔵は⑯四谷へ向った。
 二人が四谷へ向うころ、桶屋の七助は「駿府」へ向った。
 傘徳と繁蔵とは、一足違いで、愛宕下を見に来た弥七は、ひとまわりして我家へ。

93)大治郎の道場には、小兵衛が来ていた・・・秋山親子と三冬で、権之助と二人の侍を捕らえる。

96)四谷の弥七が隠宅へ来たのは翌朝であった。
 小兵衛と弥七はおはるの舟で、大治郎宅へ。
 そこには3人の曲者がとらわれていた(具体的には、丸太を抱くようにして手足を括られていた)。
 一人は井上権之助(弥七が追っていた手配人)。弥七は大治郎襲撃のことを知らなかったので目を白黒。

 後日、弥七は傘屋の徳次郎と岩戸の繁蔵を連れて隠宅へ来る。
 (岩戸の繁蔵は百太郎を殺した犯人が七助だということを話していない)

原因

98)大治郎が、⑰牛込の早稲田町に、横山正元という中年の町医者を訪ねた。
 その帰り、馬上の侍が、老爺を「邪魔な!」と打ち据えた。我慢できなくなった大治郎は「待て!!」。
 侍は叩き伏せられ、前に倒れて気を失った。
 この侍が、③愛宕下・阿部阿波守光俊

104)その話(弥七が傘徳と繁蔵を連れて来た際)の最中、野菜売りの老婆がおはると話していた。めったに打ち明け話をすることはないのだが・・・繁蔵の母であるらしい。誰にも知られないまま、挨拶して帰って行った。

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