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コロナ禍が一段落したけど

 コロナ禍は一段落したけれど、今も町に残るいくつか。
 マスクもそう。
 炎天下、マスクの中は汗みどろになるから、散歩中は外しているけど、やっぱり、駅・デパートとか病院の待合室では必須。もしかしたら、感染源になるかもしれない。

 こんなふうに、大きな災いが降りかかると、何かしら傷が残る。消毒液が傷とは思わないか・・・変化が、残る。そうして私たちは族、と言うか、集団(DNAか?)を守ってきたんだと思う。

 書いていて、自分が何に引っかかったか、繋がった。
 先週の話し合いのことだった。

 地域史で江戸時代の飢饉のレポートが出た。
 その人は、飢饉の結果、運搬を担う牛馬が死んでしまったので、塩などが周辺の村に届かなくなった・・・という内容をまとめてらした。
 それからは雑談?の時間。妄想もアリ。
 飢饉の度に「〇〇改革」がされている。改革だけを抜き出して勉強していたけれど、飢饉(災害)とセットにしてみると、一概に「三代将軍吉宗の時代に戻ろうとして(失敗)」とは言えない気がしてきた。
 例えば、松平定信。徹底して、災害備蓄を唱え、強制した。それを忠実に守った人は、次の飢饉は前より長かったが死者が減った。災害は、人がいて災害なんだと学んだ一瞬。

 コロナ禍から何を学ぶかも大事な視点かも?と思ったりしたのだった。
 私は何を学んだんだろう?やっぱり消毒かな。案外、そうした細かいことが感染予防になったりするって。コロナで消毒・マスクはインフルエンザを減らしたそうだ。家に帰ったら手を洗うとか嗽とか、今は自然にやっているけど、それも大正時代の公衆衛生の成果らしい。
 江戸時代にも疫病はあって、インフルエンザも疫痢もコロリもいまが最初じゃなかったとのこと。それと、ヨーロッパとの交流(日英修好条約とかのときの話)でも、ヨーロッパの人が免疫のある病気で、バタバタと倒れたらしい。未知の物は恐ろしい。

 さっきの話に戻ろう・・・脱線多すぎてすみません・・・
 無人島で嵐があっても、自然の営みで終わるし、それによって海が掻きまわされて栄養がひろがる、とかの研究もある。・・・確かに。

 また、災害は、周辺に被害が拡大する。江戸の町中ではほとんど食料不足は起こらなかった。飢饉でいち早く逃げ出した人は江戸やそのほかの都会へ。みんな助かった。幕府は危機感を感じて、村へ帰そうとしたけど、うまくいかない。村へ帰った人々も、畑は放棄するとすぐ荒れてしまうから、営農がうまくいかなくなっているという。まして、逃げた人は、畑を借りて耕していたのだから、執着もない。また、江戸に舞い戻る。今度は無宿人となる。そして犯罪がふえ、江戸所払いになる。
 ・・・じわじわと近くの農村から犯罪がひろがっていく。

 本を読むと、知らない話がでてきて、自分の町をいかに知らないかを知ることになった。昔は口伝だったから、みんな知っていたのだろうな。
 もしくは、みんなで忘れることにしたのかな。

 今日も暑いから、歩くのはやめ。
 う~~~ん。
 みなさまはどうしていらっしゃいますか?

 

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