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江戸時代の街道

 江戸時代の主要な道について調べてみた。
 「剣客商売」では、小兵衛が若いころ全国を武者修行している。関所もあって、あまり往来はないような印象なのにどういうことだろうか?など、いろいろ疑問が・・・。
◎<入男と出女>は歴史の授業で聞いたし。◎逃散は許されなかったはず。←「逃散」は荘園時代の用語だった。抗議して家にこもるとか、仲間と連合して<山に入る>とか。逃散した農民(一揆となると別)に厳しい罰は課されなかったようで、むしろ、領主が罰せられたらしい。ふうん。←江戸時代、貧しい農民は都市に流入して、貧しい暮らしをする層「貧民、貧乏人、無宿?」があったらしい。この『流入』は移動があった(活発)ということかも?◎寺で「人別帖」を作っていた←『宗門人別改帳』っていうそうだ。
 以上、移動が難しかったんじゃないかという根拠です↑
 〔だけど〕
 江戸時代は、観光旅行(パック旅行)が盛んだったとブラタモリでやっていた!伊勢講、富士講。その他いろいろ。近所の神社の石碑に残っているぞ!
 江戸の人は観光が好きで秩父までよく行っていたらしい。
 参勤交代できた武士は、仕事もなく、日記によれば、毎日観光(有名な寺社とか桜の名所とか、有名人の屋敷とか)していたらしい。ふうん。
 飛脚があった。馬代場?
 以上、移動が活発だったという印象を書いてみました↑

さて、街道です。
 ★街道と宿場、川の渡しとか・・・橋とかトンネルとかについて知りたいです。

 江戸時代の街道:五街道(ごかいどう)
 <江戸・日本橋を起点>
 1601年(慶長6年)に徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶ5つの街道を整備し始め、2代将軍秀忠の代になって基幹街道に定められた。
 <江戸幕府が定めた五つの陸上幹線道>=江戸幕府が整備。
 東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道

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