剣客商売第12巻 第7話 罪ほろぼし
永井十太夫は「辻斬り」だった。お家は断絶となった。
五年後、その子は用心棒として生きていた。
偶然、命を救った小兵衛。名乗り合うや、息・源太郎は
「その節は、まことにもって、ご迷惑をおかけいたしました。私は、永井十太夫の倅・源太郎でございます」
と、折り目正しい挨拶を返した。
今まで作ったものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
切絵図お借りしています:出典:国会図書館デジタルコレクション
ではでは。机上ツアーにお付き合いいただけますよう。
地図(画像)
地図1 永井源太郎、小兵衛と会う。
②若宮村(現在は荒川内。当時は谷地:沼湖が点在する土地だった)
★青ルート:源太郎は、②百姓家から、南(日本橋)に向い、すごいスピードで両国橋方向へ歩いてくる。<オレンジの丸は寺嶋村>
★赤ルート:小兵衛は、③小川宗哲宅からの帰宅。④でおはるにおみやを買ってそのまま北上(堤沿いではなく、内陸の道へ)。➀小兵衛隠宅
だいたい⑤くらいの位置で出会ったと思われる。
この後、永井は本所へ(青ルート点線)、小兵衛は自宅へ向う(赤ルート点線)。
この事件の分岐点。
◆永井は自分が襲われたと思っていない。
◆小兵衛は不自然なものを感じ、捜査開始。
地図2 源太郎(5年前に屋敷を追われ・・)
⑮神田駿河台の屋敷(5年前まで)⇒⑬母の実家、表六番町の屋敷(1年)⇒⑭弓の師匠宅(1年)。師匠の死⇒②おふくの家の裏の納屋⇒⑥啓養堂・・・⇒おふくと所帯
地図3 ⑥啓養堂とお米の悪だくみ。
「278)⑥日本橋・本町四丁目〔啓養堂・小西彦兵衛〕という薬種問屋」
1)黒ルート:お米はいつも今川橋を渡ったところの土手で町人(実は盗っ人)と打ち合わせしていた。
2)青ルート:押し込みの日が近づき、町人・浪人二人は白壁町の宿屋〔丹波屋〕に泊っている。お米は頻繁に通うことになる。
地図4 砂村の八幡宮
★青ルート:源太郎は、3日に一度くらいの頻度で、弓の稽古に行く。場所は⑫砂村の八幡宮。ある日、彼は弓を抱えて、練習場へ向う。
1)向いの家で見張っていた、小兵衛・弥七・徳次郎が尾行(青同様)
2)お米が⑩白壁町の宿屋へ、報告に行く(町人と二人の浪人が向かう)
※黒ルート:⑥啓養堂⇒⑩宿屋は、お米の歩いた道
地図5 源太郎が小兵衛にチョイスした<おみや>
「288)早くも永井源太郎は、➀鐘ヶ淵の隠宅に到着していた。
途中、⑯浅草・並木の〔成田屋〕という菓子舗へ立ち寄り、名物の〔団十郎煎餅〕」
・・さすが、池波先生です。おぼっちゃまのチョイスに、思わずニコニコしてしまいました。おはるさんが喜びそうです!!!
地図データ
地図のデータ(ここでは、小説・本文)を掲載させていただいています。
本文抜書の『51)』等は、文庫本のページ数です。
永井源太郎
269)➀小兵衛の隠宅からも程近い、②若宮村の雑木林の中の小さな百姓家。
270)永井源太郎が、おふくに見送られて、②百姓家を出て行った。このとき、男が二人、木蔭から見ていた。
「あれが、その用心棒か」(男は金で殺しを請け負った)
271)秋山小兵衛は、③小川宗哲を訪れ、碁を囲んでいた。ーーー急患。
272)④小梅の常泉寺・門前の茶店で売っている蓬餅を買い求めた(おはるの好物)
⑤寺嶋村のあたりの雑木林の中を、我が家へ急いだ。
夕闇が濃い。
若い浪人がやって来る。・・・若い浪人の背後の木立から総髪の男があらわれ、ゆっくりと大刀を引き抜いた。
273)見なければともかく、目に入ってしまった小兵衛、木立から走り出、
「お気をつけなされ」
と、若い男に声をかけておいて、総髪の男を叱咤した。男は暗殺をあきらめて、逃げにかかった。
274)「お助けいただき、かたじけのう存じます。私は、永井源太郎と申しまする」
「秋山小兵衛でござる」
「は!その節はまことにもって、ご迷惑をおかけいたしました。私は、永井十太夫の倅・源太郎でございます」
276)「あなたがのう・・・」
「お上のお情けを持ちまして、これまで生きつづけてまいりました。まことにご迷惑を・・・」
277)「さる商家の、金蔵を警護しております」
一礼して立ちあがった永井源太郎は、本所の方へ駆け去って行く。
啓養堂
278)⑥日本橋・本町四丁目〔啓養堂・小西彦兵衛〕という薬種問屋がある。
279)この⑥啓養堂の店先の傍らにある通用口から永井源太郎が中へ入って行った。
お取り潰しの後
283)母の実家は、⑬表六番町に屋敷を構える七百石の旗本・服部金之助(源太郎の母の兄)であったが、母亡きのちは、源太郎が居たたまれぬようなあつかいをした。
永井源太郎がたよったところは、師の井沢弥平太のところであった。何の師匠かというと、井沢は源太郎に弓術をおしえていたのだ。
井沢もいまは病歿してしまったが、当時は深川の外れの⑭長徳寺(切絵図になし)に住み、⑮神田駿河台の永井屋敷まで、稽古に来てくれた。
井沢弥平太は、出奔してきた永井源太郎をよろこんで迎え入れてくれた。
284)これが四年前のことで、それから一年後に病歿してしまった。
井沢には、弁蔵という五十男の下僕がいて、➀若宮村に連れて行ってくれた。
「ひとまず、私の姪のところへ落ち着きなさるがいい」
285)弁蔵は、⑥啓養堂の主人が根岸に所有している寮の番人となり、そのつてで源太郎は用心棒となったのである。
お米
286)翌日、源太郎は昼前に⑥啓養堂を出て、➀鐘ヶ淵へ向った。
(秋山先生にお礼を・・・)
286)それから半刻後、⑥啓養堂の通用口からお米という女中があらわれた。
お米は言いつけられた買い物をすませると急ぎ足になった。⑦神田の今川橋をわたり、土手へあがっていく。この土手は⑧「八丁堤」とよばれ、幕府が火除けのために築いたものだ。
お米へ声をかけ、あらわれたのは、昨日の町人(清五郎)だ。
鐘ヶ淵へ
そのころ・・・。
288)早くも永井源太郎は、➀鐘ヶ淵の隠宅に到着していた。
途中、⑯浅草・並木の〔成田屋〕という菓子舗へ立ち寄り、名物の〔団十郎煎餅〕。
小兵衛は、四谷の弥七と傘屋の徳次郎を相手に酒をのんでいた。
永井源太郎は、間もなく辞去した(徳が尾行)、おふくの見送りで帰途。
予感(張りこみ)
292)⑥薬種問屋・啓養堂がある本町四丁目には、表具師〔伊藤宗恵〕宅のような小ぢんまりとした家も少なくない。←弥七と徳次郎の見張り場
292)⑨鉄炮町に住む御用聞きの紋蔵の協力あり。
295)「出て来ましたぜ、永井さんが・・・」
296)小兵衛・弥七・徳次郎の三人が三方に別れ尾行。
そのすぐあとで、例のお米が通用口から現れ、⑦今川橋の方へ立ち去った。
永井源太郎は、⑦今川橋とは反対の東へ向って歩みつつあった。
お米は、⑦今川橋を渡り、⑩神田の白壁町(現・東京都千代田区神田鍛冶町の内)にある〔丹波屋〕という宿屋へ入って行った。一昨日から、清五郎と浪人二人がお米と連絡(つなぎ)をとりはじめていたのである。
「そうか、弓の稽古に出て行ったか」
浪人・酒井義五郎が大刀を掴み「よし行こう」と言った。
砂村の八幡宮
297)お米のさりげない問いに、源太郎は答えたものだ。
「弓の練習は、深川外れの、⑫砂村の八幡宮の近くでやっています」
⑫砂村の八幡宮というのは、⑪深川の富岡八幡宮から東へ十二町ほど行ったところの海浜にあり、小じんまりとした社殿がある。
298)永井源太郎は、大刀を腰から外して草の上に置き、手製の的を手にした。
これを、秋山小兵衛と四谷の弥七が西側の木蔭から見守っている。
299)酒井浪人と清五郎、それに別の浪人がそっと木立へ踏み込んで来たのはこのとき。木蔭から草地へと走り出、背に猛然と太刀を打ち込んだ。
源太郎もおどろいたろうが、小兵衛と弥七もおどろいた。
「人殺し」
小兵衛は叫んだ(気合声)。
>>斬り合い<<
酒井浪人は木立を抜け、矢竹が密集している小道を北へ・・・彼方の別の木立へ走りこもうとしていた。源太郎の矢が弦をはなれ、酒井の尻へ突き刺さった。
★酒井浪人が大刀をはなし、がっくりと肩を落とした。
後日談
半年後、弥七がやって来て、その後の報告「大仕掛けの押し込みでした」
(小兵衛がほろっと、永井十太夫のことを思うと、源太郎に罪ほろぼしができた気がするよ…)
永井源太郎があらわれ
「⑥啓養堂へご恩を返すことができましてございます」
「いくらかは父の罪ほろぼしができた気がいたします」
隠れるようにしていたおふくを手招きして呼び、
「このたび、妻を迎えましたので、お礼かたがた、御挨拶にまかり出ました」
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