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【日記】もっと動画を撮っておけばよかった。

(ちょっと気持ちが高まったので書き残しておきます、乱文ですみません。)


5月6日、ゴールデンウィーク最終夜。明け方まで20代の頃の写真/動画を見返すっていうあるあるをやらかしてしまった。

20代のわたしは若くて笑顔ではつらつとしていて、当時は当時なりの悩みや憤りやコンプレックスに苛まれていたはずではあるけれど、今の自分からしたら眩しくて仕方がなかった。

(過去は、若かりし時は常に美化されるものですね。)

そこで思ったこと。
もっと動画を撮っておけばよかったいう後悔。

写真は月2000枚とか3000枚とか撮っていたけれど、動画がない。

写真の私は常に正面のキメ顔で、こちらを向いている。大体どれも同じような角度で、ピースしてる。

極たまに、大学の友人と行った旅行などでの動画が見つかる。再生する。

その場の空気感が蘇る。

会話のノリ、同一人物だと認識できるけど確実に今とは違う声、仕草、背景の音。画質は荒いけど、その場にいるかのように当時のわたしたちを感じることができた。

いくら綺麗に写真を撮ったって、セルフィーを撮ったって、動画が閉じ込める情報量に勝るものはない。

過去のわたしたちにはもう会えない。

いま31歳だけど、たとえば20歳や25歳の時の自分。

当時の自分が考えて行動したからこそ今があるのはわかっているけれど、その記憶はずいぶん曖昧で、容姿も考え方も環境も変わったし、細胞だって入れ替わってる。

確かに”いま”だった瞬間はあっという間にうち流されて、もうここにはない。

当時わたしたちが何を考えて、どんな風に会話して、時を過ごしたか。

記憶をたどれば過去の自分に会いに行けるけど、どうも夢の中の記憶みたいに浮かんでは沈み、年を重ねるほどにそのイメージは薄くて心もとなくなっていく。

この感情の正体

この感情に名前を付けるとしたら何だろう、とずっと考えていて、「寂しさ」なのかなあと思い至った。

無邪気で、愚かで、一生懸命な過去の自分はもうここにはいない。
当時の家族や友人だって、もうこの世にいない。

彼らにもう会えない寂しさ。記憶は地層みたいに埋れて、遠く小さくなってく。

年々時間は加速して止まらない。30代の時間感覚と20代までの時間感覚は違うと聞いていたけれど、まさにその通りだ。

どんどん過去が遠く淡くなっていく。寂しい。

死ぬのが怖くて寂しい。

人は死んでも誰かの心の中に生き続ける、みたいなことをよく言う。
逆に言えば、誰にも思い出されなくなった時、本当にその人が死んだということだ。

たとえば、わたしは祖父母を15年以上前に亡くしている。

彼らのことはもちろん覚えているけれど、その顔も匂いも肌触りも年々霞んでいく。

何を会話したかなんてほとんど覚えておらず、断片的な記憶のカケラしかなかったりする。

(記憶力が弱いというのもある)

写真も大して撮っていなかった。まして動画なんて。

ちょっとした家族写真ならあるけれど、もっと日常の瞬間とか、ちょっとした会話とか声とか動きとか、そういうのを残しておけばよかった。
そうすればもっと鮮明に思い出せたのに。ごめんね、おじいちゃんおばあちゃん。

きっと残しておかないと、自分も、親も、友人も、どんどん薄くなって消えてしまうんだろうなあ。

1K限界在宅生活は、自分や他者の存在を朧気にする。

この思いが強まったのは、都内1K限界在宅生活(既に2ヶ月経過)の影響も大きいと思っている。
日々の”解像度”が劇的に下がったのだ。

自分の写し鏡たる友達や同僚は、30センチ×20センチの、粗い二次元映像になってしまった。

行動範囲は95%狭いワンルーム。残りは家の周りの散歩。
生身で向き合うのはスーパーの店員さんだけ。

本当に世界が存在するのか、分からなくなってしまった。

それなのに、日々は滑るように過ぎていく。

お腹は空いて食費はかさむし、肌のハリは確実になくなっていくし、時間が過ぎて、つまりいまの自分からどんどん遠いところへ移動している、ということはわかる。

いまの自分や周囲の人と、物理的にだけでなく、感覚的にもどんどん会えなくなっていくことが、寂しい。死ぬのが怖い。

先人たちが例外なくこの寂しさや恐怖と対峙して、そしてこの世から消えて行ったなんて。

次に友達と会ったときは、旅行に行ったときは、セルフィーや景色の写真だけじゃなくて、動画を撮ろう。会話を残そう。いまここにいる自分を記録して、未来の自分が会いに来るときの手がかりにしよう。

そんなことを考えた2020年のゴールデンウィーク。

追記

①未来から見ると自己肯定感を持てるかもしれない。

当時(今も)、自分のことが嫌いだった。
けれど何年か経って振り返ると、無邪気で不器用で一生懸命な過去の自分を、こんなにも愛おしく感じられる。

今思うと、あんなに自己卑下することもなかったのになあ。もったいない。

でも逆に。
視点を「今」「周囲との比較」ではなく「未来の自分から見た自分」に移してみたら、自己肯定感を高めることができるのかもしれない。

どうすれば自己受容できるのか?について常日頃考えてるわたしにとって、大きな気づきになった。今の自分を大切にできるようにしたいなあ…

②早速友人とこの話をしていたら、こんなコメントが返ってきた。

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たしかになあ。

過去は、振り返り方によって何度も焼き直され、生まれ変わる。ずっと残しておけなくて、いつか消えてしまうものだからこそ、愛おしい。

先の見えない今も、味わって過ごしていきたいなあと思った。


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