2020.1.28

どんな風に愛していたかも、どんな風に愛されていたかも忘れてしまった。期待と落胆、安心と不安、高揚、困惑、満足、疑念、悲痛、48分間の電車に揺られながら全ての感情が混ざる匂いがした、音がした。混ざり合った複雑で声にならない全ての感情の狭間で、渦の中で、彼の声に何度も手を引かれた、溺れそうな体、吸い込まれていく感情ごと、彼にすくい上げられた。そんなことを繰り返し、時が流れていくうちに、愛の形すら認識できなくなっていた。何が正解かも分からなくなっていた。彼がどんな風で居てくれたら大事に、大事に愛せていたか、自分がどんな風で居たら強く、深く愛してもらえていたか、愛の形や重さは全て異なるというのに、そんな風に、変わってしまった。深く愛そうとすればするほど、愛は蝕まれ、脆くなった。それが何かすらも、忘れてしまった。

喉元まで上がってきた感情や想いを声にして、誰にも奪われることなく言葉にして、伝えることができていたら、先を見つめてばかりいた私は救われていただろうか。繰り返す後悔と疑念の中で、彼はこんな私の心も体も、引っ張り出してくれただろうか。荒んだ心も、弱さも汚れも取り払って、愛し、求めてくれただろうか。
たった一言さえあれば、壊れずにいれただろうか。迷わず今だけを見つめられていたら、消えてしまいそうな彼の温かい手や唇は、今もこの頬、体、心に触れ、私を繋ぎ止めることができていただろうか。

幾度なく、この先も、今はまだ名前も知らない誰かと恋をする。その事実には目を背け続けるのに、無意味に描き続ける空虚な未来には儚い期待を抱いて、必死に追いかけ続けた。目を逸らすことなく、掴み続けようとした。

恋は盲目で、残酷だ。それならば反対に、愛は綺麗で、美しいものだろうか?
どれだけ愛されても、愛し方の正解も、何も見つけられないのに、その答えを、誰かに押し付けてまで、欲しがる必要があったのだろうか?
何を後悔しているだろうか、何が理由だったのだろうか、脳内を駆け巡るいくつもの複雑な感情は、私の胸を内側から叩き、震わせ、頬に何滴もの水を伝わせた。何度も繰り返されたはずの言葉や想いがあるはずなのに、この瞬間、今流れ落ちるものだけが、私の全てで、求め続けてきた答えだと知った。それが悲痛で価値のないものだとは知らなかった。誰もいない左側、彼がくれた傘は私を覆いきれず、東京、この街で見た悲しいほど美しい雪は、思い出ごと溶かしてしまった。

2020年1月28日に綴った瞬間的な想いは、きっと今の私が抱く想いと変わらないんだろう。ずっと、ずっと、初めから、最初から、そうだったんだろうな。

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