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稽古は次の段階に

8/1にマスコミの方達に向けての稽古場公開と、荒通しがありました。
どっちも聞きなれない言葉でしょうから、説明しますね。


稽古場公開

とは、下の動画を見てもらえたら大体わかってもらえると思いますが。

たくさんのメディアの方が来ていただいて、記者会見からの、劇中の歌を抜粋という形で披露する会でした。

本番まで2週間前の時点での公開。
1ヶ月以上、みっちり稽古してきたとはいえ、ここから煮詰めたり体に馴染ませていく段階だろうに、役者さんたちには相当なプレッシャーがあったろうと想像します。
まあ、その辺は皆さんさすがといったところでした。
日比谷フェスでやった曲もありましたが、それとは違い、実際に劇の中と同じ形で歌われたので、随分と趣は違うと思います。

しかし・・・この映像が公開された以上、もう隠し通すことはできないことがあります。
ヴァグラントのキラーコンテンツ、平岡祐太の存在を。
ここまでのレポートでは、慎重に彼まわりの話題を避けてきましたが、この期に及んではもう難しそうです。映っちゃってますから。

いや、友達だからいって彼を茶化したいんじゃないんです。

たしかにプライベートで僕は、彼の愛すべきキャラクターを称して「残念な男前」と呼んだりしますが、役者としては彼もベテランですし、本役の健三郎では迫力のある演技を見せてくれますしね。

ではなぜ、彼の話題を避けてきたか。
それは本役以外で彼が出演するシーンがあって、そこでの彼がなんというか・・・。
そこをピックアップして、お客さんの目がそこに集まったりすると、なんというか・・・。
「愛すべき」がこぼれ落ちちゃってるというか・・・。

何度も言いますが、彼は真面目に、そして全力で舞台を務めてくれています。
そこは信じてください。←誰に向かって言ってるかのもはやよくわかりませんが。

彼の愛されるキャラクターが遺憾無く発揮されてしまう瞬間ばかりが注目されてもね、ちょっと思惑とは違うんで、レポートは慎重になります。

ちなみになんですが、上の映像の6:20くらいの平岡をあなたはどう表現しますか?

ちゃんとしたレポートに戻ります。

「ヴァグラント・シンフォニー」



映像の27:00くらいから始まる「ヴァグラント・シンフォニー」
これは音楽監督の小百合さんが構成してくれた曲です。
劇中で使われる重要な曲たちを再構築して、ヴァグラントの象徴みたいな曲に仕上がってます。
使っているメロディは確かに僕が作ったものが元になっていますが、これはミュージカルを深く理解している小百合さんの作品です。

こんなことってポップスではあまりやらないこと、というかやっても効果的ではないことです。
アポロとヒトリノ夜とミュージック・アワーを一つの曲に組み込んでも、だからなんだ、となります。ポップスの場合は、一曲単位で映えるように作ってありますから。
でもミュージカル曲の場合は、同じ世界、同じ時間の中で歌われているものなので、組み合わせた時に、さらに別の意味を持ったりする面白さがあるんでしょうね。
いや、僕もこの曲を聞いて知ったんですが。

そして、さらには。
曲の終わりくらいは、みんなが同時に自分の思いを歌い出すので、全部を聞き取れるかと言えば難しいところもあると思います。僕もそこは驚きました。
この辺の表現がミュージカル音楽とはなんぞや、みたいなものを表しているんだと思いますが、僕もまだ理解したとは言えないところです。

荒通し

これまでは「場」と呼ばれるシーン別に、何度も何度も巻き戻しなが行われていた稽古も、いよいよ通しです。(ちなみに場は20くらいあります)
2時間半に及ぶ本編を通すことなんて簡単ではなく、とにかく、多少荒くてもいいから、止めずにやってみましょう、という感じなんでしょうね。だから荒通し。

これって役者にとってはどんな感じなのかと、準備中の真梨佳さんと裕美子さんに聞いてみたら、「場」ごとのシーンより全然、脳みそを使うのだと教えてくれた。
舞台裏での移動や着替えとか、この辺の段取りも荒通しにうちだからか。
そして実際にその一端を僕は見ました!

舞台裏で、次の「場」用にキラキラした衣装に早着替えながらも、まだ舞台上で歌われている暗くて重い歌のカゲコをしている姿を。そのギャップたるや。
カゲコとは。影でのコーラス。その「場」での自分の出番は終わってもマイクはついてるから、必要ならコーラスに参加することだそうです。
ポップスとミュージカル、その現場のやり方の違いを比べながら色々なことを説明してきましたが、このカゲコは我々ポップスの現場には絶対にない文化かも。
そもそも早着替えがないから。

荒通しが終わって、演劇制作チームが板垣さんに歩み寄って「荒通せましたね」と、よくわからない日本語で握手していましたが、止めずに最後まで、はそれほど簡単なことじゃないんでしょうね。

大変だった分、初の荒通しが皆にたくさんの課題をもたらしてくれました。
制作スタッフ側にもですが、役者側にもです。きっと。

劇の世界の時間で最初から最後まで生きると、自分の役作りの答え合わせみたいなことができるんでしょうか?
もちろん、僕が作った設定の至らない点とかも、ここにきて炙り出されたりしました。
トキ子役のまゆちゃんと通した後に(だったと思う)話したら、やはり彼女の中で作り上げたトキ子で、劇の時間を過ごしたら、うまく流れないところもあったとか。
矛盾というか、トキ子の深い謎なのに劇の中ではほとんど語られない背景か。
人間だから矛盾は当然抱えているにしても、劇は作り物だから、そこでの矛盾は申し訳なかったり。

作詞家としても

作詞の僕としても、荒通しで初めてわかることはたくさんありました。
僕がヴァグラント用に書いた歌詞は、あくまで稽古前の、僕の脳みその中のキャラクターが歌うためのものでした。
まさに机上の言葉。空論とまでは言わなくても。

それが、上にも書きましたが、血の通った登場人物が、劇の中での時間に生きているのを見ると、なんか熱量が全然違うな、と思うところもあって。
必死に演じている役者さんに、あんまりに的外れな言葉を口にさせるのは申し訳ないと思ってしまいます。
だから、歌詞を書き直すことになると思うけど、また歌詞を覚え直してもらうのも申し訳ない。今、このせめぎ合いをしています。

荒通しから二日経って

このレポートを書いていますが、各方面からの直しが飛び交っています。
メールやらなんやらで。(このへんはポルノのライブツアーでも同じですね)

これがオリジナル作品ということなんですよね。
海外作品のレプリカ公演と、オリジナル作品の違いについては、またいつか学んだ話をお伝えできたらなと思います。
とりあえず簡単に言ったら、今、この場にいる、作品に携わる人たちで、いくらでも変えていけることです。
なので、この直しは本番直前まで、いや、本番になっても繰り返されるんでしょうね。きっと。

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