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浮かんできたこと

和歌を詠んだことも、書いたこともありませんが

普段心中で思う言葉が自分の和歌(言霊)だと
知って置いてください

何かで見ました

その言葉に思わず驚いて メモしたことがあります。いつも流すバックミュージックというかインナースルーしてると思ったつぶやきが自分の和歌

心を占めるもののあり方がランナーとして走り、
そのうち一周して後ろからバトンが渡され
いつの間にか返歌を受け取る。

昨日noteの「一筆お願いします」ではないですが、いつか「筆で書いてくださいね」と言われた謎の「起きてください!」何度も起こされた夜のその声の持ち主は誰?わからないままでしたがこうして何年も書いているうちに「あれはもしかして未来の自分?」と思ったりすることがあります。未来といってもこれから先のではなく、今書いている言葉(声には出していないけれどnoteに打っている言葉)が昔の私目がけて飛んで行ってるような、上手く表現しづらい内容で、読んでる方はチンプンカンプンかもしれないnoteを顧みた時にふと思うことでした。

さて、重陽の節句に合わせ「のちの雛」(秋の雛)という風習があることを知った昨日。なんだか時期はずれでコッソリというか、何十年も箱の中でしたから虫干ししなきゃというのと、自分の私情があってのことでしたが、「今出すべきじゃない」とか「それはおかしい」と思われたら恥ずかしいという気持ちも少々ありながら、でも「これでよかったんだ」

今太陽での虫干しは酷で、十五夜に外の風に触れながらのお月見となりましたこのたびのお雛さま

一人二人とだんだん増えて

団子がなくても十分だんご状態。

みんなで見上げた空は みんなで飛んでる感じ

そのような雲が散り 

月見だんごが化けてたような

ますますわからないnoteですね、
心のつぶやきでした。

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