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わかり合えなくていいのに


幸福とは匂いである。川上未映子さんが好きで、エッセイをよく読むのだけれど、幸福とは匂いに近い。つまり、幸福とは、ものとか事実とかではなく、その時一瞬のありがたさとでもいうべきものであると、書いてあったような気がする。というか、書いてあることをそう自分が了解した&覚えているし、それを信じている。

最近は、説明を求められる状況によく遭遇する。人生の生き方から趣味嗜好まで幅広く、この前は結婚について話をしていた時、「結婚はしなくていいと思っている」と言ったら、「なぜだ」「どうしてだ」と説明を求められた。わたしは「別に子供が欲しくないからだとおもう」と自分でも曖昧な理由をもごもご説明した。そしたら「まだ若いから子供欲しいとか欲しくないとか考えるスタート地点にも立っていない」と一蹴された。え。なんで。
これって一体説明したところで、それがなんになるのであろうか怒り。説明をさせる意図を説明してほしい。


個人と個人がいて、それはわかり合えなくていい。というか、言葉でわかるというのは、本当にわかり合っているのだろうか。

エッセイには個人的でしかないことが含まれていて、それはいつも個人でしか出発できないからそれはそれとして安心するのだけれど、個人的な話はつまむように了解しておのおの信じるくらいでいいのではないか。
それは会話でもおんなじで、もちろんその人の話を理解するために集中して聞く。聞いて概要を把握した上で、それよりも今この状況であなたがこの話をしてくれたこととか、あなたがこの話をするために使った言葉とか言い淀みとかをつまんで信じたい。


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